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風 from USA  00.4- 読売新聞
一話 密室の異様な熱狂   2000年4月5日
近所のサウナがお年寄りの集会所になっている。一口にお年寄りと言っても、ベトナム帰りの退役軍人、南米からの移民、日系2世など、この密室には雑多な汗が流れる。ブッシュやゴアのオヤジはどうだったとか、ディマジオがどうしたとか、時事問題がとたんに昔話になってしまい、交じって聞いているとぞくぞくするほど勉強になる。
 でも今日は様子が違う。ヤフーとアマゾンが勝ったの負けたの、ケーブルモデムが速いの遅いの、つまりデジタル話で盛り上がっているのだ。これは昔話にならない。いやそれより、セキュリティーホールとか、クッキーとか、だんだんカタカナが難しくなってきて、おいおい、ついて行けなくなりそうだ。
 すると長老がつぶやいた。「図書館でボストン・コンピュータ協会のセミナーがあるぞ」。そのとたん、皆の目の色が変わった。「ワオそれ行く」「グレート」「いつ何時」「オレにもメールくれ」。汗の密室は異様な熱狂に包まれた。
 この連中どうやら日頃サウナとデジタルしかやってないようなのだ。まあ元気で何よりなのだが、いつの間に彼らは大統領選や大リーグよりもデジタルに熱くなったんだろう。なぜだろう。
 デジタルは回春剤なのか? 若者としては、カラダに悪いからやめとけと忠告すべきか? 第一なんだその協会は? デジタルは新興宗教になったのか?
 この一年、大人がインターネットだとすれば、子供はポケモンだった。ニッポンをかっこいいものとして注目させた史上最大の事件だ。
 さいきん小学校がポケモンカード禁止令を出した。そんな弾圧にめげず、今日も子供たちは日本製カードを手に「おじさんカタカナ教えてくれ」と私に言い寄ってくる。いまカタカナがかっこいいんだそうだ。おまえら隠れポケモンだな。
 日本政府が何百億かけてもできないような文化貢献をピカチュウひとりでやってのけた。五〇年後、彼らが日本の老人とサウナに入ったら、きっと同時代の体験としてポケモン話で盛り上がるだろう。そのころ、まだデジタルは彼らを興奮させているだろうか。
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二話  起業目的は金もうけ?    2000年5月17日
 ボストンの顔といえば小澤征爾だ。ボストンを代表する日本人、ではない。日本人がボストンの顔なのだ。
 かつてスペイン人のピカソやロシア人のシャガールが活躍したパリは、彼らの器となることでパリ文化を形成した。歴史的にも世界都市の要件は、文化的にオープンで猥雑で、才能の出入りが自由なことである。
 いまアメリカが隆盛している最も大きな理由は、世界の才能をオープンに受け容れる度量にある。「ハーイ」と笑って受け容れる。文化面でも産業面でもだ。
 デジタル産業はベンチャー企業まっ盛りだ。その中心にいるのは、ユダヤ人、そして台湾、インドの出身者だ。
 ユダヤ系が商売や学問で台頭するのは古来の処世だが、いまや台湾やインドの秀才たちがアメリカを舞台に世界経済を引っ張っている姿は壮観である。
 ここで彼らは第一世代として旗をあげ、その後継者たちが母国の産業と文化を勇気づける。インターネットでは中国語やヒンズー語が英語よりも主流になる日が来るかもしれない。
 この舞台に日本人が少ないのはなぜだろう。生来、単独で戦うのが苦手なのか。これまで偏狭だったから、もう輪の中に入れてもらえないのか。大相撲のチャンピオンに曙や武蔵丸を迎える程度の度量では不足かな。
 さて一流大学の経営学修士(MBA)を取得した学生が来てくれない、と大企業の人事担当が悩んでいる。みな自分で起業するからだ。「会社を興して、株式を公開して、大金持ちになるぞ。」MITでもハーバードでも西海岸でも、できのいい学生はみな同じことを言う。
 チャレンジ精神、結構。だけど少し気になる。みな同じ方向に走っている点だ。近ごろどうも価値観が均質なのだ。
 平和になって、経済が最も大切な軸になって、おカネが唯一の価値になってしまった。もっと多様でいいのに。薄っぺらくないか?
 富豪になってどうするの?と聞くと、引退して悠々自適に暮らす、などと言う。うーん、美しくない。デジタル経済がカッコいい人生モデルを描くにはまだ時間がかかるようだ。
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三話  IT企業 都会へ回帰    2000年7月5日
ボストンの季節の変わり目は、寒暖の差が激しい。先週は雪だったのに今日は30度なんてことがある。ずっとマイナス20度とか、ずっと40度などというならまだ慣れるが、差の大きさは新参者にはつらい。直球は緩いがウルトラ遅いカーブのアンバランスで抑える阪神・星野投手のようなものだ。技巧派ボストンだな。
 その点、西のシリコンバレーは天候おだやかなイナカで、ITの技術者が好んで集結するのは納得できる。だが、ここ数年のITをリードするコンテンツ系のベンチャーは、サンフランシスコ、ニューヨーク、ボストンなどの大都会のど真ん中に集まっている。ざわざわした倉庫街にオフィスを構えている。
 テクノロジー中心だったデジタルの世界は、ネットでどう魅せるかというアートの段階に入ってきた。それを支えるアーティストには文化の刺激が欠かせない。だからイナカから都会に回帰しているわけだ。
 ベンチャーは技術が命だが、それだけではダメ。資金調達やマーケティングなどのビジネス手法、そして特にコンテンツ系ではグラフィックスや音楽などのアートが重きをなす。こういう分野の専門家たちが数名でバンドを組むように会社をつくる。成功の秘訣はチームワークだ。技術とビジネスとアートのバランスだ。企業でも大学でも、人材の評価に当たっては、算数と国語(英語ですな)に並び、アートが重視される。
 いまやこうしたコンテンツ系の会社が、シリコンバレーのハードウェアやツールに注文を出すパワーをつけている。ハードからソフトへ、技術からアートへ、イナカから都会へ。成熟だ。
 日本はどうする。都会に人材を集めるか。東京一極集中の是認?それが競争力アップの近道かも知れない。アート性は不足しているだろうか。そんなことはない。アニメやゲームを生み出す創造力は日本の力の源泉だ。
 サラリーマンが電車でマンガをむさぼり読むとか、女子高生がイラストメールをサラサラ送るとか、そんな国民訓練を積んでいる国は他にない。自分の強みを再認識してみてはどうだろう。
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四話  TV、パソコン併用急増    2000年8月16日
 肩がこる。パソコンのせいだ。画面とにらめっこして、あいうえお書いたりABC読んだり足し算したり引き算したりするうち、コリコリしたものが肩や首筋にたまる。
 苦しい。と訴えても同僚はきょとんとしている。西洋人は体質的にあまり肩こりを感じないらしい。パソコンは日本の生産性を下げるための西洋の陰謀ではあるまいか。
 テレビを見ていて肩がこることはない。ビールやりながら寝ころんで見てるんだから、こりようがないか。くだらないとかつまらないとか悪口いいつつ、私とテレビはけっこう仲よしだ。
 パソコンは違う。フリーズしたり壊れたりするだけでなく、しっかり指図してやらないと仕事をしないから、コリコリする。アメリカは何をするにもキッチリ説明しないと伝わらない国だが、そういう社会にふさわしい。
 そうパソコンはアメリカの象徴だ。テレビの生産から手を引いて、コンピュータとインターネットで世界をリードしている。一方、日本はテレビを作るのが得意で、テレビが好きな国だ。
 この十年、アメリカを中心に、パソコンとテレビを融合させる試みが進められてきた。パソコンの画面でテレビ番組が見られるようになり、テレビを使ってウェブにアクセスできるようにもなった。両者を仲良くさせようとしてきた。でもこういう使い方はまだ主流ではない。
 逆に最近アメリカでは、テレビとパソコンを同時に見る人が急増しているという。テレビが教える情報をパソコンにインプットして、インターネットで掘り下げて調べるというような使い方だ。テレビCMは、ウチのサイトにお越し下さいというドットコム系に占領されていて、そのメッセージのたびに、ながらテレビ、ながらパソコン、となるわけだ。役割分担だな。
 テレビとパソコンは合体するのはやめて、別々の道を歩くことにしたんだろうか。寝ころんで話す相手と、座って話す相手との折り合いが悪いのは仕方ないか。いや日本ではまだ別居宣言は早いな。寝そべって話せるパソコンを作ってあげればいいんだ。
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五話  一億人の歩くテレビ局   2000年9月27日
 駅までうんと遠いのでクルマ通勤だ。家から大学まで二つの市をまたいで行くが、ビュンと飛ばせば十五分。楽チンだが、一杯やって帰るのがむつかしい。アメリカの人は飲みに行かず家族と過ごそうとするからそれでいいのだろうが、道草してガード下、ヨッごめんよ、とりあえずナマ三つと枝豆と冷や奴と、えーっと今日サカナ何?のゴージャスさは、文化というより、アイデンティティーに近いものがあり、常に日本に帰国しようと思わせる引力だ。
 二年ほど前アメリカに赴任した際、薄いノートパソコンを持参した。日本では一般化していたが、アメリカではまだ珍しく、同僚や学生がよく触りに来た。彼らもノート型を使っていたが、三キログラムはある分厚い代物だった。体を鍛えるためかと思ったが、クルマ通勤だからそう苦にも鍛錬にもならないらしい。日本は電車通勤だからケータイが発達したのかも。
 この二年でアメリカのパソコンもずいぶん薄くなってきた。いまはPDAと呼ばれる手のひらサイズの携帯端末がすっかり普及している。通信機能を内蔵しているものもあって、どうだインターネットもできるんだぞと、得意げに見せてくれたりする。「いや日本はもう子供がケータイで右手の親指ブラインドタッチで歩きながらメールしてんだよね」なんてこと、かわいそうだから言わない。
 モバイルはニッポンのお家芸で、たぶん当分アメリカは追いつけない。それは小さいモノを作る技術やサービス力より、利用力の差による。製品を提供するプロの問題というより、フツーの人々がどう使いこなしているか、その力量の問題。とくに日本は子供たちが先進的な使い手だ。アメリカでは子供がケータイを持ってる姿など滅多にみかけない。ぜいたくだから。子供がたんまり小遣いもらってるというのは、日本の大きな特徴だ。
 まもなくケータイはメガ級のインターネット・ツールとなり、デジカメと結合する。すると一人ひとりがテレビ局の中継車なみの機能を持つことになる。一億人の歩くテレビ局。日本の子供たちが街角からゲリラ的に発信する映像で世界のネットがあふれて破裂!いずれそんなニュースを聞きたい。
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六話  ケータイ摩擦の背景   2000年11月8日
 近所に住む知人からメールが届いた。ボストンのベンチャー企業が携帯電話を手に持たず使える画期的な装置を開発したという。10ドルの安さだという。写真もあるというので、見たら、男がゴムバンドを頭に巻いて、ケータイをはさんで耳にくっつけてるのだった。大笑いして、買うと返事したところ、翌日ウチの郵便受けに輪ゴムが放り込んであった。
 その日、出張でワシントンDCに向かう飛行機に乗ったら、機内食がナマのニンジンだった。これもジョークか?そうでもないらしい。周りに座ったビジネスマンはみな、当然のようにニンジンをかじりながら、ノートパソコンで仕事している。私たちは以前フランスの首相からウサギ小屋に住むエコノミックアニマルと呼ばれた記憶があるが、それでもニンジンはかじっていなかったはずだ。
 機内誌に記事がある。ドットコム系企業の職員がネット株価の低迷に失望して、働きすぎ訴訟を起こしているという。ストックオプションで億万長者で悠々自適めざして、デートも睡眠もなくアニマルのように働いてきたのに、悠々自適の夢はバブルと消えて、青春を返せということらしい。アメリカ人も大変だ。
 ニンジン男たちに対抗して私もメールしようとしてパソコンを開いたら、壊れていた。日本語メールできるケータイがアメリカで使えれば、こんな時も壊れなくて安心なのだが。アメリカではまだ携帯電話は耳に当てる道具だが、日本では目の前に差し出して読む機械になっている。満員電車の中で、ビジネスマンも女子高生も、黙ってケータイを読んでいる姿は、ニンジン飛行機パソコンより進んでいるのか遅れているのか。
 ワシントンDCに着陸した瞬間のことだ。周りでパソコンを開いていたビジネスマン全員が、待ってましたとばかり一斉に、ポケットからカバンから、携帯電話を取り出して耳に当ててしゃべり始めた。ビジネスには一刻の猶予もないのだ。アメリカ人は大変だ。
 はたと気がついた。あの輪ゴムはジョークじゃなかったんじゃないか。10ドル払わなきゃ。
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七話  IT景気が生んだ混乱?   2000年12月20日
 数え直せと言ってみたり、もう数えるなと言ってみたりしながら、やっとのことで、二十一世紀最初の大統領が決まった。州政府や裁判所やマスコミも、あっちの陣営こっちの陣営に分かれて争って、アメリカが実にオープンで多元的な国であることが改めてわかった。
 言い方を変えれば、バラバラで危うさを抱えた国ということであり、そのドタバタがアメリカの威信を自ら傷つけた面も否めない。
 犬が吠えたとか、コーヒーがこぼれて熱かったとかいっては裁判を起こす風土だし、子供の担任の先生に不満があるとすぐ校長先生に手紙を書いたりする文化だから、大統領を裁判で白黒つけるというのも自然なことなのかもしれない。
 思いきり主張はするけど当人どうしでカタつけるのが苦手な人たち、ということなのではないか。アメリカ人は日本人よりプレゼンがうまいと言われるが、だからといってコミュニケーションが上手ということではあるまい。密室で首相を選ぶような芸当は真似できまい。
 それにしても近所の子供たちが我が家に集まって、ゴアだのブッシュだの言い合っているのを見ていると、少し薄ら寒い思いもする。大統領選がワールドシリーズのような国民イベントと化しているということだろうか。
 なにせ平和で好景気で一人勝ちだから、対立点が明確でなく、それが激戦を招くとともに、長期にわたる数え直しの混乱イベントを許すことになったのだろう。
 その好景気はITがもたらしたとするのが定説だ。ブッシュ政権になっても、クリントン政権のIT政策は基本的に継続されることとなろう。
 クリントン政権は、通信分野の規制緩和を進める一方、電子政府や教育の情報化、セキュリティへの対応、利用格差の是正など、行政がITに関わる度合いを増してきた。
 しかし個々の政策以上に重要な点は、クリントン政権はIT政策を大統領マターにしたということだ。発足当初から国の政策のトップにIT戦略を据え、世界にメッセージを発し続けてきた。
 この一点で日本はアメリカに八年遅れてきた。ようやく日本でも政治主導でIT対策が展開されはじめたが、はたして二十一世紀、日本は国の戦略を明確にして、世界に主張していけるだろうか。
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八話  米国がネット後進国に?   2001年2月7日
 パソコンをバラバラにする。チップやディスプレイやキーボードを、服やメガネや靴に埋め込む。ネットに常時接続している。そういうのをウェアラブル・コンピュータという。メディアラボはそのメッカで、サイボーグ姿の学生がうろうろしている。
 その一人が歩きながら言う。肩に貼りつけてあるこのチップがオレのサーバだ。ここには自分の全てが詰まっている。いまもネットに無線で接続している。誰かがオレのサイトを読むためにアクセスしているので、チップが熱くなってきた。キミもどうだい、気持ちいいぞ。
 いまやクルマにもロボットペットにもぬいぐるみにも、月面着陸したアポロのコンピュータより高性能なチップが積んである。いずれ動物や人の肉体にも埋め込まれる。こうしてコンピュータは空気のように溶け込み、姿を消す。
 薄く軽く小さく小さくしていく。日本の得意技だ。ケータイや家電やロボットというお家芸と合作しやすい仕事である。逆にアメリカは、栄光の90年代のシンボルであるパソコンを解体していくのは忍びないに違いない。
 勝ち体験というのは厄介だ。日本も80年代やそれ以前の勝ち体験のせいでアメリカのデジタルに惨敗した。同じことが90年代に勝ち体験を積んだアメリカにも起こりかねない。アメリカの危機はもう露呈している。それを体感しないのが勝ち体験の怖さなのだ。
 それはネットワークにもあてはまる。アメリカはせいぜい数メガが通る銅線のインフラでリードしているだけで、そのリードが強烈なために、次世代の無線や光ファイバーで世界の後進国となる可能性がある。
 コンテンツにしてもだ。アメリカはハリウッドやウェブで圧倒的に世界を凌駕している。ただそれはプロの表現の領域だ。これからは大衆ひとり一人がネット上で表現して共有しあうようになる。その大衆の創造力の点で、誰もがマンガ表現できる日本に対し、アメリカが勝ち続ける保証はない。どうするアメリカ。
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九話 日本の子供に世界が注目   2001年3月27日
 日本の大学が荒れていると聞く。学生紛争ではなく、私語が多いというレベルのことらしい。それが近ごろ静かになったそうだ。ケータイ親指メールしてるかららしい。教室に座っていても、心はネットの世界に出かけてる。崩壊している。教師も学生も時間の無駄だ。
 アメリカの大学生はよく勉強する。過酷なほどに。でも目的がハッキリしているうえ、小学校のころから学校に参加する意識が高く保たれているから、楽しそうに見える。日本の学校では、生徒は先生の言うことをじっと聞くのが中心だ。が、ボストンの小学校を訪れるたび感じるのは、作る、見せる、話す、探る、共有する、という活動の比重が高いことだ。日本はテレビ的でアメリカはインターネット的である。
 現にインターネットは道具として使いこなされている。黒板やチョークのようなものだ。技術は子供たちが自然に体得するので、教える必要はない。むしろ情報の海での泳ぎ方は彼らに教えてもらうことの方が多い。新しい映像表現やネット社会の作法は、子供たちが切り拓いていく。
 日本では学校にネットを普及させるのが課題と聞く。むかし学校は村にただ一台のピアノがあって、はじめてテレビが置かれる先端拠点だったが、いつのまにか町いちばん遅れた場所になってしまった。そして、ネットという道具の整備より肝心なのは、それを使って新時代の能力をどう育むかである。
 この4月、京都の南、けいはんな地区に、CAMPという名の子供センターが活動を開始する。創造力を発揮するための参加型施設で、つい先ごろお亡くなりになったCSKの大川名誉会長が進めてきた構想だ。
 マサチューセッツ工科大学がサポートするほか、各国のハイテク企業、教育団体、子供博物館も協力を表明している。日本の子供たちの創造性や日本文化の深さに各国が注目していることの現れだと思う。このような風が日本にもっと強く吹くことを願う。
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十話  「どこでも」ネットの功罪   2001年5月8日
 アメリカではネットを使って在宅勤務する人が2000万人いるという。私もそうしてみる。調べたり書いたりする仕事なら学校にいなくてもできる。パジャマのまま一日中アパートで猛烈に働く。いや、それは難しい。野茂さんや大家さんが投げるレッドソックスの試合が気になってすぐテレビに気を取られたりするからだ。
 でも居場所はどこでも構わない。だからでかけてみる。パソコンと電波があれば、学校やアパートでなくても、喫茶店でも川原の土手でもよい。旅先でもよい。飛行機の中でもよい。ジェット機の座席についている電話機でネットにつなげればそれでいい。
 ありがたい環境だ。ハワイでうっとり夕陽を眺めているときも、フロリダでワニの肉くってるときも、カリブ海でマルガリータ飲んでるときも、とりあえずネットに接続し続ける。メールやウェブで連絡し続ける。
 すると東京の仲間は私がボストンの研究室でシコシコしていると思い、学校の同僚は私が東京で時差ボケに悩みながら走り回っていると思い、そして実の私は夕陽とワニとマルガリータなのだ。
 しかしどこでも仕事ができるということは、どこにいても仕事させられているということでもある。勤務時間という制約もなくなり、二十四時間働くことにもなる。自由を獲得する見返りに、プレッシャーも増える。
 そして、いくら学校で難しい仕事に取り組んでいようが、東京の地下鉄で押しつぶされていようが、サイバー社会にアクセスしなければ、私はこの世に存在しないことになる。生身の身体の私よりも、ネットでのバーチャルな存在の方が本当の私なのだ。
 先日ある田舎にしけこんでいたら、パソコンが壊れ、ボストン側にも東京側にもさぼっていることがバレそうになって冷や汗をかいた。そこで最近はパソコンやモデムを複数持ち歩くようになった。やたら荷物が重くなり、本当の汗をかくようになった。ネットが健康によいということは言えそうだ。
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11話 これから始まるIT革命   2001年6月19日
 腹が減った。日本と違って、近くにコンビニはない。電話で注文すると、うまく通じなくて、余計なもの運んできたりする。そこで、ネットでピザの出前を頼もうと思ったら、おや、店じまいしているぞ。また一つ、ひいきのサイトが消えた。ネット出前は便利だったのに客が少なかったのかな。
 ネットの商売はブームから淘汰の時代に入った。過去一年のナスダック市場の株価は六割も下落したという。ネット企業の倒産やリストラはニュースにもならなくなってきた。IT革命はもう終わりだという声も聞く。
 業界が景気悪くなったから終わりとは、なんともチョロい革命だったものだ。でもITってのは道具だよね。エンピツや消しゴムのようなものだ。エンピツが生まれた時ってエンピツ革命だったんだろうか。違うな。エンピツで何を書くかの問題だもん。
 道具を生む技術のブームは確かにもう終わりだ。その技術が暮らしや経済に溶け込んで、日常になる。それはIT産業の時代から、産業ぜんたいがIT化する時代に移るということでもある。革命はその後はじまるんだろうね。これから本番なんだろうね。
 どの国もITをどう利用するかに躍起のようだ。先進国アメリカを追いかけている。焦っている。でも、アメリカは不便だ。店は遠いし。店員は態度悪いし。自販機は少ないし。夜中に出歩くのは怖いし。だから通販が発達していたわけだ。だからネットが急に普及したわけだ。
 アメリカはネットがあっても不便だ。日本はネットなんかなくたって便利だ。なのに日本のネットはよくがんばってると思う。自分の身の丈に合ったネット社会をしっかり築いていけばいいんだと思う。
 ネットは経済を効率化する。暮らしを便利にする。文化を豊かにする。教育を高める。政治をまともにする。だから早く広がった方がいい。でも、その革命はこれからずっと続く。百年は続く。焦らず落ち着いて考えればいい。
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12話 「混とん=ネット的」アメリカ
 運動不足のせいか胴回りが少し広めの女性が天気予報を担当している。と思っていたら、お腹が日に日に大きくなってきた。まごうかたなき妊婦ではないか。彼女そろそろ臨月じゃないか。オンエア中に産気づきはしないだろうか。気になって毎日みていて気がついた。これは視聴者の注意をひくテレビ側の作戦ではないか。
 母は強い。日を追って堂々としてくる姿は神々しい。だが、日本だとこのような場合、お腹の大きいキャスターが前面に出てくることはなく、なんとなく照れくさくて、隠れたり隠したりするような気もする。アメリカの場合、いろんな人がいるので気にならない。むしろ、多様な人、モノ、価値、文化が互いにうけいれられ、同居する精神がアメリカを成立させているように思う。
 私のいるラボも、人種も出身も年齢もバラバラだ。赤ん坊だいた女学生が弁当くいながら授業きいたりしている。イヌを連れてくる人も多い。違いこそが創造力を生む、という信念もあって、わざわざこうした多様な環境を保とうとしている面もある。バラバラな状態に慣れると、日本のような均質の制服社会はとても窮屈に見えるようになる。
 近所の小学校の廊下に、最新型のパソコンが積んである。メーカーの寄付だ。アメリカは進んでいる。と思って廊下を歩くと、奥の部屋には、80年代初めのアンティークなパソコンも並んでいて、事務用にしっかり使われている。オークションに出せば最新型が買えるのに、と言うと、最新型は子供が使えばいいんだよ、アタシはこれで充分なのよ、という声が返ってきた。
 アメリカといえば、効率主義、機能主義、スピード主義だ。しかし、私はこれで充分なのよ主義も同居しているところがまたアメリカだ。上もあれば下もあって、互いがそれを受け容れている広さがアメリカなのだと思う。
 一言でいえば多様性。だから、ある主張があれば、必ず反論がある。アメリカは多様だ、と言うと、いやアメリカは画一的だ、という反論も必ずある。その意見の多様さがアメリカ的なんだと言うと、いやそんな断定はアメリカ的ではないという反論もある。つまり何と言うか、混とんとした、そう、インターネット的なわけだ。
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13話 ポップコーンの文化論  2001年9月11日
 プログラミングやハンダづけで徹夜あけのMITの学生たちが、冷めたピザをほおばっている。いつもピザばかりでかわいそうに。何かごちそうしようか、と聞くと、あったかいピザが食いたいという。なんだ。ピザが好きなだけなんだ。
 近所の豪勢なお宅のパーティーに呼ばれた。気合い入れて花束かかえて蝶ネクタイ姿でお邪魔したら、メインディッシュがピザだった。大人も子供も心底しあわせそうに食べている。つつましい幸せだと思った。
 その家が映画館を借り切って子供のおたんじょう会をするという。豪華なことだが、ふだんでも入場料は一人5ドルだから、人数さえ集まればそうぜいたくでもないのかもしれない。ここではピザではなくてポップコーンだ。それとドリンク料を含めて、見合うプレゼントを持参する。
 そんな大人の計算にかまわず、子供たちは熱狂してモトを取る。暗室に集まった仲間たちが、アニメ映像と音楽を共有して、大声で叫んで一体化する。彼らの幸せはここにある。アメリカの映画は、観賞メディアというより、こういう参加メディアとして発達した。
 アメリカで映画を発達させたのは、政策的な理由もあったという。かつて、あちこちから来る移民をアメリカ化し、平準化するために映画を使ったのだ。中世ヨーロッパでカトリック布教に果たしたステンドグラスのようなものだ。
 こうして映画は全国メディアとして位置づけられた。ハリウッドにコンテンツ制作の能力を政策的に集中させた。一方、放送産業はコンテンツ作りより、ハリウッドのコンテンツを伝送する役割に重きが置かれてきた。
 日本は、テレビが全国を平準化する役割を担い、しかもコンテンツ制作の中心になっている。映画のコンテンツはテレビ産業が面倒を見ている状態だ。同じメディアやITと言っても、その発達史や背景が違うので、現在の機能も異なって面白い。
 いや、問題はそんなことではない。ポップコーンだ。映画館で買うとバケツのような容器に山盛りにしてくれる。モグモグモグモグしていても映画が終わるまでに食べきれないこともある。条件反射になって、家でビデオを観ていても口をモグモグさせないと落ちつかない。ハリウッドと穀物メジャーはグルではないか。
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14話 価値共有できる時代へ  2001年10月16日
 ニューヨークにいる。ボストンからクルマでやってきた。今なお白い煙のたちこめる現場は痛ましく言葉もない。
 九月十一日の早朝も私はクルマでニューヨークに向かっていた。マンハッタンに入る橋で、ここから先には進めないと告げられ事件を知った。三〇分早ければ、テロの現場あたりにいたことになる。
 それからカーラジオで状況を聞きながらボストンに戻り、テレビで画面を見た。覚悟をして見たのだが、それでも衝撃は大きかった。アメリカは時間帯からしてリアルタイムに映像を見た人はそう多くあるまい。日本の方がリアルタイム性が高く、ショックが強かったかもしれない。
 百年前のボーア戦争以来、戦争は映像と不可分だった。二次の大戦は映画の戦争であり、ベトナムはテレビであり、フォークランドは衛星であり、湾岸はリアルタイムのシミュレーションだった。今回は、インターネットが国境を薄めて初の戦争となる。戦う相手が不明確で、国家とは何かを問い直す戦争でもある。
 当初、テレビは衝突やビル崩壊の模様を繰り返した。大勢の人がビデオカメラを携える時代になり、いくつもの角度からの生々しいアマチュア映像が流されることになった。アメリカ側の反撃が始まってからは、闇夜の閃光が繰り返し放映されている。
 しかしこのように表に見えているのはもはやごく一部だ。特殊部隊の展開にしろ、資金源の封鎖にしろ、戦闘は情報戦となり、バーチャルの地下に潜っている。報道では戦争、報復、反撃という威勢のいい字が目立つが、同時に市民は化学・生物兵器による静かなテロの恐怖におびえている。
 ただ、惨劇から一月たって、ストレートな怒りと悲しみ一色だった空気も少し落ち着いてきた。アフガンの事情を知ろうとする雰囲気も生まれてきたようだ。地上には色んな人がいる。色んな暮らしがある。そのあたりまえのことをみつめようとする気運を感じる。
 ネットは世界をつなぐ。地球を小さくする。だが、それははじまりにすぎない。人類が価値を共有できるようになるまで、道は遠い。遠い道を進もうとするしかないと思う。
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15話 こどもの創造力 デジタル支援  2001年11月20日
 坂本龍一さん。五嶋みどりさん。小澤征爾さん。アメリカでも日本人の音楽家が活躍している。だが音楽はそういう天才の世界だ。とっつきにくいところがある。お絵かきや粘土細工に比べて、楽器はまず訓練がいるし、作曲となると特殊領域に入ってしまう。
 だれでも楽しく演奏したり、曲を作ったりできるようにしたい。そこで、私の属する研究所は、トイ・シンフォニーというプロジェクトを始めた。握ったりひっかいたりして鳴らす新しいデジタル楽器を開発したり、世界中のこどもが同時に参加して演奏・作曲できるインターネット環境を用意したりする。さまざまな国のこどもが、独自の音色やリズムでコミュニケーションできるようにしようというものだ。
 来年から、新しいデジタル楽器を手にした数十人のこどもたちと、プロの交響楽団による世界ツアーも行おうと思っている。日本では、京都の南、けいはんな地区にある「CAMP」という名の子供センターが活動の中心地となる。
 CAMPは本年4月から、マサチューセッツ工科大学はじめ各国の関係機関が協力して、ロボット作りや発明教室などの課外活動を行っている。これに加え、トイ・シンフォニーのほか、粘土を使ってアニメーションを作ったり、絵本を作ったりする活動を展開していく予定だ。
 先日このCAMPで日米欧の有識者によるシンポジウムが開かれた。地球にはいろんな文化がある。いろんな暮らしがある。いろんな表現がある。その当たり前のことを、デジタルの力を借りて、見つめ直してみたい。世界中のこどもたちがつながって、創造力を発揮していけるようにしたい。そこで、写真やビデオをネットで共有するプロジェクトや、映像でつながりながら共同作業するワークショップなどが提唱された。
 戦火が絶えない。世界平和は人類の永遠の課題だ。ハーバード大学のハンチントン教授のように、文明の衝突に警鐘を鳴らす向きもある。その解決は、デジタルでつながったこどもたちの手にゆだねるしかないのかもしれない。大人たちはせめて、そのための場や環境を用意してやりたいものだ。
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16話  出口としてのネット   2001年12月25日
 アメリカでは少年が銃をぶっぱなすニュースをよくみかける。貧困がもたらす悲劇ばかりではなく、普通の家庭の子女が事件を起こすケースも多い。なぜだろう。アメリカの子供はのびのび明るく育てられているように見えるのに。日本のようにみんなが受験の重荷を背負っているということもない。ただ気になるのは、けっこう社会に管理されているという点だ。
 通学はスクールバスか親が送り迎えする。友達どうしで道草くって駄菓子屋に寄るなんてことはない。放課後はあらかじめ親に了解を取ったうえで、誰かの家で遊ぶ。秘密基地を作って宝物を隠しておくなんてこともない。
 町が危険だから自己防衛するということなんだろう。でも彼らの行動はみな大人に筒抜けだ。秘密も持てず悪いこともせず大きくなって、大丈夫なんだろうかと気になる。これは私が住むエリアの特徴かもしれないが、アメリカ中そう大差あるまい。
 これに比べて日本は自由で、逆にそのせいで不良になりにくくなっているようだ。ギターを弾こうがバイクに乗ろうがゲーセンに行こうが、今や不良ではない。剃り込みを入れて見るからに悪者という連中も減り、そのかわり見た目は健全だが中味は腐ってるというのが多くなっているようだ。
 ひょっとすると、規範がなくなって、社会が寛容になって、なまじ不健全なものを受け入れるようになったから、子供たちは出口を失っているのかもしれない。適度に反発できないと、引きこもってしまう。それが溜まって、キレる。
 ネット犯罪の恐ろしさが指摘される中でこんなことを言うと叱られそうだが、アメリカでも日本でも、ネットはそんな子供たちのための出口になれないものかと思う。人に迷惑をかけない範囲で、多少の悪さが許される解放区になれないものかと思う。
 先日ある会合で、ニセモノ商品がネット取引されることを法規制すべきという意見に対し、それは自己規律された安全なコミュニティを作れば足りるという反論があった。一理ある。健全なコミュニティも危なっかしいコミュニティも、いくらでも作れて同居できるというのがネットの特質だ。どこまで目をつむれるかが問われているのではないだろうか。
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