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中村伊知哉のボストン一夜漬け通信  98.2- 月刊ニューメディア
第26話  2001年3月号 予定
■これからもウロウロです
 
 いまブエノスアイレスからボストンに戻る飛行機の中で、21世紀の正月を迎えました。リアルワールドでも、バーチャル空間でも、ウロウロ移動するのが21世紀です。移動が生むパワーや、それがひきおこす連鎖やあつれきが、社会経済の原動力になります。
 地の果ての機内では、紅白も雑煮もないのがいささか風情に欠けますが、新時代の幕開けにはふさわしい年始だったと思います。
 数え直しのすったもんだを経て、21世紀最初のアメリカ大統領が決まりました。アメリカ人は熱くなっておりましたが、傍目には醜態です。平和で景気もよくて一人勝ちだから、ドタバタも許されたのでしょうが、他国からは強国ボケと指摘されています。
 数え直しているあいだ、久しぶりにラスベガスを訪れたら、エッフェル塔やらスフィンクスやらベネチアの街並みやら、やたらどでかい模造ができていて、カジノはアメリカの田舎者で大にぎわいでした。栄華を誇るというより、ひたすら消費に走る不気味さを味わいました。これが今のアメリカなのでしょう。
 数え直し裁判をめぐって、三権に州もマスコミも加わって、どの当局もしっかり分立している姿がハッキリしました。それは非常にオープンで多元的な姿ではありますが、バラバラで至極やっかいな体制ということでもあります。しかも、どの陣営もあっちかこっちに分かれていて、すっかりコネ社会であることもバレました。
 これをみてマレーシアや南米の一部が冷笑しています。今後アメリカがよその国の選挙や制度に介入しても、すんなり言うことを聞くことはないでしょう。
 ラスベガスからパリに入りました。5年前、私がパリに滞在していた95年、シラク大統領が当選した選挙では、断然リードの対抗馬が選挙中ある失策を契機に急速に人気を落とし、シラク氏が一気に抜いたところで投票となり、その後7年間の核のボタンを握ったのでした。人気投票に似た直接選挙は、民意を正確に映す一方、ムードに流れる危険もはらみます。
 そのパリで旧友に会いました。アメリカ型の直接民主制にもちょっと怖い面があるね、ぼそりと彼は言いました。今回のアメリカは、多元国家で深刻な対立が発生したときにどう折り合いをつけるのかという問題でしたが、たしかにそれもまたちょっと怖いわけです。
 今後、ネットの普及によって、民意が政治に反映されやすくなります。電子政府によって、国民と政府のインタフェースも改善されます。すると直接民主制への誘惑も高まります。日本でも議論になるでしょう。
 数え直しているあいだ、ボストンの自宅に近所の子供たちが集まって、ブッシュだのゴアだの言い合いをしていました。ピカチュウとカメックスを競わせているような、楽しいイベントです。ちょっと怖い。そんなことが裁判で争われているということを彼らはどう思っているのかしら。
 その子の母親が、担任の出す宿題がおかしいと校長先生に手紙を書いたと言ってました。それを聞いた別の父親が、あの担任はいい人だとする反論の手紙を校長先生に書いたと言ってました。そんなこと、当人どうしでカタつければいいのに。
 弁舌は美徳で、主張にすぐれた国民であります。だからといって、コミュニケーションがうまいというわけではなくて、ぶつかるとすぐどこかに裁定を求める。犬が吠えたら裁判だし、コーヒーこぼしたら裁判です。オープンですがコストのかかる風土です。密室で首相を決めるような芸当は決してマネできません。よいこはマネしないでね。
 すると、近所に住む友人から、ボストンのベンチャーが画期的なハンドヘルド装置を発明したというメールが届きました。ケータイを手に持たずに使える装置がなんと9.89ドル、いまスグお届けします、写真もあります。
 というので、写真を見たら、兄ちゃんがゴムバンドを頭に巻いて、ケータイをはさんで耳にくっつけてるのでした。アハハおもしろい、買うよって返事したら、翌日、家のポストにゴムヒモがビローンと放り込んでありました。9.89ドル払わないといけないでしょうか。
 その足でワシントンに出張しました。機内食はナマのニンジンでした。ウサギかオレは。いやしかし、回りの乗客は黙々とニンジンをかじり、パソコンを開いて仕事しています。立派です。
 かつてフランスの女性首相が日本人のことをウサギ小屋に住むエコノミックアニマルとののしりましたが、その言葉は狭い機内でニンジンかじって仕事しているヤツのことを指すのでしょう。
 機内誌に記事がありました。ドットコム系の職員がネット株価の低迷に失望して、働きすぎ訴訟を起こしているらしい。ストックオプションでIPOでミリオネアーで悠々自適で、その夢のためデートも睡眠もなく働いてきたのに、IPOも悠々自適もバブルと消えてどうしてくれるオレの青春、みたいなことらしいのです。そんなことも裁判なのですな。
 ワシントンに着陸した瞬間です。回りの乗客全員が、着陸した瞬間に、一斉に、ポケットからカバンから、ケータイを取り出してしゃべり始めました。デジタルに冒された星を描くコメディ映画みたいに、見事に一斉に。ビジネスには一刻の猶予もないのです。ケータイしばるゴムバンド機内販売したら売れたはずです。
 ワシントンへの出張はべつに政治がらみではありません。自然科学団体のナショナル・ジオがクジラ君やカメさんやペンギンちゃんやトド君にビデオカメラを背負わせて海を行かせる冒険プロジェクトをやっていて、関西に作る子供センター「CAMP」のからみで、それ欲しいなあ、見たいなあ、遊びたいなあ、やりたいなあ、って言いに来たんです。
 その子供センターには、メディアラボの道具も持ち込んで、デジタルのオモチャだとかアニメだとか音楽だとか芝居だとか、作ったり遊んだり見せたり、組み立てたり壊したりこねたり投げたり蹴ったり、外はいい天気だよ、書を捨てよ町に出よう、その手にはビデオとケータイ、歩くテレビ局が京都の街角から世界へウェブ発信、とかそんな具合です。
 意欲はマンマンなんですがカネはない。色男であります。だからこうしてあちこち回って興味ありそうな人に誘いかけてるわけです。チェロのヨーヨーマさんにも一仕事してもらおうかと思ってます。ヨーヨーマさん、私と同じように客員として数年前にメディアラボでサイバーチェロの開発に携わっていたんです。
 その際、ラボのホールでチェロ弾いてたら、日本から来た客が、「あんたなかなかチェロうまいやんか」と肩たたいた。周りが驚いて、あの方だれか知らないのか、ヨーヨーマさんだぞと忠告した。当時ヨーヨーがはやっていた。「ヨーヨーマンいうんか。そうか。多芸やな。おもろい。こんど日本きたら連絡くれや。」と肩たたいて名刺わたした。ヨーヨーマン、ニコニコして受け取った。美談。
 ワシントンで耳にしました。アメリカ政府が日本の通信規制を独立機関にしろと要求しているらしいですね。以前、役所でこの問題を担当していた時も同じような議論がありました。私はこれに対し二つ疑問があります。独立って何からどこへ独立するんですか?誰が独立するんですか?
 アメリカのFCC(連邦通信委員会)も独立行政委員会です。三権分立が徹底し、州政府も、ジャーナリズムも機能していて、その上で別権力として独立させようとしたのがアメリカの委員会制。ただし政府からは独立しているが議会に責任を負っている。議院内閣制の日本の官庁が政府から独立したらどこへ行くんだろう。行き場がないから、野放しになるんじゃなかろうか。
 そしてそれは規制専門の集団になります。恐らく規制を減らすことはせず、規制に血道をあげるでしょうね。規制派は独立したくなるはずです。そういう人をどうコントロールするかが実は重要。政治責任を明確にすることが重要だと思うんです。
 独立って逆だと思うんです。行政判断が政権に左右されちゃいかんという方もいます。でもその場合、悪いのは左右して困るようなことをしでかす政治でしょ。政治が悪いからといって、政治から外すんじゃなくて、政治を直そうとするのが正道でしょう。
 念のため申し添えると、日本は規制緩和が進みました、ある面ではアメリカより進んでます。それにアメリカは責任者が大統領府なのか行政委員会なのか司法省なのか、州政府なのか裁判所なのか、しかも州ごとに法律が違ってたりして、バラバラで困る。迷惑だ。
 そういうことをアメリカに言うならまだしも、日本の関係者がワシントンに来て、日本の通信行政を独立委員会にすべきだとアメリカ当局に根回ししてると聞きました。ああ哀しい。自国のことは自国でカタつけようぜ。私ならそんな根回し任務負わされたら、売国の汚名を着せられる前に青酸カリをその場であおる。
 数え直しているあいだ、東京を訪れたところ、霞ヶ関はあわただしい動きをしていました。省庁再編がスタートですもんね。引っ越しだけでも大変。ひとまず通信行政は総務省が担うことになりました。IT政策を首相が唱道するという形もできあがってきました。新体制の手腕に期待します。芸術品のような行政を望みます。
 いまだメディア行政を産業省と統合させる案もくすぶっているようですね。一つの案でしょう。ただ、IT産業の強化と、ITの推進とは方向が違います。IT産業の強化は、産業の利幅拡大ですが、反対にIT利用の立場からはITの日用品化・利幅ゼロ化が求められ、行政の目標が対立します。その対立項を踏まえることが大切でしょう。
 時代が刷新されて、それをまたITが助長して、まだまだ世の中は動きを増していきそうです。私もウロウロ動いて、考えてまいります。
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