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中村伊知哉のボストン一夜漬け通信  98.2- 月刊ニューメディア
第18話  2000年7月号
■ウチの近所はアメリカだ

 近所の子供のおたんじょう会。映画館を借り切ってやるという。小さい館とはいえ、豪勢だ。その子のおうちが主催していて入場無料。ふだんでも一人5ドルだから、諸経費いれても、ふむ、プレゼント見合いでトントンか、なんて大人はすぐさもしい計算を始めるが、まあトントンか。
 子供たちはおかまいなしに、みんなでおやつ食べて、ネズミが出てくる映画をワーワー熱狂的に鑑賞する。コミュニティの人々が暗室に集まって、映像と音楽を共有して、大声で盛り上がって一体化する。そもそも映画っていうのは、こういう具合に参加するものだったんだ。
 アメリカで映画を発達させたのは、政策的な理由もあったという。この移民の国は、無理やり一体化させる必要があった。その土地に同居するということ以外にアイデンティティーがなかったから。あちこちから来る移民をアメリカ化し、平準化するために映画を使ったのだ。中世ヨーロッパでカトリック布教に果たしたステンドグラスのようなものだな。
 こうして映画は全国メディアとして位置づけられた。ハリウッドにコンテンツ制作の能力を集中させたので、放送産業はコンテンツよりディストリビューションに重きが置かれてきた。日本はテレビが全国を平準化する役割を担い、しかもコンテンツ制作の中心になっている。対称的だ。
 
 アメリカを定義するなら、多様、ということになる。いろんな人がいて、いろんなモノがある、ということで成り立っている。ある主張があれば、必ず反論がある。アメリカは多様だ、と言うと、いやアメリカは画一的だ、という反論も必ずあって、その多様さがアメリカ的なんだと言うと、いやそんな断定はアメリカ的ではないという反論もあって、つまり何と言うか、インターネット的なんだな。
 近所の小学校の廊下に、最新型のマッキントッシュが積んである。寄付だな。これがインターネットにつながるってやつだな。進んでるんだなアメリカは。と思って廊下を歩くと、あるある、歴代マック。いちばん奥の図書室ではアップル2というマニアックな機械が3台ならんでて、おばさんが何か作業している。
 おばさん、それ使ってるの。そうだよ、いい機械だよ。遅いし小さいでしょ。でもアタシの仕事にはこれで充分なんだよ。おばさん、それ売ってよ高く買うよ最新型と交換してもいいよ。いやだね最新型は子供が使えばいいんだよジャマだよアッチ行っとくれよ。
 アメリカというと効率・機能・スピード主義だが、私はこれで充分よ主義も同居しているところがまたアメリカだ。上もあれば下もあって、互いがそれを受け容れている点がアメリカなのだ。
 
 近所にユダヤ人のコミュニティ・センターがあって、部外者のくせにそんな所に出入りできるのは無宗教の日本人の特権か、あるいはいやがられていることに気づいていないだけなのか、いずれにしろ私はたまに顔を出す。
 水泳や絵画など一般的なおけいこ教室と並んで、ダイヤ研磨、なんてのもある。なるほど、ユダヤ人として手に職をつけて、どこでも生きていけるようにするわけだ。アントワープのダイヤ街あたりに流れて立派にやっていけるようにするわけだ。
 世界を生きる処世は日本人の及ぶところではない。金融もハリウッドもそうだし、学問の分野でも彼らの比重の高さはもの凄い。だが最近、特に西海岸のシリコンバレーあたりでは、台湾系とインド系の活躍が目立つ。アジアから来た技術者がデジタルのブームを支えている。
 インド人が数学に優れているという噂が事実かどうかは知らないが、エレガントな技術をスコーンと生んでいくインド人が結構いることは事実のようだ。台湾の人たちの起業精神が旺盛で、一発やったるでえ的にデジタルしているのも大変な勢いのようだ。こういう多様な人たちがアメリカという手のひらの上で才能を爆発させる。アメリカは受け容れるという度量を示し続けた見返りを、デジタル経済の発達という形で手にしている。
 私の住むボストンの顔といえば小澤征爾さんだ。日本人がボストンの代表のような格好なんだが、別にそれでいいのだ。爛熟な文化や経済は、多様さを保証する国際都市のみが享受する。日本はそれがどこまでできるかな。曙さん、ゴーンさん、ビビアン・スーさん、どう思います?
 
 ゲイツさんヤンさん孫さんデルさん、みたいになりたーい。アメリカ人も外国人も、総本山のアメリカでデジタルする輩はみなそう願う。多様な人材、多彩な才能が集まって、みなそう願っている。
 でもMITスローンスクールの人が言っていた。アメリカを担ってきた大企業が悩んでいる。超優良企業が困っている。さいきんMBAを取った学生を採用することができなくなっているらしいのだ。超優秀な学生はみな、ゲイツさんヤンさん孫さんデルさんみたいに自ら起業してしまうので、来てくれないらしいのだ。だから大企業はいきおいM&Aでそういうベンチャーを自陣に取り込もうとするんだが、そのとたん、超優秀な人材が出ていってしまうらしいのだ。
 チャレンジ精神が旺盛で、リスクしょって立つという気構えは見事である。しかし、それはそれでワンパターンなことである。みんながみんなベンチャーってのも、全体として脆弱だという気がするが、それ以上に、行動パターンや価値観がモノカルチャーなのが美しくない。
 高校でて大学いって、そこで技術なりビジネスモデルなりを打ち立てて、がんばってIPOして、邸宅かまえて若隠居して、いやそんなことで見失ってはいけないから今後はベンチャーキャピタリストとして後進を育てる、ってなパターン。カッコいいかね、これ。
 億万長者モデルまでは成功例が続々と生まれているが、美しき人生の成功モデルが確立されていない。まだデジタルで老衰した世代が出ていないから仕方ないけど。日本でも渋谷界隈で若きデジタル長者が生まれているとか。ドカーンと成功する若者がたくさん出てくることはとてもうれしい。問題はそこからあと。億ションを買いあさってるそうだが、そこからあと、カッコよさを見せてほしい。
 ま、ひがみかな。それでもいいや。ただもう一つ思うのは、アメリカはとても学歴社会で、しかもコネ社会だということ。学士か修士か博士か、学校はどこか、ということで報酬の水準が歴然と違うし、コネがやたらに効く。日本の方がプレーンな感じがする。あまりアメリカを礼賛する気にはなれない。
 たしかに日本は問題が多い、多すぎる。だけど、秀才の誉れ高き人材が、がんばって勉強して、遊びもせず女にももてず、さらに頂点をめざし、東大法学部を成績優秀で卒業して、それで薄給の大蔵省に入り、公の仕事をする。そっちの方が健全な構図に見えるんだけど。えらいじゃないですか。そこまでは。問題はそこからあと。そんな険しい道を進んだくせに、そのあと権力に染まって不健全になっていくのは極めて問題だっ。ああほめてるんだかけなしてるんだか。
 近所の子供のおたんじょう会。ローラースケート場に集合。遊んだあとのお食事会は、ピザとコーラ。うわーまたピザかよ。でもみんな心の底からうれしそう。おとなもだよ。簡単に食べられるとか、分けっこできるとか、そういう理屈じゃなしに、みんなホントにピザがおいしいと思ってるんだな。そうとしか思えん。
 アメリカのメシはまずい。日本やフランスとは天地の差がある。近所のまっとうなレストランでラビオリ頼んだらジャムみたいなのつけて出てきた。これゼッタイ隠しカメラあってテレビに映されるんだぜ。そうとしか思えん。
 素材はすこぶるグッドだ。野菜や果物は、味が濃くてうまい。肉もそうだ。筋肉の味がする。だけど、肉のバリエーションは少ない。お肉やさんでは、牛、豚、鳥の赤身のほかには、せいぜいレバーが置いてある程度。同じ肉食のフランスのスーパーなら、腎臓だの脳ミソだの豚の鼻だのがデロデロ置いてあるし、ウサギもいれば鹿もいる。
 多様性を誇るアメリカが、肉となると単調になるのはなぜなんだろう。すると妻が言った。アメリカは牛肉が主食だからなんじゃないの。あ、そうかも。正しいかも。アメリカは牛肉がコメなんだ。だから豚肉がうどんで、鳥肉がソバなんだ。ははあ。だから何も味付けがないステーキが出てきたりするんだ。あれはパンをおかずにして肉くうんだ。ははあ。ウサギや鹿は、粟や稗だと思って見下してんのかもな。
 だって他の肉食の国にはちゃんとお国の主食があるもん。フランスはパン、イタリアはパスタ、ドイツはジャガイモ、立派だもん。その点アメリカの穀類ってトウモロコシだろ?なんてことアメリカ人に言うと怖いから黙ってよっと。
 映画館でポップコーン頼むとバケツみたいな容器に山盛りにしてくれるので、モグモグモグモグモグモグモグモグやってても映画おわるまでに食べ終わらないこともある。条件反射になって、家でビデオ観ていても口をモグモグさせないと落ちつかない。ハリウッドと穀物メジャーはグルだな。
 そんなことはどうでもいいのだが、要するに私が今回もうしあげたかったのは、アメリカのことを米国と呼ぶのは理不尽であって、牛国とか、コーン国とかにすべきではないのかっ。ということだ。
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