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中村伊知哉のボストン一夜漬け通信  98.2- 月刊ニューメディア
第17話  2000年6月号
■ヨッ大統領、ザッパーン

 コアラは実は人間が退化したものだ。なまけていてコアラになった。ところが、クジラを食えば元に戻ると知り、海に出た。ザッパーン。そんな夢を見た。そこで、ボストン沖へホエールウォッチングしに行った。この界隈、コアラはいないがクジラはいるがクジラは食えない。
 ザッパーン。大西洋である。いるいる、クジラ。食いたい。肉とは言わん、脂身だけでいい、いや、舌だけでいい。ほとんどの国の人から非難されそうな物思いにふけっていて気がついた。大西洋を見た日本人って案外少ないのではないか。
 ニューヨークだとかなりがんばらないと大西洋まで出ない。あと東海岸にはぱっとした都市はないし。フランスのボルドーやブルターニュ、イギリスのウェールズ、スペインのジブラルタル付近、ポルトガルの海岸、私は好んでヨーロッパの左端を訪れたが、どこもあまり日本人の姿をみかけない。アフリカ左岸や南米右岸も経験者はそう多くあるまい。
 ザッパーン。そんな遠い海の、この少し先の所に、ケネディ・ジュニアが墜落したんだな。そういえばいよいよ大統領選だ。21世紀初の、いや新しい千年の、世界で最も強い国の元首を決める。でも景気がよくて、当面の敵も見当たらない。だから弛緩している。決めるという行動の基準があいまいなので盛り上がらない。これはいよいよ、「政治」や「国家」が衰微していく兆しなのだろうか。
 
 クリントン政権といえば情報スーパーハイウェイだ。ヨッ大統領。インターネット=アメリカ国家、というイメージを確立した。その一点で、人類の歴史に名を残すことが確定している。よくやったと思う。96年電気通信法、インターネット推進、軍事予算の情報政策へのシフト、そうした個々の施策よりも重要なのは、クリントン政権はメディア政策を国家元首マターにした、ということだ。クリントン・ゴアは、デジタルのビジョンを自ら示し、政策を自ら発表してきた。フランスもイギリスも大統領や首相がそうするようになった。
 日本は違う。政策の中身は同じでも、全くプレゼンスが低い。誰も日本の政策など知らない。何を言うかより、誰が言うかの方が大切なことが多い、そんなことはわかっているはずなんだが、日本はさぼりっぱなしである。天皇陛下とは言わないけど、せめてメディア政策の発表は総理大臣がなさいませ。
 クリントン大統領の最初の選挙のころ、92年、ボスニア・ヘルツェゴビナとユーゴがガタガタしていた。レーガン・ブッシュが冷戦に勝利し、その次の世界秩序が模索されていた。日本は無関係だった。失われた十年が始まっていた。そのころにはもう、デジタルの嵐が来ることが見えていた。このままではアメリカに完全にやられてしまう。事実あっという間にそうなった。そのころ、大手メーカーの方から、そんなに速くデジタル対応を進めるとまたアメリカから貿易摩擦だと攻撃されるのではないかと言われ、アゴがはずれそうになったことがある。
 そのころ、日本の通信政策の現場では、まだ「通信と放送の融合」という言葉はタブーだった。「放送のデジタル化」というのもタブーだった。「規制緩和」もタブーだった。旧秩序は厳然としていた。さっきのメーカーの方とは異なり訳のわかった民間の方々は、この国は実験もできないのかと強く指弾されていた。私はとても焦っていた。
 制度を動かすには実態を先行させるしかない。そのころ、ADSLという技術を知った。これをどこかでゲリラ的に導入しようと画策した。融合実験のための予算もゲリラ的に仕掛けた。答申、報告書、国会答弁などで、融合とかデジタルとか緩和といった言葉を書きまくった。私は部内でぶつかってばかりいた。
 しかし、93年の春ごろから、雨上がりにおてんとうさまが広がるように鮮やかに、これらタブーは溶けて流れ、融合とかデジタルとか緩和といった言葉は、逆に推進すべき題目へと昇格した。ひっくり返った、いよいよ始まる、そんな感じがした。クリントン政権の動きが速くて強くて、日本も覚醒したということだ。
 しかもそれは、政府部内の自己変革であった。政治が時代を読んで変革を促したのではない。むしろその後、通信主管庁は政治に対し、デジタル政策に転換してよろしいかと頭を下げて根回ししなければならなかったのだ。あれから8年。大統領の任期を2回経て、日本ではやっとADSLが実用化される。ひっくり返って8年でやっと!政治の弱さを痛感する。
 その間、アメリカはずいぶん先へ行ってしまった。政策も変遷してきた。90年代の前半は、インフラ政策だった。ネットワークをどう整備するかが中心課題だった。いまも多くの国はこれが中心だ。
 でも90年代の後半に入るとアメリカはアプリケーション政策に重心を移した。ネットワークをどう使うか、という課題だ。産業、教育、医療、行政の各分野をどう情報化していくのか。プライバシー、セキュリティ、暗号をどうするか。このあたりになると、今も日本はもたもたしている。
 そして現在、話題の中心はデジタル・デバイドである。情報格差の問題だ。情報アクセスが最も基本的な権利として認識されるようになってきた。
 
 持てる者と持たざる者。そりゃ持ってる方がいい。という常識が通用しないのがデジタルの刺激的なところだ。スピーディーな一発勝負が身上のeビジネスでは、大企業がひきずる旧資産はアダとなる。IT商売の秘訣は、いかに捨てるかにあるという。過去に会社を繁栄させてくれた部門でも、デジタル時代に収益を生まないものは遠慮なく切り捨てる、それができるかどうかが生き残りを左右する。持てる者の弱み、持たざる者の強み。
 アメリカのインターネットでは、いまやビジネスを構成する全ての要素が専門会社化している。営業窓口、物流、倉庫、資材調達、財務管理、顧客管理、広告。こういう小さいユニットの専門会社がつながって、eビジネスを形作っている。一社で全てを抱える必要がないばかりか、何も持っていなくても全部アウトソースでいい。だが、何か一つでいいから独自の強みを持ち合わせていないと、この輪の中に入れない。この仲間に入れるかどうかが勝負。
 ザッパーン。近所のプールはガラガラだ。でもそのヨコにあるサウナは賑やか。おじいさんたちの集いの場になっている。アメリカを濃縮したような多様さで、退役軍人、自営業者、メキシコ系、アジア系、職種も人種も入り乱れ、かろうじて英語を話すことでつながっている、熱い空間である。
 大統領選がどうだの、大リーグがこうだの、だらだら汗かきならがら、だらだら世間話をしている。でもいつもすぐに昔話になってしまう。ゴアの親父はああだった。ディマジオはこうだった。歩くのもやっとのアメリカ人が汗といっしょにしぼり出す思い出は、濃い。
 ザッパーン。10年ほど前まで渋谷の安いサウナによく通っていた。忙しくて、休みが週に一度あるかどうかで、あれば一日中サウナにいた。その熱い密室は、渋谷の長老や仁侠の方が若い衆に説教たれるサロンとなっていた。
 若い衆と言っても、いつ指令が出されるとも知れぬ坊主頭の鉄砲玉が二人ばかり親分さんの肩をもんでいるだけで、気勢はあがらない。立派な入れ墨の親分さんはかみ砕くように人の道や渋谷の歴史などを説いている。鉄砲玉は目がうつろで、いくら説かれても、そのまま汗となって蒸発してしまっている。だが少し離れて聞いている私には、ははあ東急と西武はそういう関係か、ははあ安藤組はそういうシノギをしてきたのか、とても貴重な授業だった。
 ザッパーン。そのサウナはもうない。当時の熱病だった地上げか何かに遭い、ファッションビルに退化してしまった。その界隈も時代とともに姿を変え、ちかごろは、ケータイ片手のガングロと、インターネット両手のドット・ジェーピー系に征服されてしまったようだ。色気のないことだ。
 さてアメリカのサウナ老人たち、ヒマでヒマで、最近はデジタルにハマっている。インターネットのオークションはどこがクールだ。ケーブルモデムが遅くてADSLに変えた。ブラウザのバージョンを上げた。話の中身が濃い。
 昨日はセキュリティが話題だった。クッキーがどうした、RSAがこうした、どんどん濃くなって、そろそろ私の手には負えなくなりそうだ。今日はコンピュータ団体がセミナー開くとかいうニュースで盛り上がったりしている。
 この熱狂はどうしたことか。いつの間にここまでデジタルが根づいてしまったのだろうか。デジタルで春を回復しようとしているのだろうか。もう恋なのか。あるいは、これは宗教なのか。デジタルを信ずる者は救われる。どっちでもいいけど、デジタルが彼らを勢いづかせていることは確かだ。やれやれ。この元気、当分つづきそうだな。
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