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中村伊知哉のボストン一夜漬け通信 98.2- 月刊ニューメディア |
第十三話 2000年2月号 |
■ポンヌフのバカボン セーヌはパリの空の下を流れています。アポリネールが恋人たちと語り合った橋の上では今もいろんな国から来たカップルが開放された時をゆったりと流しています。荘重で柔らかい町並みは低くたたずんでいるので、パリの空は大きい。濃い青のキャンバスに、はっきりした形の白い雲、黒い雲が、ぽかり、ぽかり、と浮かんでいる。これが空というものだ。これを見るたびにうっとりして、私も低くたたずんでしまうのです。 パリは、インタロップ+ネットワールド99です。フランステレコムとかブイグテレコムとか、フランス系のキャリアのプレゼンスが目立つほかは、こういう展示会の内容はだいたいどれも同じです。なんてね。すみません。私ウソついてます。インタロップって日本でもアメリカでも行ったことないのにパリのやつだけ見に来たんです。 でもやっぱ私パリ好きですね。ユニフォーム来たケバい女の姿は少なく、各ブースとも普段着の人やスーツの人が説明しててね、その着こなしと品格たるや、フランス・イタリア以外の若い衆にはマネできねえな。スーツは淡いグレイが主流でね。女の人以上に男の人のスーツ姿がこれまたカッコイイね、シャツも靴も気合い入ってるけどギラついてないしね。 大衆のファッションセンスがレベルアップするには、その国がカネ持ちになってから一世代はかかる。日本もようやく若い衆が恥ずかしくないレベルに向かう兆しが見えるけど、洋服の歴史が長い連中んとこまでたどり着くにはまだかなりかかるね。ま、カネ持ってもアメリカ目指したりしたら永遠に田舎者のままですが。 身につけるのがいちばん難しいのは、物腰というやつです。それは姿勢や生活態度やコミュニケーション力や表情といったものの総合、いわば人格の問題なのでね。恐らく昔の日本人は物腰が美しかったのでしょうが、どこかで捨ててしまったのかしら。溝口が戦前に撮った「残菊物語」なんか観ると美しい日本の物腰ってのがわかって頂けるかと存じますが。 会場でもう一つ目を引いたのは、みんな楽しそうだってことです。あちこちでワインやシャンパンやってるんです。それとね、タバコ吸ってるんですよ。場内でですよ。じゅうたんの上に捨てたりしてるんです。美しい女性の美しい唇が美しく吸って美しく捨てるんだこれが。うっとり。オラオラ注意してみろよアメリカ人。田舎者って笑われるぞ。そんな下品なことは言わないか。アラ大人なんだから目くじら立てないでムッシュ優雅にやりましょうよ、ぐらいかな。 商売モノのコンピュータの前でパカパカ吸ってる。そんなことしたらコンピュータが壊れるよ。って心配する方がいけない。タバコごときにやられてしまう機械がいかん。そんなヤワなマシンには大切な仕事は任せられない。パソコン君、そんなことではフランスの大人と友達にはなれないよ。いずれにしろ、酒もタバコも禁じて宇宙人みたいなカッコしたネエちゃんがマイクでがなってるショーより、こっちの方が私には健全に見えます。 パリは一年ぶりです。前回は役人を辞めて渡米する直前に来ました。それは自分の頭の中をバージョンアップするためでした。英語やフランス語という語学力を高めるって意味ではなくて、日本語をベースにして脳ミソを走る本来のOSを改訂するということです。うまいもの食ってうまいもの飲んで、風に吹かれて歩き、名画の前に座り、笑って歌って踊って、そういうことをするうちに、役人ぐらしでゆがんだ頭や胸の軸が矯正されたり、はがれた色が塗り直されたりするのです。 今はふだんアタマん中に日本語のOSと英語版のOSを走らせていますが、未だに英語版はポンコツで困ってます。でも今回はOSのゆがみを直しに来たのではなく、パワーアップのためです。ブースターつけに来たと言えばいいかな。一年たったので気合いの入れ直し。とはいえ、鴨やチーズ食って、ブルゴーニュやカルバドス飲んで、ムフタールを歩き、OECDの日本人やフランス人やシンクタンクのドイツ人と会い、イタリア人のおばさんに髪を切ってもらい、って、やってることは同じなんですが。 散髪といえば、パリで日本人むけの床屋さんやればもうかりまっせ。日本男児の硬い髪を切るのいやがるから。ハサミいかれるとか言って。それとね、ソバ屋。ないんだ、うまいのが。フランス人、ネコ舌だから(フランス料理ってぬるいでしょ)、麺のゆで方がわからんのだ。麺をうまく調理できるのは日本人と中国人とイタリア人だけだ。それから、盆栽の手入れ。ニーズあるんだこれが。 かつてパリに住んでいた頃、サンパツそばボンサイ剪定ショップが出せないか策を練った。むかし私の友人が、床屋さんとソバ屋さんを自宅の敷地内に設けるのが夢だ、そのためにオレは働く、と繰り返し私にすり込んでいたからそんな気になったのかもしれない。でも結局、私の場合、手に職がないもんだから話だけで終わってしまった。ボストンにもうまいソバ屋と床屋はないので、また考えてみてもいいのだが。なお、その友人はその後プロボクサーとなり、今は県立大学のメディア学の助教授となって、夢の実現に邁進している。 すみません。脱線しました。さて、パリ滞在。仕事もしてますよ。フォーブル・サントノレのエルメスの本社で打ち合わせ。内容は秘密。仕事です内緒の仕事。合間に竹宮恵子「エルメスへの道」に出てくる秘宝館でナポレオン三世の馬具こっそり見せてもらったり、職人さんの仕事を見せてもらったりもしましたが。 いやさすがファッション界の王者、おそれ入りました。一つ一つの製品を手作りで紡ぎ出していくこだわり。素材を育て、選び、命を与え、美を生み出していくプロセス。超アナログ。ものを「作る」という意味を立ち止まって考えてしまいました。デジタルもつきつめれば感性とか情とかアナログのところに立ち返ってくる、なんてわかったようなこと言ってると青二才って笑われそうな匠の矜持を見ました。 もう一つ仕事。科学産業都市ラ・ヴィレットを訪問。自然や科学を子供たちが遊びながら学習するセンターで、博物館と遊園地の中間のようなものです。私がいま携わってる研究センター構想と脈が通じるところがあって。パリに住んでいた頃ここが好きでよく来ていました。特に、だだっぴろいグレイの空間に、赤青黄の原色が大胆に使われているところがゴダール「ピエロ・ル・フ」っぽくてこれまたフランス的。 あと二つ仕事。現代美術の総本山、ポンピドーセンター。でもまだ改装工事中。周りをすっぽりとスウォッチの広告が覆っている。ポンピドーセンターを征服するなんて。いい広告費の使い方だなあ。それからフランスが世界に誇るフランソワ・ミッテラン国立図書館。フランスの知性の集積。暖かくてぜいたくな木の内装がデジタルな電子機能と調和している。欧米における図書館の機能と位置づけは日本では想像できないほど高い。教会と図書館、この神と文明のシンボルのあるところだけが町と呼ばれると言ってもいい。でもここも改装工事中。 工事中に行ってるんだから、仕事ではなくて趣味というべきですね。元大統領の名前を冠する両機関の前に立って深呼吸したかったんです。国家元首として歴史に遺すべき仕事、それは美と知性である。その姿勢。敬礼したい。国民にメシ食わすことと安全を保ってやること、無論それは政治の基本だけど、美と知性を立ててこそ先進国ってものじゃないですか、そういう政治の矜持がない国は単に経済国って呼ぶべきじゃないですか、どこのこととは言わないけど。 パリは何でも持ってます。文化の蓄積、産業の攻防、政治の裏表、人種の交流、生活の知恵、恋のレッスン、笑いと涙、パンとワイン。楽しいことばかりじゃないけれど、高貴なものから下品なものまで混沌としている。ゆったりした時の流れの中に、小気味いいアクセントがあって、スロー、スロー、クイッククイック、スロー、いいテンポで興奮したりホッとしたりさせてくれる。 いまサイバー空間では無数のコミュニティが形づくられています。これからの人類の富はここから生まれてきます。人は現実空間とサイバー社会の両方に身を置き、そこで働き、暮らし、遊ぶことになります。でも今のところ、新コミュニティの多くは、商売のための、速さと便利さを追求する場所です。あるいは主張と告発に満ちた緊張の空間。 私はそんな場所よりパリがいい。機能的なこと、ムダがないことだけじゃ、息がつまる。面白いこと、美しいこと、毅然としていること、ばかばかしいこと、暖かいこと、そういうことをまず大切にしたい。サイバーは、そういう空間にしていきたい。そういうコミュニティを増やしていきたいものです。スロー、スロー、クイッククイック、スロー。 そろそろ船がポンヌフに到着します。この旅も終わり、シャルル・ドゴール空港に向かうことになります。ドゴール大統領の場合は空港か。インフラだな。将軍だからインフラが似合ってるか。などと思いながら下船の支度をしていると、なじみのあるメロディーが後ろから口笛で聞こえてきた。はて、この豊かな風景と心地よい物思いにそぐわない音調だ。あっ、これ、天才バカボンだ。それも昔の。振り向くと日本人の兄ちゃんが吹いてやがる。ああっ、よせっ。台無しだっ。この旅のことを思い出すたびにそのメロディーが伴うことになるではないかっ。せめて魔法のマコちゃんとか、さるとびエッちゃんとか、メロウな名曲にしてくれっ。あああ、ばーかぼんぼん、まで吹き終わりやがった・・・ |