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中村伊知哉のボストン一夜漬け通信 98.2- 月刊ニューメディア |
第九話 99年10月号 |
■カネで買えない表現のタマシイ アラン・ケイさんといえばパソコンの父だ。ウルトラの父より偉いゼ。ウルトラの父はウルトラマンタロウを鍛えたほかは目立った仕事をしていないからな。そのケイさんがメディアラボを訪れた。Squeakというソフト開発環境をセガのドリームキャストに移植したいという。じゃあそのかわりディズニーの次回作みせて。などとタダ話をコソコソしていたら、あっちからネグロポンテさんが歩いてきた。 ケイさんを見かけて、今日はアランの誕生日だと言った。そのとたん、周りにいた人たちがヘーイおめでとう、と口々に唱えたかと思ったら、間を置かず、まるで毎朝そうしているかのように、ハッピバースデートゥーユー、って合唱が始まった。義務ではなく、心から祝っていることが皆の顔でわかる。この無邪気な好意、この反射的な間合い、この有無を言わせぬ表現、この教科書的なわかりやすさ、これがアメリカだ。私はニコニコと口パクしながら少しゾッとする。 その前日までゲーム展「E3」にいました。ロサンジェルスです。テレビゲームといえば日本のお家芸ですが、マーケットはアメリカが大きい。今年は400社1900作品が出展されてました。パソコン向けのゲームが目立ちますね、アメリカですね。スポーツものが充実してますね、アメフトとかバスケットとか、アメリカですね。レゴ、ハスブロ、マテルっていう名前が前面に出て、ゲームとオモチャの融合が始まりましたね。ビットとアトムの結合ってやつです。 そして今年のハイライトは2つ。まずは、ドリームキャストの米国発売です。映像ツールとしての性能に加え、56Kbpsモデム内蔵で199ドルというのは、インターネット王国アメリカではかなりインパクトのあるパフォーマンスのようです。これから出てくるプレーステーション2もニンテンドー64の次のモデルもDVD路線を前面に出してますからちょっと対称的な見栄え。 ただこのニッポン代表3社はいずれも、茶の間の真ん中にテレビといっしょに座って、家中の電化製品を仕切るつもりですね。アメリカの居間に電子イロリを作ろうってことですかな。そしてインターネットで家の中も家の外もグルグルと巻きつけていく胴元の座を占めようって魂胆でしょ。アメリカでパソコンに張り合おうってのはええ根性しとる。 もう一つの目玉はポケモンです。ブースは大にぎわいです。ポケモン。大変なことになってます。アメリカでも。ゲームボーイのソフトは売れてるし、テレビの視聴率は最高だし。日本でブレイクしたころ、あれにハマれる日本のキッズは大したもんだと思ってた。だがアメリカのガキどもも大したもんだ。要するにポケモンが大したもんだったんだな。 ポケモンカードの日本語版はアメリカ版より貴重とみえて、それに我が家は平均的な家庭に比べてカードが豊富なので、聞きつけた近所のガキどもが瞳の中にきらきら星つくって寄ってきやがる。物欲にかられた暑苦しい連中とばかり思っていたら、どうも私への用事はもっと深いところにあって、カタカナを教えろってんですよ。カードに書いてある日本語を学びたいってんですよ。これは「プ」ですか「ピ」ですか?ニャースのニの字はどう書くの? ううむ、ポケモンありがとう、日本がカッコイイものとしてアメリカに浸透しているぞ、これはカネで買えないぞ、殊勲甲であるぞ、女王陛下がビートルズに勲章やったように、日本国は今すぐポケモンを丁重に遇すべきだぞ。 しかし、私の関心は、それらとは別のところにありました。コンテントが質的に、美的に、深まっているかどうかという点でした。具体的には、オンラインゲームが進歩しているか、そしてゲームの色づかいが進化しているか、ということです。答えは、ノーです。 オンラインで遊ぶゲームは、ネットワークゲームともいいますが、通信の定額料金制の助けもあって、3年ほど前にアメリカでブレイクしました。ゲームの表現がこの方向に進むなら、日本はゲームのヘゲモニーを奪われる可能性が高い。 「しょせんゲームなんだから、めくじら立てなくたってイイじゃん。コンテント市場は、日本が10兆円、アメリカは35兆円ていどだろ。急成長したったって、ゲームソフトは日米ともに6〜7千億円で、まだ脇役だ。これからコンテント分野は間違いなく伸びるけど、その主役もエンタテイメント系じゃなくて、電子商取引とか、遠隔医療とか、教育とか、つまりリアルな社会活動がサイバーに置き換えられる部分だよ。」 でも、そこでどう表現するか、どうハメるか、そしてどうやってゼニを取るか、っていう技法が、ゲーム、特にインターネットで遊ぶゲームに凝縮されるわけです。サイバー産業ぜんたいのカギを握ってるのです。 しかし幸か不幸か、今回、オンラインゲームに目立った進歩は見られませんでした。ちょっと残念、ちょっと安心。電話やLANでつないでバトルに参加ってソフトはたくさんあるんですが、ネット機能はゲームの色添え程度の位置づけで、これがブレイクしてくると怖いっていうものは発見できず。どうやら、課金システムがうまく組み立てられず、ビジネスモデルがまだ成立していないようです。 より大きな問題は、美的センスです。ゲームの機械は、速さと解像度のステージが次々に高まってきています。ゲームは、立体的に、よりリアルになってきています。話題のスターウォーズもそうですが、ゲームだけじゃなく映像界ぜんたいが、CGやSFXで写実的な表現を追求しています。 でもね、リアルって、完璧になってもうれしくないんだ。少なくとも私は。ピカチュウが実写になって、毛穴まで見えるようになったとしても、それは技術がリアルという目標に近づいただけで、それがどこまで接近しても、現実や本物に到達することはなくて、ましてそれを超えることはない。リアリティーはもっと別のところにあります。 そう、リアリティー。それは私にとっては、クルマが動く速さや、登場人物の肌のキメ細かさや、血しぶきの本物っぽさということではなくて、構図の美しさや、ドラマの深さや、セリフや場面の間合いの気持ちよさといったことなんですが、それは技術というより、表現の情熱といいますか、ハードに左右されないソフト作りのタマシイが作りあげるものです。それがどうも弱い。逆行してるようにさえ思えるんです。 こーんなにたくさんの天才たちがソフト作ってるっていうのに、どーしてゲームって美しくないんだろう。特に、色。黒とピンクと緑のギトギトした毒のイロ。モネやルノワールは、いやゴダールやミゾグチのモノクロでさえ、私を愛撫してこの美しい世界にずっとたたずんでいたいと思わせてくれますが、最新の技術を駆使したゲームは、醤油とタバスコでギトギトにしたショートケーキをホレ食えって迫ってるように見える。ハマったら体に悪いってスグわかる。 「しょせんゲームなんだから、めくじら立てなくたってイイじゃん。だいたいゲームなんかガキの娯楽で、殴ったり殺したりさせてるだけなんだから、美しさなんてのはジャマなんだよ。」 そうなんだ。美よりゼニである限り、ゲームはゲームでしかなくて、いまゲームにハマってる連中のなぐさみものの域を出ない。現にマーケットは、大きくはなってもちっとも広がってはいない。芸術、なんて呼ばれる必要は全くないが、誇りや自意識がないと、表現の分野として認知さえされない。今ここがもうかるからといって喜怒哀楽の「怒」をくすぐるようなものばかり作っていると、まもなく飽和して、表現のバブルがはじけてしまうんじゃなかろうか。 ゲーム、かなり状況マズイっすよ。日本のゲームがこんなところで満足して立ち止まってしまうと、世界の映像表現は対抗軸を失って、全部ハリウッドに席巻されやしませんかね。ゲームっていう呼び方が悪いんですかね、デジタルのインタラクティブな表現をあらわす別の言葉を作らないといけませんかね。 もう一つのお家芸と呼ばれるアニメにしても、アメリカはきれいな作品を作るようになりました。3DフルCGはトイ・ストーリーやバグズ・ライフといった映画だけじゃなくて、ビーストウォーズやドンキーコングといったテレビものでも定着してます。技術的に日本は太刀打ちできなくなってるのかもしれません。 しかし、それ以上に、表現の美しさ、エレガントに魅せる意志、という点で、いま開きが出始めている気がします。これは大変。かなりゾッとする。アメリカは作り手の層がブ厚いから。そしてタマシイは、技術と違ってカネで買えませんから。助けてくれピカチュウ。 さらに、子供による銃撃事件がきっかけで、ゲームはアメリカの世間から叩かれてます。テレビでもVチップの議論が続いてますし、映画は業界が入場チェックの強化をするようです。メディアが知覚や行動に与える影響は、プラスもマイナスも両方の研究報告があって、要するにハッキリしません。ヤクザになって人殺しすることと、ヤクザ映画とは関係ないと私は思います。朝から晩までヤクザ映画ばかり見てたらヘンになるというのはわかりますが、それはヤクザ映画のせいじゃなくて、そいつのせいだと思います。でも、そう思うだけで、別に根拠はありません。私が携わっているセンター構想も、そういうことを研究しようというものです。 ただ、だからといってゲームを弁護する気にはなれないなあ。ゲーム側は、バッシングする側の危機感をしずめるだけの努力というか、自由を求めてバッシングに立ち向かうだけの武装をしてきていないもの。新参者なんだから、テレビや映画以上に努力しなきゃいけないはずなのに。研究成果が足りないとか、暴力的でないゲームだってあるとか(それにしても少ない)、そんなグズグズした理由じゃ不足。ゲームが美しくない、その断固たる事実に、私は可愛さ余ってしまい、ちょっとマジにやろうゼと言いたくなるのです。 |