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わからん、それが問題だ  96.11-98.10 マックパワー(連載終了)
第二十四話(最終話)
どの町に住みたいかは、なぜそのPCを使うのかという問いと同じです。  98年10月号
 オルセー美術館のカフェでこれを書いています。
ボストンへアパートを探しに行くのに先立って、パリに立ち寄ってみたんです。ワールドカップの優勝で、パリはナチスから解放されたときを上回る熱狂だったと聞きますが、地の果ての迷宮、成田から半日かけてシャルル・ドゴール空港に着いたときには、その余韻がかすかに残るだけで、もうみんなの興味はツールド・フランスに移っていました。
わざわざパリを経由することにしたのは、不要なものを捨てて、必要なものを取り戻すためです。職を変えるのに伴い、自分の内部というか、OSのバージョンを変更しようと思って、来てみたんです。パリ勤務から帰国して3年間の東京生活でこびりついた汚れや、14年間の役人生活で溜まったウミや、37年間の人生で溜まったセンチメンタリズムを拭い去って、そのかわりに、摩滅したパッションをほんの少しでいいから回復したかったんです。
OSのバージョンアップと言っても、システムを増設することとは違います。私はこれからアメリカで働くので、英語の勉強をしているんですが、これはシステムの増設なんですね。ふだん日本語で考えている私にとって、英語やフランス語のシステムを頭ん中に走らせるというのは、マックの最新OSと同時にDOS−Vを使わされるようなもので、実にうっとうしい限りであります。
しかも今度はそのDOS−Vをウィンドウズ2000ぐらいにバージョンアップしなきゃいけない。英語のシステムを恥ずかしくない程度にしておかなきゃならない。やむを得ない事情なのです。それが勉強というやつです。だけど言葉のOSを切り替えるというのは、アイデンティティーを切り替えることであり、おいそれとやるのは危険であります。どうも私にはそういう邪念があるので、語学が上達しません。
私がパリで作業しているのは、そういうこととは違うんです。日本語のシステムの方といいますか、マックの方といいますか、本来のアイデンティティーの側のバージョンアップなんですよ。こっちはもっと大切なシステムなので、クラッシュしてはいけません。しかも、マニュアルもないので、ひとつひとつ、ていねいに作業することになります。
たとえば、光や色、においや音、手触りやぬくもり、そういうなつかしかったり新鮮だったりする情報を、ぷつりぷつりとインプットすることで、無駄に蓄積していた情報がおいやられ、意識や記憶のほころびがつくろわれていくんです。
ガレのシャンパングラスをみつめていたり、デュフィの壁画の下にたたずんだり、陽光に輝くマロニエの間を走ったり、メトロの揺れに身を任せてみたり、朝市で買った鳥の丸焼きをてづかみで食ったり、歯の抜けた連中と下品なワイン片手に踊ったり、そんなことをするうちに、徐々にOSが上塗りされ、必要なパワーと処理速度を装備できるんです。
なんてシノゴノ言ってますが、こういうのを俗に「旅」とか「観光」とか呼ぶんですね。今回の旅の目的は、なんて聞く人がいますが、間違ってますね。旅は、旅が目的ですね。旅を目的とするものを、旅と言うんですね。
でも、困ったことになりました。ホームシックにかかってしまったんです。いやいや。東京に戻りたいんじゃないですよ。前に住んでいたあのパリのおうちに帰りたくなったんです。3年ぶりに着いたとたん、体がパリにすたすたと順応してしまうのと裏腹に、頭は出発までのカウントダウンを始めていて、その葛藤が切ない病を引き起こす。私にとって、これはゆゆしき後退であります。許し難いセンチメンタルです。が、それもまたいとおしい作業過程であって、これをいやすことでようやく新しいバージョンに移行できるはずです。
だから、歩きましょう。スキっとした夏の涼しさを浴びて歩きましょう。私を慕って注いでくる雨を受けて歩きましょう。そうすれば、思いがけない刺激や安楽が心地よいバランスで私を洗ってくれるでしょう。
ここは仕事をする場所ではありません。食べる町、飲む町。住む町、遊ぶ町。笑う町、泣く町。そう、生きる町です。「パリ」は女性名詞です。ゴダール「彼女について私が知っている二、三の事項」の彼女とはパリのことを指しています。パリは女なのです。彼女は私を包み込み、私と息づき、語り、みつめあいます。
彼女は多情です。他の人とも会話し、踊ります。そこでは、恋をしたり、けんかしたり、企みが当たってほくそえんだり、苦難に巻き込まれて泣き叫んだり、人々のそうした営みがいろんな言葉で繰り広げられています。
たしかに、速さ、便利さ、という点では、日本やドイツの多くの都会に劣ります。パリは不便で、陰険な人も多い。だけど、うきうき感やわくわく感があふれています。それは、国際都市だけがなせるわざなのかもしれません。
こんな場所にPCを持ち込むのは、お花見にスーツででかけるようなもので、カッコ悪いことです。現に、こうやって仕事をするためにやむを得ず持ち込んだPCですが、電源のソケットも、電話のコネクタも日本とは形状が違っていて、私の企みを拒否しています。そもそも、パリにはPCなんて要らないんです。それ自体が十分な空間だからです。
どの町に住みたいかは、なぜそのPCを使うのか、なぜそのネットワークを使うのか、という問いと同じです。速さや便利さという今世紀的なものを追求する人には、そういう町やそういうPCが似合っています。楽しさやぬくもりやツヤやばかばかしさを追求する人には、そういう町やPCが必要です。
これから人類は、サイバースペースを生み出していきます。ゆっくりと、無数のコミュニティを形作っていきます。私は、パリのようなネットワーク空間を作りたい。パリのようなサイバースペースに生きたいということです。
役人として最後の仕事は省庁再編でした。郵政省は総務省に衣更えし、通信・放送行政は強化されますので、結果オーライです。しかし、97年夏に行政改革会議が出した中間報告には愕然としました。それは、政府の仕事の中から通信・放送行政だけを独立委員会にしようというものだったからです。
中立で公正な委員会にするというのは聞こえはいいんですが、その本質は、行政を政府・内閣の外に追いやるというもので、行政の責任を不明確にするものです。議員内閣制の日本では、行政を政府の外に独立させてしまうと、好き放題に規制しかねないんです。それをよりによって21世紀を担う情報通信分野で責任放棄するとは。一体どういう国にしたいということなのか。私にはメッセージが伝わらないだけでなく、外国を喜ばせるだけの反国益に映りました。
その点、明治の人は偉かった。1885年、内閣制度導入に際し、明治政府は9省で行政組織を構成しました。国家の基本として外務、内務、大蔵、司法という4省を置くほか、残りの5省で国家建設をしようとしました。そのスローガンが「富国強兵」ですね。「強兵」のために、陸軍省と海軍省。そして残りの3省で「富国」を図ります。それが、農商務省と、文部省と、逓信省です。逓信省というのは、今の運輸省と郵政省を合わせたものです。つまり、「産業」と「教育文化」と「ネットワーク」の3本柱で国を潤わせようというのです。何という明確なポリシー。明確なメッセージ。
私は官僚でしたから責任がありますが、自分の子供はこんな展望を欠いた国家に住まわせるわけにはいかない。それが当時の正直な気持ちでした。結果的には、まだこの国にも良識があると安心しましたが、明治の人たちのように、しびれるような美学を示すことはできないままです。
子供とメディアの未来を研究するのが、次の私のテーマです。ネットワーク社会を構築するのも、新しい表現を開拓するのも子供たちです。子供たちに、どういうネットワーク空間を提供してやれるか。それだけが大人の使命だと私は思っています。それを軸に据えた国のかたちを描きたいものです。
七夕に次男が幼稚園のたんざくに「おおきくなったら、みどりヨッシーになりたい」と書きました。みどりヨッシーになる意義は私には理解できませんが、彼なりの考えがあってのことでしょう。なれるといいね、みどりヨッシー。ほかには、はいしゃさんやせんせいというのに混ざって、セーラームーンやにんぎょひめという願いもありました。「しとかげ」というのもありました。リザード、リザードンに進化する前の「ヒトカゲ」のことでしょう。めちゃ江戸っ子やのー。「しなげひの花」とか歌いそうやな。
キャラクターものになりたいというのは、ひょっとすると日本の子供たちの特徴かもしれません。日本型の情報社会、アメリカ型の情報社会、フランス、ブラジル、ザイール、中国、いろんなタイプの情報社会があるでしょう。それらをつなぐ美しいネットワーク空間を開拓したいものです。
日本はこれからどこに向かうのでしょう。橋本政権に終止符が打たれ、小渕総理誕生へ。ホテルのテレビがトップニュースで伝えています。世界中が注目していることがよくわかります。私はいつも蝶ネクタイ姿なのですが、数年前にNHKに出た直後、それを見ていた自民党・小渕副総裁から呼びつけられたので、俺は何か失言してクビかなと思いつつ出向くと、「君はいつも蝶ネクタイにするように」とだけ言われ、なんだかあったかい気持ちになって、だからそれからずっとそうしてるんです。
これからミラノに向かいます。ミラノは、コンパクトで、無骨な町です。次にニューヨークに向かいます。大雑把で健康的ですが刺激にあふれる町です。どっちもヘンなところです。だからきっと、OSの上塗りができるでしょう。ボストンには、それから入ります。
CDをかけながらクラリスワークスで作業するように、町をさまようときには曲を体内に流します。ピエールバルーの愛したフューステンベールというカルチェを探り当てることも今回のパリ滞在の目的だったので、歩く間ずっと彼のムシュー・ド・フューステンベールという曲を流していました。あとは、ブリジット・フォンテーヌのブロンシュ・ネージュという曲を口ずさんでいました。ミラノでは、マティアバザールを流しましょう。ニューヨークでは、トーキングヘッズのヘブンを流しましょう。
ボストンでは何を歌おうかな。どう生きようかな。どきどき。わくわく。それは、自分の新システムが安定したら、また改めて報告することといたしましょう。苦しいこともあるだろさ。悲しいこともあるだろさ。だけど楽しいこともあるだろさ。一体どうなることやら。わからん、それが問題だ。
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