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わからん、それが問題だ  96.11-98.10 マックパワー(連載終了)
第二十話
せめて私だけは、メシ食って、寝る時間を増やすためにPCやりたい
98年6月号
○京都の冬は寒い。一乗寺の狸谷不動院の坂を下りると空手道場があって、小学生で通っているのはボクとダイモンとクニちゃんの3人。ダイモンは学校は違うが同じ年で、道場では新米だ。青白くて、すぐ鼻血を出す。クニちゃんは2つ上なので、床のぞうきんがけはボクとダイモンがやる。そやのにまた今日もダイモンはさぼっとる。
○アリの隊列を虫めがねで順に焼いていったり、2B弾をカエルの口につっこんで腹を破裂させたり、ねこをコエダメに落としたり、そんなことを通じて、世の中との距離感を学んでいた。京福電鉄のレールに置きクギして手裏剣つくったり、歯医者の庭先に煙幕を投げ入れて消防車が来たり、そんな悪戯ばかりして、いつも怒られていた。
○ボクの自転車は22で、クニちゃんのは26。大きい方が偉い。ボクは足がとどかないくらいサドルを高くして、ホンマはこれ26なんやでとイキっていた。タイヤのインチ数とは知らなかった。銀玉鉄砲をハンドルにしばりつけて、いつでも戦えるよう装備していた。
○クニちゃんといっしょにダイモンのアパートに行った。ダイモンは、坂に傾いて建つ小さいアパートの北側の1階に住んでいる。道の向かい側から、ダイモンのアホー、と小声で言った。ダイモンのアホー。空手さぼるなー。ぞうきん手伝えー。
○そのころは、道に、石ころがたくさんあった。クニちゃんが、投げてみい、ドカタ(ノーコンの京都弁)にはムリやろけど、と挑発するので、ボクは自転車を降り、こぶし大の丸い石を拾った。ダイモンのアホー。投げた。
○石は、窓の珊を直撃した。どういう普請なのか、窓ごと部屋の中に落ちていき、どんがらがしゃん、音がして、ウワというダイモンの声が中から聞こえた。気がつけば、クニちゃんは坂のずっと下まで全力で逃げ去っていた。

●夜明け前、帰り道、六本木。リンゴをつまみにカルバドスを3杯。明と暗。いいグラデーションだなあ。原料と成果。じゃあ親子丼に近いイメージか。それとも、ぶどうをつまみにワインを飲る感じ。絵になる?コーンをつまみにバーボンを飲る感じ。渋い?あっ、ゴハンつまみに日本酒のむのと同じか。カッコよくないな。ザ・パンチャーズのMr.オクレはメシをオカズにゴハンを食べるという哀しい話を思い出し、帰る。
●欧州風味を求め、スイスの保養所の名を冠する麻布のパン屋さんに立ち寄る。だがそこはニッポンのパン屋であった。黒ゴマあんぱん、ゆずあんぱん。和洋折衷ではない。和洋融合である。異文化を融合させて、新地平の味覚を開拓している。やきそばロール。かつてシティーボーイズがこれを主食と主食のドッキングであると分析していた。ゆでたまごも売っている。なぜここでゆでたまごなのだろう。誰が買うのだろう。深いものがある。

「融合ですか。ハードは融合してます。CATVはインターネットと結合してます。セットトップボックスはテレビとパソコンを合体させるものですな。ネットワークもプラットフォームも、放っておいてもくっついていきますな。それがマルチメディアってものだからです。
 ウェブのデータ放送もあります。通信のコンテントを放送の電波で流す。通信と放送の融合ですな。でも、これはまだ本当の融合ではない。逆です。放送のコンテントを通信で流すこと。これが融合の本質です。これは自然には進みません。意志と力が要りますな。ネットワークを太くすることと、テレビのコンテントをデジタルにすること。
 うんと太くて安い回線がほしい。電話会社のCMは、どれも安さばかりを訴えてます。まあ、通信は道路ですから、いずれ電話料金はタダになっていくのかもしれません。しかし、太くするには投資が要ります。太さと安さが一気に進むことはなさそうですな。とりあえず太くするためのASDLも、モデムが3万円程度になってきたというのに、日本での導入は遅れてるでしょ。日本の場合、コンテントの流通は、デジタルの衛星やデジタルの地上波で、つまり放送系を中心に進むしかないのでしょうかねえ。下りはデジタル電波とDVD、上りは細々とした電話回線、そういうことでしょうか。
 テレビのコンテントをデジタルにするのはどうでしょう。放送のデジタル化というと、電波を分割してチャンネルを増やすことと見られがちでした。でも、アメリカのコンピュータ業界が情報家電の戦略を明確にするにつれて、ようやく日本でも、本質は、テレビのコンテントとコンピュータをめぐる話であることが理解されつつありますな。やるかどうかは、映像ソフトをネットワーク時代にどう利用していくかの問題です。自分の映像資産をどう展開させるか、というテレビ側の意志の問題なのです。」

○身を切るように風が冷たかった。クニちゃんを追いかけて、ちびっこ公園でコント55号ごっこをして、木の電柱についていた電球を小石で一個割って、日暮れを待った。大黒湯の前の踏切を、一両編成の電車がゴト、ゴト、と静かに歩いていた。まだパンタグラフはポール式だった。互いにダイモンのことは話さずに、帰った。クニちゃんとボクは、線路わきにある同じアパートに住んでいた。
○アパートの前に、達ちゃんとアイさんが待っていた。達ちゃんは工業高校を出たばかりで、いつも工員服を着ている。旋盤工か何か、ちゃんと仕事をしているんだと思う。こんど黒帯の試験を受ける。甘酒をおごってもらったことがある。
○アイさんは、お菓子やさんで、ガリガリだったが、奥さんは水牛のような人だった。だから空手を習い始めたのだろうが、とうに40を越えており、不器用で、見込みはなかった。5歳くらいの凶暴な一人息子がいて、店のアイスキャンデーを勝手に開けては、食べかけを元に戻しておくので、そこのアイスの冷蔵庫は常にベトベトだった。いつもパッチ(ももひき)姿だからか、パッチめいわくと呼ばれていた。名前は知らない。
○バレていた。達ちゃんとアイさんは、ダイモンの窓、いわしたやろ、と言って、クニちゃんとボクをボコボコにした。ダイモンは病気なんや。体よわいから道場かよっとるんや。あのとき寝とったんや。親子で一部屋に住んでんのや。ダイモンが布団広げてるから狭いやないか。いきなりアタマから窓が落ちてきたらビックリするやないか。鼻血でるやないか。と言って、ボコボコにした。

●同僚とあんこう鍋である。食卓を囲むという共同作業は、コミュニケーションの一形態である。メシさえ一緒に食えば、そいつとは兄弟も同然である。とりわけ、参加者が調理も分担する鍋料理はインタラクティブ度が高い点でマルチメディア的である。魚の食い方を熟知している日本人の高級なメディアである。この点、肉に砂糖をぶっかけてしまうスキヤキは、まだ肉の食い方に乏しい民族性を露呈するメディアである。いとうせいこうさんの名著「スキヤキ」にあるように、せめて格闘技ゲームとして参画すべきである。
●日本文化を探求するため、昼休み、役所の会議室で、日清どん兵衛きつねの関東版と関西版を試食。わかったこと。しょうゆ系とだし系の画然とした文化の差。どっちもステキな日本であること。2個食うと腹いっぱいになること。

「格闘と異文化ですか。ベルサイユ条約を締結したホテルで食事したことがあるんです。1919年、一次大戦後のパリ講話会議ですな。欧米列強が帝国主義を終焉させて、多国間のパワーゲームに突入する真ん中に、遅れてきた近代帝国主義者の日本が飛び込んじゃった。しんどいことになりましたな。
 今、日米欧のメディア業界は新しい合従連衡の嵐です。パワーゲームです。ただ、世界大戦の頃と違うのは、今はアメリカが一人勝ち状態だということです。日本は、何でも作る大メーカーが世界の中で戦ってきました。80年代は強かった。油断した。そこに勃興したアメリカの専門企業たちが、ネットワークやソフトの分野を猛然と席巻していったわけですな。
 だからといって、あわてることはありません。確かにPCやインターネットは出遅れた。でも、ゲーム機の普及はアメリカでは3割、日本では7割です。遅れているというより、違う、ということなのです。日本はテレビの国ですから。受け身体質で、均質な文化で、映像表現が豊かな社会ですから。
 自分にジャストフィットするメディアをデザインして、使いこなせばいいだけなんですが。等身大のシステムとでも言いますか。先進国なんですから、背伸びしなくてもいいんです。ただ、自分のことはよく見えない。鏡が曇ってます。戦後、日本人は生きざまをなくしましたからな。近代の進化論が世界中でゆらいでいるというのに、日本だけは科学と経済の進歩を盲信していくんでしょうな。
 先日、ある調査報告を読んでいたら、ここ数年で日本人は、睡眠、食事、くつろぎの時間を減らした一方、仕事と通勤とPC・インターネットの時間を増やしたそうで。これからもそうやって生きていくんですかな。せめて私だけは、メシ食って、寝る時間を増やすためにPCやりたいものですな。 」

●かつて家族でカンヌに行き、テレビ番組の売買展に参加した。パリへの帰路、車、息を飲むほど美しい町、ルルーシュ「白い恋人たち」の舞台、グルノーブルから、水の町、エビアンに向かう。その途中の山中、腹が減る。寒々とした村。カフェが一軒。オヤジが一人。定食は二種。ぼくはカルパッチョ。あれっ、コレ何の肉?「ダチョウです、ムッシュ。」女房はハンバーグ。ありゃ、この肉、焼いてない!「焼かない方がおいしい肉です、マダム。」何という豊かさ。恐れ入りました。
●ヨーロッパをうろついていたころの思い出は安いものばかりだ。コルシカの山頂のパテ、ベネチアのマカロニ、ストラスブールの煮込み、ドルドーニュ河畔のフォアグラ、ブラッセルのムール貝、インバネスの鹿、マリエンバードの川魚、ヘルシンキの地鶏、ミュンヘンの白ソーセージ、コルドバのガスパチョ、リスボンの焼き魚、イスタンブールの焼き肉、アテネのスブラキ、エーゲ海のタコ。ああうまかった。
 で、今、何たべたい? そうねえ、もっと安いもの。屋外の市場で売っていたあれこれ。キノコ屋の盛り合わせ、ブタの耳、羊の脳みそ、ハトの丸焼き、こってり濃い牛乳、黄身がぴーんと立つタマゴ、小ぶりのイチジク・・・

○しばらく道場を休んだ。一週間後、達ちゃんがアパートに来て、ダイモンが九州に引っ越したと告げた。病気のせいなのか、家の事情なのか、ともかくダイモンはいなくなった。ボクはひとり自転車で坂をゆっくり上がり、ダイモンのアパートに着いた。窓には青いビニールが画びょうで張ってあって、木枯らしにバタバタ音をたてていた。石を投げたのと同じ場所から、ダイモンすまんな、と小声で言った。
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