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わからん、それが問題だ  96.11-98.10 マックパワー(連載終了)
第十二話
DJというのは、まさに情報の抽出・編集だ。彼らは、わかってる   97年10月号
 出雲にいる。神無月に神々が集まる出雲大社は、深い緑におおわれて厳然とそびえる。
 天に突き抜けるオープンな聖地にたたずみ、さわ、さわ、としか流れない時を味わう。
 悠久の時間と、とてつもない空間が、ちっぽけな自分の存在を洗い流してくれているのがわかる。
 4時に退庁し9時に登庁するという貧しい日が続いているが、松江に用を作り、無理に東京を出た。アクセントをつけたかった。パリから戻り2年になるが、その間、ほとんど移動していない。東京を出たのは昨年、長野県佐久市の情報化委員会に出席した時だけだ。動いていないからモノが見えなくなっている。じっとしているから背中が丸まっている。羽田に向かうモノレールから目をやると、屋形船が川面で身を休めている。そうだ、ああやって、日々動き、休みを作り、その刹那はおてんとうさまの下で悠然としていなければいけない。
 新幹線の駅のようになってしまった羽田空港のソニープラザでオランジーナ130円を飲む。パリに赴任した際、降り立って最初に飲んだやつだ。フランスを想い、少しやわらぐ。私の幸福など安いものだ。
 ヨーロッパにいたのはほんのわずかな時間だったが、だからこそあちこち動き回った。動くことで、日常と非日常のバランスを取っていた。日常を安楽と錯覚しないようにするため、刺激をむさぼっていた。人は日常や規範に閉じこめられると、他人や自分を傷つける。14歳の少年も団地妻も公務員も同じことだ。自分で脱出するしかない。
 ハイウェーを飛ばし、町を訪れ、山を越え、森を抜け、川を横切り、フェリーで海を渡った。プロペラやら軍用機やら色んな飛行機に乗った。思えば飛行機に乗るのも久しぶりのことだ。そうだ、かつて地域情報化を担当していた頃には日本各地を動き回っていた。函館日帰りという哀しい出張もあった。仕事だからやむを得なかったが、動いていない今よりはまっとうな顔つきをしていたと思う。
 眠いので空港の喫茶店でコーヒーを頼んだ。色が黒いだけで水のニオイがするぬるい湯だ。ソファが豊かな分、コンテントの貧しさが際だつ。ふらりとカフェに立ち寄り、エスプレッソをダブルで所望したいところだ。いや、パリの労働者が朝っぱらよくやっていた、カウンターにすっと立ち、無言のうちに出されるコニャックをカッとあおって出勤していく、あれを真似てみたい。
 出雲は晴れていたが、松江に向かうと雨となった。雲が濃く、速い。台風が来ているらしい。宿に入り携帯を見ると圏外とある。電波が届かない。ああ、東京は私をつかまえることができない。私は解放されたのだ。
 エーゲ海の小島で、真っ白な光の中、キリキリに冷やした白ワインをガバガバやりながら、携帯で東京に業務報告をしていた時、私は解放されていると感じていた。それは誤りだ。そこに電波がある限り、私は監視されている。逃げる、というのは、遠く離れることではなく、情報を遮断することだ。無論ここにも間もなく電波は届く。人の住む所、空気や水と同じように、電波は届かなければならない。サラリーマンは、電源を切る勇気がないことを電波のせいにすりかえてはいけない。
 東京の私は情報過多にある。官庁は巨大なデータベースであり、私のポストは省ぜんたいの情報が紙や電話やLANで刻々と流れてくる立場にある。新聞、経済誌、業界誌。法律や政令の案文。国会や地方や海外の動き。研究会の報告書や審議会の答申。許可や認可の稟議書。職員の海外出張の稟議書。この間、一週間放っといたら、処理すべき文書が1メートルの高さになった。役所の文書1メートルでっせ、マンガ1メートル読むのだって大変ですよ、アンタ稟議書1メートル読んでみなはれ、脳みそウニになりまっせ。それに電話もファクスも来るし、MLに5つ所属していてメールも日に100通ぐらい届き、その中には、このURLを見ろなんてのもイッパイある。だから、私にとって情報はどう集めるかではなく、どうやって捨てるかが勝負だ。
 今の私に必要な情報は、仕事以外のことだ。映画のこと、音楽のこと、マンガのこと、ボクシングのこと、こういう情報に体系的に接していないと三半規管のリンパ液が干上がってしまうタチなのだが、今まさに干上がる寸前で、バランスを失して転びそうだ。
 ネットサーフィンする気力のない私にとって頼りなのは、オタクだ。信頼できる人をつかまえて、信頼できる情報を教えてもらうのが一番速くて確かな手段だ。サイトはオタクが作っていて、ウェブはオタクの海だが、連中は肝心なところを隠し持っているので、結局、海を泳いでオタクをつかまえ、直接聞くことになる。
 ある分野の情報を総覧しておかないと気が済まないというのは、我々の世代までの性癖かもしれない。しかし、映画にしろ、ポップスにしろ、マンガにしろ、ジャンルはどんどん細分化し、多様化している。これをぜんぶ把握した上で自分の趣味のポジションを確立し、納得する、という作業はもう無理だ。
 ウェブ世代は、全体のことなんかおかまいなしに、自分のアンテナにかかった気持ちのいいものだけを選び、満足する。部分でいい。これは、中央処理型の世代と、サーバ・ルータの世代との根本的な違いだ。最近、自分が全体を把握できなくなって焦っているのは、私がインターネット世代ではないことのあらわれに違いない。
 情報の海をナビゲートしてくれる編集者が重要になる。ネットワークが発達して情報が増えるほど、情報を選んだり捨てたりする人やソフトの価値が高まる。若い世代にいちばん人気がある職種はDJだという。ディスコやクラブのDJというのは、まさに情報の抽出・編集だ。彼らは、わかってる。
 酒がうまい。どこに行っても酒はうまい。酔っぱらえばもうけものが信条なので、スコットランドやハンガリーあたりで強い地酒に出くわした時にはもうかって仕方がなかったが、ベルギーやチェコあたりのビールはなかなか酔えず損した。ボルドーやブルゴーニュのぶどうの赤や、シャンパーニュのぶどうの白や、日本各地のコメの白は、度数は強くなくても、舌にころがしたとたん、天と地と人の深い恵み、命の水の神々しさに昇天する。
 外はもう闇だ。浴衣にゲタに番傘で表に出た。風が強い。闇のあぜ道、雨の向こう、ごうごうと鳴るのは小川か、連なる土手か。その奥に、緑の光が数個、明滅する。いちめんの草の中を、すい、と流れるものもある。ホタルだ。荒々しい暗闇に異性を求めて妖しく光る。悦んでいる。泣いている。電波の届かない山村にたたずむ私は、命の水に昇天した私は、思う。情報化だ、科学技術だ、21世紀だ、それは、あのホタル一匹に、命をかけて輝くあのホタルに、かなわない。
 松江城の朝は泰然としている。天に向かってそびえ、地を見おろし、町と同化している。城を軸とするパノラマは、この町が城を慕い敬っていることを語っている。ストラスブールの教会も、ミラノのドゥオモも、その一点が町ぜんたいの同意でせり上げられたように、ごく自然に天に向かっている。訪れた者の礼儀は、登ってみることだ。桐の階段を昇り、天守閣のてっぺんから、臨む。お濠端の松は修行をくりかえしたかのようにたゆみ、その頭の枝ではトンビが空模様を気にしている。台風はまだいるな。その先には宍道湖がゆったりと広がる。屏風のような山々は雨にしっとりけぶっている。
 なぜこうも気が休まるのか。移動したからか? いや、それとは別種の安堵感だ。故郷の京都やかつて住んだ登別のような安らぎがここにはある。そうだ。山と水のせいだ。いくら歩いても山が見えない東京やパリとの違いだ。城下の坂路を下りながら、こう考えた。常に視界に山がある。そばに水がたたえてある。それがなければ窮屈だ。兎角に首都は住みにくい。
 そぼ降る雨。錦鯉が親しげに寄ってくる池の脇で、飛び魚のかまぼこと、とびきりのソバをやるうち、身にしみた。豊かだ。豊かな国だニッポンは。そして、美しい。美しい国だニッポンは。このまま台風がいてくれたら飛行機は出ない。私は、堂々ともう一日ここにいられる。おてんとうさまに、切に願う。
 で、ようやく仕事、県庁の、デジタル化とか、規制緩和とか、シンポで、あれこれ、こちとら、本業で、芸人ですから、公務員で、ノーギャラで、慣れたもんで、しゃべりまっせ、テンション高う、お客さん、若い人多い? ほなら、たまごっちのことでも、古い? 今はポケモン? ひょっとしてクレクレタコラ? 県庁さん、ハイビジョンやったはんの? ハイビジョン、ほめとく? センセ、映画のこと? センセはCATV? センセは衛星? ほなら私インターネットね、パソコン持ってきたらよかったかな、県庁さん、マック使たはんの、けなげやねえ、いやいや、ホンマ、あーウィンドウズも、あーそーいえばアキアの飯塚さんに空港で会うたわ…
 どうも今日はこういういつものノリにならない。落ちついてしまっている。今日の私は無口だ。いいことだ。山と水のおかげだ。
 シンポが終わると、台風はどこかに消えていた。つれないやつだ。県庁の方に聞くと、飛行機が出るという。松江から東京まではあっという間だった。気の進まないままタラップを昇り、シートベルトを締めたとたん、羽田に着いた。
 ああ東京だ。塚本晋也「TOKYOフィスト」が描き切った暴力都市がここにある。安っぽい昼夜に、非日常の濃縮エキスを一滴たらせば、すぐさま狂乱の日々になだれ込める危うい町だ。騒音に立ち、叫ぶしかない。
 夜だが、まだ9時だ。仕方がない。帰ろう。役所へ。上司や同僚が待つ部屋へ。通産省や大蔵省や農水省のカベと蛍光灯だけが見える机へ。今日は金曜日だから、明け方まで仕事は続くはずだ。さあ、楽しく行こう。テリー・ギリアム「未来世紀ブラジル」の情報省に勤める人々のように。
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