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わからん、それが問題だ  96.11-98.10 マックパワー(連載終了)
第七話  ネットワークは空間を紡ぎ、時間を織りなす   97年5月号

 アバンギャルド? 逃走! あこがれ? きらめき! Non! バキューン!
 センチメンタル。

○お客さん。役所の人? 公務員には景気ってわからんでしょ。安定してて。ぼくらはね、毎日、肌で感じてんすよ。こうやってタクシーの商売してっとね、ああ今日はおこぼれがあったとか、今日はなかったとか。

◆「芦屋雁之助のことやけど。裸の大将、当たり役や。あれ、どない思う。あのひと、むかしはスゴイいやらしい大阪のオッサンていう感じやったやろ。そやけど、あのあと、そういうヘンな役でけんようになったやんか。ぼくら、ものすごいことゆわはる、ぎとぎとした雁之助も見たいんやけどな。本人も不自由とちゃうんやろか。」

…田淵という長身スリム俊足スラッガー美形キャッチャーがオールスターで江夏の9連続三振を達成させたあの夏の瞬間ぼくはお菓子やの山口君ちのテレビの前でクワガタ採りを誘いに来ていたことも忘れて恍惚としていた。
 法政時代に啓示のごとく開眼したというあの鳩がふわりと舞い上がるようなホームランが減ったころからモデルにされた4コママンガを描いたいしいひさいちが夜行7号に登場したころ高校球児だったぼくは腰を痛めたせいで投球フォームを映像として描けなくなるという精神バランスの不安定にさいなまれてボールを5メートルも投げられなくなり根元的な自己不信にあった。…

◎「掃除機も、クルマもそうたい、チップで動くとですよ。コンピュータですけんね。ウチの炊飯器、リンゴのマークばついとうと。純正やきね。ワシもコンピュータばなりとうてな。努力したと。まず人格ば否定せんといかんけん、部品になろう思たばい。見てみんしゃい。脱着可能。機能的なよか歯たい。」「単なる入れ歯でしょうに。」

●表現するというのは不幸なことである。
 民族の記憶や歴史の刻印に呼びさまされて、自意識が奔流し、血がたぎる。無自覚に生きるのでは足りない。何かを叫ばなければならない。だから表現してしまうのだ。
 表現者にならずに済むということは、コミュニケーションが不要であるということは、平穏で幸福なこと。

「ほんでな、オウムの支部が来よったんや、2階に、部屋借りて、5人位いよんねん、若い子ばっかりえ、看板もちゃんと出しとんねんで。」



 平和? 肉体! 革新? 感染! Non! バキューン!
 海の向こうに。

○キツネっちゅうのは、小動物っちゅうんすか、平和主義なんだよね。トラはね、鹿つかまえて、内臓だけ食っちゃう。内臓がうまいんだ。キツネは手足の肉だけ、おこぼれに預かるんです。食えない日もあるけど、平和でいいや。

◆「水戸黄門の東野英治郎もそうや。あのオッサンも酔っぱらいの役とかやってるときはえげつなかったで。黄門様なんかやったら、他の役でけへん。もったいないで。
 渥美清なんか見てみい。寅さんて、昭和風俗の記録映画や思たら許せるけど、みんなでよってたかってあの役者とじこめてしもとったんちゃうか。」

…貴公子のような風貌ながらニカラグアの不沈艦と恐れられたアレクシス・アルゲリョが74年にフェザー級のタイトルを奪取したルーベン・オリバレス戦で見せた完璧な右ストレートはアルゲリョの中であらかじめ完成されていたシルエットを早回しで再現したものにすぎない。
 羽生名人の中に静止画としてインプットされている過去と未来の棋譜は対戦中に自在に引き出されて現実の一手を形づくる。…

◎「この腕も、こげに、取れるとですよ。」「あっ、義手でしたか。」
「デジカメはまっことマウス、キーボードのごたる。基本入力。装着できる眼。ワシも眼ば脱着できると。どげんね。」「うわっ、義眼か。百鬼丸みたいっすね。」

●映像でコミュニケーションがなされるということは、言葉の論理に通じていなくても、
あらゆる人が思いのままに表現することを可能とするということ。
 それは同時に、表現することを万人に強いること。自分と表現との間に横たわるベールをはぐこと。自己をさらけだすことを拒否する理由が失われる。

「気色わるいさかいゆうてな、町内の人あつまっていろいろ相談してるうちにな、団結してなあ。前はウチの町内、仲わるかったのになあ。東京からテレビさん来はってな、ずっといたはるわ、取材したはんねん、にぎやかえー。」

 征服? 断絶! 廃棄? 絶頂! Non! バキューン!
 溶けて流れて。

○でもねえ、お客さん。家庭の平和っていいますか、だんらん、ってのが最近なくなりましたねえ。ウチも、この間まで、ご飯たべてからみんな一緒にテレビ見てたんすよ。子供がね、もう一台テレビ買えって言いやがって、それやっちゃうと家族がバラバラんなる気がして買わなかったのね。
 でね、今度はパソコン買えって、パソコンとテレビは違うよ、って言うもんだから買ったらさ、一瞬でしたよ。もうパソコンばっかりやっちゃってさ。バラバラよ。

◆「そやけど、渥美清みたいな土着の顔がおらんようになったなあ。日本人なんか中途半端に西洋化したら世界に通用せえへん。思いきりローカルやから世界的なんやけどな。アメリカに西洋で対抗しても勝たれへんけど、土着なら負けへんやろ。
 パゾリーニに出てくるローマの土着の連中て強烈やんけ。フェリーニに出てくるやつらもそうや。フェリーニの場合は自分が好きな女あつめて撮っとっただけかな。」

…オーシャンクラブは健保会館1本めを左に入った2軒めの庭がのぞく建物だと無線で同僚にすらすら答えるタクシードライバーに埋め込まれている魔都の風景は自在に言葉に置き換えられて夜を走る。
 日本人に日本語で道を尋ねると誰もが地図を描いて説明してくれるというのは外国人にとって脅威的な映像能力だということを知らない日本人はしばしば外国の街角で地元民に道を尋ねられてしまうが言葉がわからず用を足さない。…

◎「コンピュータのスゴカとは、頭脳ば、チップやとかメモリーやとかOSとかっちゅうもんで取り替えられるところたい。記憶も人格も変えられると。体格も。ワシも、よかね、見んしゃい、頭ガイコツ開けて、よかっ、脳内モルヒネばじゃぶじゃぶ出して、よかよかっ、ぐっぽんぐっぽん音するやろウハハハほーんなこつ気持ちのヨカ〜」「うわーやめてくれー」

●作者は作品を作り、メディアを通じて一方的に提供してきた。だが、インタラクティブな表現が可能となると、作者と作品、作者とオーディエンスといった関係が崩れる。作家が作品を作る過程と、オーディエンスが観賞する過程とが交差するからだ。
 製作と観賞はネットワーク上で同時に行われる。製作と観賞とが同時進行する過程さえ作品となる。時間が作品となる。完成したとたんに、もはや存在しない作品の存在。

「みんなして、わらびもち作ったりな、おでん炊いたりしてな、順番にオウムさんとこ持ってくねん、ほんでな、あんた、おとうさんもおかあさんも泣いたはるえ、おでん食べよし、ゆうて、説得すんねんけど。
 オッサン連中はこういうの全然あかんわ。理屈で言い負かされて帰ってくんねん。わたしらオバサンの方がな、強いで、負けへんもん。」



 月? 赤! 波? 夢! Non! バキューン! バキューン!

○平和って、平和なところにいるとわからんでしょ。戦争でもあればね、平和がくるとああうれしいって思うんでしょうな。平和なときに、平和を願う、っていうのは、戦争を期待してることになるんですかね。
 こないだラジオで、戦争って、人口を調節するためのものだって言ってたな。社会にはバイオリズムってのがあってですよ、経済がうまくいく時期と、文化がうまくいく時期とが、国によってズレるんで、そういうのを戦争で一斉にチャラにするなんてことも言ってたっけ。

◆「顔がおらんのう。黒沢の、隠し砦の三悪人に出てた、スターウォーズのモデルになった藤原釜足みたいな。上田吉二郎。伊藤雄之助。左卜全。殿山泰治。田宮二郎。岸田森。成田三樹夫。フランキー堺。川谷拓三。うーん、顔を思い出してたら、なんか暖かい気持ちになってきたど。」

…ギターでしか表現できないうねりを奏でるジミー・ペイジにあこがれるなどと言いながら私が実践していた速弾きのコツは自分の指づかいを動画で想い描くことだというのは実はあのねのねの清水国明が語ったセリフだったというのはここだけの秘密だ。
 ドラムスのフレーズを作る場合にはドンスコタスチチドドンツパスチーという具合に口で言えるか叩いている自分の絵が想像できるかでないと無理だとバンパイヤのバーシが言っていたことからするとマッハGoGoGoのイントロなんかは無理じゃないか。
 だから早稲田に行くはずだった桑田をいつも見つめているというもう一人の桑田のイメージどおりに放つ白球を自分の映像として構想できた瞬間に清原は歴史に残る打者となる。…

◎「さいきん意識ばあっちこっちに飛ばしとうばってん、イスラエルの軍事衛星24個ばかり時間軸の周りばダ円状に回っとうたい、ハックしとると、意識の飛んどう瞬間の位置ば1ミリ秒単位で測れるけん心配なかろう。スパイダーたらいうエージェントば送り込んで全時間の情報あつめて、コラッ、逃げんと人の話きかんね、オイッ、この頭ばなおしてくれんね、オーイ。」

●ネットワークは、関係をつなげていくもの。リンクが本質。リンクするセンスのみで成立する表現こそがネットワークの思想。無数の他者が提示する作品を、リンクという編成で構築しなおすこと。空間を紡ぎ、時間を織りなす。

「毎日テレビ映る思て、藤井さんとこのおばあちゃんなんかスタスタ歩くようにならはったんえ、寝たきりゆう話やったのになあ、古賀さんとこの奥さん、そらあんた化粧ものすごいえ毎日、ゲハハーて笑う人やったのにこのごろオホホて笑わはんねん、テレビの人らにもおでんあげてな、まあ、あたしかてクツみがくようになったしな、みんな急に掃除するようになってな、町もなんやキレイになったんえ、あんたも早よ帰っといない。」

 日常。日常。日常。Non! バキューン! バキューン! バキューン!
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