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REPORT
インターネットが変えたもの、 変えるもの
マックパワー 99年7月号 インターネット特集
●本当の私

 自慢じゃないがずっと学校ギライだった私は、学校に就職した今も学校に通うのがイヤだ。だから研究室にあるモトローラ社製のMac OS互換機はあまり触っていない。たいていは、ボストン郊外に借りた陽のあたる家で赤いiMacを相手にしている。とはいえ、そのほとんどの時間はiMacを素どおりして、インターネットの向こう側のどこにいるのか知らない人との対話やどこにあるのか分からないWebサイトへのアクセスに費やしている。
 風呂の水が流れないのでロンドンに住むキプロス人の大家さんにメールを出したら出張先のウラジオストクから、「そんなことよりユーゴ情勢だ」という返事が来たから議論となる。中国とインドの映画市場の資料を探してあちこちのWebをうろついていたらいつの間にかアメリカにサーバーがあるとおぼしき日本語のエロサイトにはまりこんでしばし過ごす。
 アメリカは電話代が定額制なのでインターネットはつなぐほど得になる。さらに最近は、高速通信回線「ADSL」とCATVの競争が本格化してきたので、ネットワークはぐいぐい安くなってきている。私が加入したCATVは1.5Mbpsの通信速度で月30ドル。日本の100分の1ぐらいの安さですな。あるいは100倍の速さというべきですかな。コンピューターもチップの処理速度よりモデムの速さのほうが大切になってきた。
 ところが、問題は赤iMacとメーラーの仲が悪いってことで、1日に20回はフリーズする。電源切って、入れて、立ち上げて――そのロスは膨大で、トータルな効果は悪くなった。Power Book 2400cをダイヤルアップでつないでいれば、遅くても裏切られないので精神的には安定するから、大事な仕事はこっちでやっている。これではまだ私はインターネットと肉体関係を結んだとは言えない。
 ただ、インターネットで私が変わりつつあるのは確かだ。仕事は無論メシの出前も、本や文房具を買うのも、医者との相談もオンラインで済ませて日が暮れる。これを読んで、部屋の中でじっとしている青白い私を想像するだろうが、実はおかげで活動的になった。どこにいても用が足せるので、どこにでも行くようになったからだ。いまこの原稿は、西海岸のゲーセンに遊びに行く飛行機の中から56kのモデムで衛星に飛ばしている。
 変身しつつある私。それはリアルな私よりサイバーな私が本当の私になることでもある。この身はブラブラ遊んでいるか、家でゴロゴロしているかなので、世間的には私はサイバー空間にしかいない。サーバーにたまった履歴や、ネットワークのあちこちに分散した過去の言動が、自分の存在証明だ。そのうち、私の賢いエージェントがインターネットの海を泳ぎ回るようになれば、現実の私は用なしになる。エージェントに、捨てないでとせがむ私が見える。

●1000年単位の断層
 米国ではインターネットが商用化してから4年で約5000万人に普及した。今やそれが8000万から1億にもなるという。日本の利用者も1500万人ということだ。テレビの普及と比べても驚異的に速い。子供からばあさんまで飲み込むことになる。やがては家電もオモチャも、家具もクルマも皆つながる。いまインターネットは台風だが、まもなくすべてを包み込み、定着し、空気のように自然にたたずむようになるだろう。
 コンピューターは服やアクセサリーや肉体と一体化し、身の回りのモノにもチップとなって溶け込む。つまりコンピューターはバラバラになって姿を消して、その代わりすべてが常にネットワークで結ばれて、自分とモノと環境が1つの巨大なコンピューター空間として現れる。それがメールと静止画のWebページのうちは騒ぐほどのことじゃない。文字と写真だけなら、手紙やFAXが便利になった程度のことだ。そう、せいぜい「便利」でしかない。だいいち新聞や雑誌を乗り越えるのはかなりしんどい。コンピューターがペラペラの紙のようになるまでは――。
 インターネットの目的は、サイバー社会と映像文明を作り上げることにある。サイバー空間は現実とは別の活動領域であり、無限のフロンティアだ。新しい産業と文化と生活を作り上げるパワーを秘める。そして映像でのコミュニケーション手段を手に入れることは、ヒトの考え方や表現を塗り替えること。頭の中に別のOSが走るってことだ。
 サイバーと映像、偶然にも同時に人類が入手しようとしている2つのデジタルパワーからみれば、いまのインターネットのアプリケーションやインフラも、極めて幼稚な段階にすぎない。文字のメールが送れて便利だと喜ぶことは、せっかくの映像コミュニケーションを妨げることであり、世の中をできるだけ変えたくないと思う人を喜ばすことでしかない。
 文字を撲滅してネットで暮らす、そんな考えはエスタブリッシュメントのケツを蹴飛ばすことであって、国家転覆よりも罪深いパンク野郎だが、そういうことだ。それは便利とか効率とかいう近代の価値観を超えさせる大波だ。世紀末ではあるけれど、100年単位の事件じゃなくて、1000年単位の区切りにやってきた人類史の断層なのだ。

●デジタル大戦勃発
 だが、現実はもっと大変なことになってきた。メディアの関係者は皆デジタルバトルに参加して、空中戦と肉弾戦をくりひろげている。AT&TとTCIとタイムワーナーとマイクロソフトとBTと日本テレコムと松下――何ですか?それは。AOLとネットスケープとMCIとDirec TVとサンマイクロとベルアトランティックとGTE――ホントですか?それは。陣取り合戦の先にあるのは独占的な連合?それとももっと激烈な競争?
 産業として伸びるのはコンテンツだという。といっても、黄金の娯楽社会がやってくるわけじゃない。中心は電子商取引だ。金融とか流通とか、あるいは医療/教育/行政――などのいま現実世界でやっている活動がサイバーの領域に入るという意味だ。たしかに、インフラで稼ぐっていうのはどだい根性が曲がっているし、パソコンだって無料のものが出てきた。OSだってみんなでオンラインで作り合って無料で配ったりしている。じゃあコンテンツとサービスで稼ぐしかない。だからみんなで手を結んで勝ち組になろうとするのだが、同時にそれはユーザーを囲い込むことでもある。無料パソコンも無料プロバイダーも無料OSもユーザーを包囲するか、個人の情報を引き出すかのいずれかだ。無数のWebサイトを個人のためにリンクしてあげるポータルは、大衆誌の編集者のようなものだが、その編集者も多すぎるのか、これまた集約が進んでる。
 誰かが私を魅惑することに成功して、私は囲われ者になるかもしれない。でもそんなプロの編集者に対抗し、私を知りつくしたエージェントが登場して編集権を取り戻すかもしれない。ポータルとエージェントの間で、私の扱いを勝手に妥協するかもしれない。ユーザーの取り込みをめぐって、せめぎあいは続く。
 インターネットは草の根で自由でボーダレスだ。それは正しいが、そう単純でもない。もともと軍事目的で開発された生い立ちは今もアメリカという国家を背負っている。クリントン政権の柱である情報ハイウェイがインターネットという形に具体化したあと、最近の政策はインフラよりも電子商取引に向かっている。暗号/認証/セキュリティー/プライバシー――など、軍事・通貨の機密という国のヘソに近づかざるを得ないから、どの国も存亡をかけて介入する。
 ただ、アメリカのインターネット界を底で支えているのは民間のマネーとベンチャー企業だ。情報化投資が堅調で、株式市場からの資金調達も活発。景気もいい。技術1つでン兆円のゼニが集まるというおとぎ話がゴロゴロしている。才能のあるヤツもないヤツもこれを目指してバンドを組むように会社を興す。カネとヒトがこの分野に集中している。

●日本キッズ
 よく指摘されるように、日本とアメリカのインターネット利用の差は大きい。PCもOSもネットワーク機器もほとんどがアメリカ製だ。電子商取引の市場は両国の格差が15倍ぐらいあって、インターネット広告市場では20倍ほどの開きがあるという。通信料金の差も厳しい。ベンチャーキャピタルも不活発だ。
 だけど光はさしている。不景気ヅラしている日本ではキッズが活躍しはじめた。大人がしょぼくれている今がチャンスとばかり、ネット起業をし始めた。だいいち、ネット上での表現様式はデジタルインタラクティブのゲームが土台であり、日本のお家芸のはず。
 問題はインフラだが、気をつけたいのは、日本とアメリカは情報社会のモデルが違うということ。アメリカがPCと映画の国ならば、日本はテレビの国だということだ。地上波のテレビ網が発達していて、アニメやゲームの表現に優れ、テレビが暮らしの真ん中に居座るこの国では、そこからインターネットを発達させるのが近道かも。地上波テレビのデジタル化は、日本では決定的な重要性を持っている。これ次第で日本の未来は決まる。そのとき茶の間に座るのは、パソコンかもしれないし、ドリームキャストかもしれない。
 もう1つ言うと、日本はケータイ文化の国でもある。子供がモバイルでメールを打ったり、ギャルがブラインドタッチでPHSから文字を送ったりする姿は日本独特のヘンな文化だ。アメリカよりずっと進んでる。日本のインターネットは電波系のガキどもが深化させるのではないだろうか。
 ともかくインターネットは情報の伝送路であり、道だ。だけどもっと大切な意味は、表現手段であり、生活の場だということだ。町であり、広場であり、家であるということだ。悪いヤツも住むし、うそつきもいるし、秩序もできていない。それを誰がどうすりゃいいのかもよく分からない。まともな道や町を造るのにあと10年は必要だし、暮らし向きが定着するには50年はかかる。みんなドタバタしているけれど、さてちょっと落ちついて、どっちに行きたいかを考える必要がありそうだ。
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