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BOOK
インターネット環境 日米比較
 「インターネットの進化と日本の情報通信政策」収録
郵政研究所 インターネット基本戦略研究会 編
   (日鉄技術情報センター刊 2000.3)

1 メディア構造の変化

1.1 デジタル融合
 メディアの構成要素をネットワーク、プラットフォーム、コンテントの3つに分類してみよう。(図1)



(図1 メディア構造)

 1990年代の前半までは、それぞれ3要素の「内部」で、デジタル融合が進められたということができる。
 たとえばネットワークについていえば、電話網、通信衛星、CATVなど、用途や機能によってバラバラな存在であったものが、機能統合が図られるようになった。CATVという放送メディア上でインターネットが走る、というのが典型である。
 プラットフォームは「マルチメディア」という言葉を生んだ。80年代前半、テレビがビデオやゲーム機と結合して、絵を見る機械から、インタラクティブに遊ぶ道具になり、コンピュータに近づいた。80年代後半には、パソコンが文字やデータだけでなく絵を扱うようになり、テレビに近づいた。90年代前半にはそれらが通信機能を持った。テレビとパソコンと電話の機能を合わせ持つデジタル機器がマルチメディアという名前で市場に登場したのだ。
 コンテントもデジタル技術が浸透して内部融合を進めた。映画としての作品がビデオやテレビ、CD-ROMやゲーム、という具合に展開される「ワンソース・マルチユース」が定着した。
 90年代後半には、3要素どうしをデジタルで「結ぶ」という意味での融合が本格化した。これは今後の数年、いやおそらく2010頃にわたる基調として続くことになろう。
 たとえばネットワークとプラットフォームの結合。パソコンと通信の本格連動、すなわち「インターネット」の離陸である。アメリカではインターネットはラジオやテレビの普及を数倍上回る速度で広まり、99年半ばには37%の普及率に達している。日本もアメリカに劣るとはいえ15%程度にまで達し、相当な勢いをみせている。
 そしてネットワークとコンテントの結合。これは「通信と放送の融合」を意味する。ネットワークの本質は「つなぐ」こと、つまり通信であり、逆に放送の本質はコンテントである。特に日本の場合、映像コンテントの軸はテレビにある。後に詳述するが、制作量、産業力、表現力、技術力などの観点からみて、日本のコンテントのコアはテレビ番組である。したがって、ネットワークとコンテントの結合、あるいは通信と放送の融合とは、簡単にいえば、テレビ番組を通信ネットでジャブジャブと流通できるようにすること、が本質だ。
 通信と放送の融合は、通信業と放送業の兼業だとか、ウェブ情報をデジタル放送で流すサービス(通信コンテントを放送ネットワークで使う)とか、さまざまな事象を含めて語られるが、これらは本質ではない。逆に、本質をとらえた場合、テレビ番組のデジタル化と、通信網の太束化とが日本の2大課題だということがはっきりと浮かび上がってくる。
 同様にコンテントとプラットフォームの結合。これはテレビ番組をコンピュータでジャブジャブと使えるようにすることだ。「テレビのデジタル化」を意味する。デジタル放送の意義というと、電波の効率使用による「多チャンネル化」、インタフェース改善による「高画質化」が先に立ち、それからコンピュータとの結合による「インタラクティブサービス」が語られることが多い。だが本質は3番目の新しいサービス開発のところにある。テレビとパソコン、放送とインターネットを結合するということだ。デジタル放送に対するアメリカのスタンスは当初からコンピュータ結合にあった。日本はその目的や戦略が不明確なままなので、未だ腰がすわらない。だがデジタル放送をどうするかは、特に日本では、インターネットも含めたメディアの全体像を左右するポイントであり、決定的に重要な意味を持っている。

9.1.2 ネットワークからコンテントへ
 97年の電気通信審議会答申によると、95年時点で30兆円程度の日本メディア産業は、2010年には125兆円にまで成長すると予測されている。アメリカのメディア市場が96年で120兆円程度であるから、日本は2010年でほぼ現時点のアメリカの規模にまで達するということになる。
 ここで重要なのは、その内訳が変わっていくと予測されている点である。現在の日本の市場では、ネットワーク:プラットフォーム:コンテントの収入構成比は44:23:33とされているが、2010年には24:21:55になると指摘されている。ネットワークが20ポイントも下がる一方、コンテントが20ポイント上昇するというのだ。
 通信インフラが低廉化し、収入総額も頭打ちになっていくというのは必然であろう。インフラ産業が高収益を保ち、巨大産業化しているのは日米欧の共通現象だ。しかしそれはインフラ技術が刷新されているので次々と新規投資が必要となるため、投資の原資としての収入が許されているのであって、技術が落ちついて、次世代ネットワークの整備が進めば、インフラ産業が巨大化を続けるのは是認されない。見方を変えれば、国家政策にとっては、インフラ収益をゼロに近づけていくのが長期目標となる。「インフラ産業の成長」から「インフラの非産業化」という価値の逆転が求められる。
 一方、コンテントが55%に達するという意味は何か。現在のコンテントであるエンタテイメントやニュースといった分野が高度成長をとげるという意味ではない。成長が見込まれるのは、電子商取引である。商取引というイメージが狭いとすれば、サイバー取引と言ってもよい。金融やショッピング、医療や教育、そして行政、といったこれまで現実社会で行われてきた活動がインターネット上で行われ、それらがコンテント産業化するということだ。
 メディア政策としてみても、コンテントや電子商取引をどう伸ばすかが重視されることになる。インフラ整備という供給側の行政から、それを用いた産業・教育・福祉・行政の円滑化という、いわば利用側の行政、政府全体が関与する政策展開が大切になる。アメリカ政府は90年代後半に入り、ネットワークをどう作るかから、どう使うかへの行政に明確にシフトしている。デジタル政策の位置づけや優先度の点で、日本政府はアメリカにかなり水を開けられている。


2 メディア資金ルート


2.1 ルートの拡充と再分配
 アメリカは実質GDPが98年に 3.9%成長を見せ、輸出も内需も堅調、インフレの恐れも少ないままに推移している。政府の財政赤字は日本に比べてかなり小さい。一方、日本は経済状況がまだ心許ないものの、ストックはある。貯蓄率が14%(アメリカは5%)、対外資産も9000億ドル(アメリカはマイナス8000億ドル)。このストックを活かしつつ、次のデジタル環境を用意することが日本の課題である。
 メディアに流れる資金ルートをどう広げるかが重要だ。たとえばテレビの民放は企業からの広告だけで成り立っていた。しかし、有料放送が始まり、家庭からの直接の支払いルートが成立し、雑誌や新聞のような収入構造になっている。通信も同様に、かつては企業や家庭からの利用料で賄われていたのが、インターネットがコンテントの流通手段になったため、広告が流れるようになり、これも雑誌化している。そのような資金チャンネルをどのように拡充し、ポートフォリオをどう組み立てるかが、1つの課題である。
 メディア産業の内部での分配問題も大切なポイントだ。長期的にみれば、ネットワークからコンテントへというシフトが予見される。だが、現在はまだその構造がきちんとした像としてできあがってはいない。模索状態だ。メディア産業に流れる資金がインフラからコンテントへ比重を移すとしても、資金を取り込む入口と、それを再分配する仕組みがまだ見えない。たとえばインターネット企業が利用者から吸い上げたおカネを提携コンテント企業に分配するのか、ポータルでコンテントに引き込んだ客のカネの一部をインフラ利用料に回すのか、といったことである。
 このため99年には、ネットワーク、プラットフォーム、コンテントのどの分野でも無料で顧客を獲得し、つかまえた客からは別口でカネを取り、それを仲間で分け合うという形のビジネスがアメリカを中心に広がり、そのために業種をまたがる企業の合併・提携、つまり垂直統合が進んでいる。アメリカのデジタル業界では規模の利益を追い、同業種の合併、つまり水平統合が90年代に入って進められ、それが90年代後半には日本にも飛び火していた。一方、90年代前半に盛んだった垂直統合はしばらく落ちついていたのだが、インターネット・ビジネスが本格化するにつれ、ネットワーク、プラットフォーム、コンテントの総合展開で顧客を囲い込む動きが激しくなっている。

2.2 企業ルート
 企業からのおカネには、広告費や情報化投資がある。まず広告費は企業がコンテントに出す資金だが、GDP比でみるとアメリカ2%、日本1%。金額ベースでは日本の4倍になる。メディア市場ぜんたいでGDP比アメリカ12%、日本6%、金額ベースで4倍だから、それに見合う格好だ。
 しかしインターネット広告の市場は、98年でみると、アメリカと日本は金額ベースで20倍ぐらいの差がある。電子商取引は今後とも広告中心の体質なので、日本はインターネットを広告媒体として戦略的に成立させなければならない。これは緊急の課題と言えよう。このためには、インフラ整備を進めることが必要だが、併せて効果的なのは、政府自身がコンテント供給者となることである。情報公開と電子政府だ。たとえばインターネットで納税すれば税金をまけてやるという施策を導入すればインターネット利用はグッと増えるだろう。
 次に情報化への投資として出すおカネだが、99年版通信白書によると、アメリカはGDP比4%(35兆円)、日本は2.3%(11兆円)。その開きは大きいが、より問題なのは、アメリカは80年代の不況期においてもこの数字が高水準を保っていたということだ。それは、情報化投資がリストラの手段であることが明確に認識されていたということだ。競争力をつけるために、不要な部分を切る。そのためのデジタルであって、その後もそれが競争力の源だという認識が定着した。米商務省によるとこの数字は上昇を続けており、情報通信への投資が経済成長ぜんたいを押し上げる構造になっている。
 一方、日本はバブル後、この水準が低下した。不況だから情報化投資を減らすということであり、なぜ情報化に投資するかという企業側の目的意識がはっきりしていなかった。情報化の結果、中間管理者層の失業が発生することを問題視する傾向さえみられた。これを政策的に手当するのは困難だ。企業意識が低ければ税制措置を導入してもムダだ。逆に、情報化が競争力を左右するという実例が増えるにつれ、日本の対応も変わる。99年には企業意識が大きく変わったとみてよいのではないか。

2.3 R&Dとベンチャー
 アメリカのインターネット産業を支えているのは旺盛な株式市場である。日本は貯蓄率が高いとはいえ、預けられた資金が金融機関から企業に向かうパイプのところですっかり詰まっているのに対し、アメリカは個人の資金も株式に投資されている。無論、企業によるベンチャー投資も盛んだ。ベンチャーキャピタルの投資は98年で140億ドルといわれ、前年比24%増となっている。
 ネットワーク、プラットフォーム、アプリケーション、コンテントを問わず、その収入や利益率よりも成長性を見込んで株価が上がり、その体力を元に他社を買収し、という激しい動きが99年のアメリカ市場を支配した。数年前には聞いたこともない会社が由緒ある電話会社を買収したり、一度も黒字を計上したことのない企業がやおら株式を公開して兆円単位の時価総額を計上したりするという、夢物語が現実となっている。
 ただし、今般のインターネット景気は、実績や資産に基づく株高ではなく、将来に対する期待が形づくっている高値であるため、バブルとの指摘も根強い。とはいえ、98年にアメリカで株式を公開した会社は611社あり、日本の7倍にのぼる。公開に至るまでの平均年数はアメリカ5年、日本は29年という。活発な起業とそれを裏打ちする資金チャンネルがアメリカの好景気を支え、日本との格差を生んでいる。
 IT産業が経済を牽引するという。99年6月の商務省のレポートで、デイリー商務長官は昨年に続きIT産業がアメリカ経済の8%を占めるということを強調した。しかし、注意を要するのは、それでもなお8%でしかないという点だ。アメリカの好調な経済は、「IT産業」がもたらしたのではない。「IT」がもたらしているのだ。製造、物流、金融といった産業全般において、情報装備とリストラが進み、国際競争力が1ランク高いレベルに達し、経済が再生したということだ。
 日本でもベンチャー育成が政策論として論じられている。ただし経済再生の手段としてベンチャーに期待するというのは注意を要する。肝心なのは、商慣習やビジネスモデルを誰が変えるのか、ということだ。アメリカはそれを新興企業がやったのだが、日本も新興企業がやるべきなのか、既存の会社に同じ行動をとらせるのとどちらが現実的なのか、まだ解釈の余地がある。
 一方、別の意味でベンチャー企業の育成は重要である。文化的な意味だ。日本の表現文化は旦那衆というか、オーナーが無駄な出費をすることによって成り立ってきた。最近、どの会社もサラリーマン企業化しているため、文化に流れる資金のチャンネルが非常に細ってきている。コンテントの資金チャンネルの一部が詰まっていることであり、これは日本にとってかなり深刻な問題である。
 IT産業の原動力たる研究開発(R&D)の資金にも問題がある。通産省によれば、R&D投資のGDP比はアメリカが2%、日本は3%となっている。しかし、政府の負担比率はアメリカ34%、日本23%と10ポイントの開きがある。ネットワーク整備では日本はアメリカに遜色ない程度まで予算規模が拡大しているのに、R&Dの比重が低いのだ。
 これはアメリカのIT分野が軍事予算によって支えられている面を示しているのだが、さらに、アメリカは政府と産業界の連携が日本以上に深いという実態も押さえておくべきだ。大学と産業との連携も盛んである。日本は官民の癒着が否定的に指摘されているが、産学官の連携という点では乖離が大きいというのが実感である。企業が専門細分化される傾向が進むとすれば、基礎研究を民間に期待し続けるのは現実的ではない。IT分野は株式市場など民間の資金でまかなうことが基本となっていく一方、政府には基礎研究に対するスポンサーの役割を強めていくことが求められる。

2.4 家計ルート
 家庭からの情報支出をメディアにどう振り向けるかがもう一つの柱となる。アメリカの数字が手元にないので、ここでは日本に絞って論じる。総務庁の調査によると、全消費に占める情報通信支出の比率は、過去20年間、 4.7〜5.4 %の間を動いてきた。ニューメディアブームの頃にも、家庭の情報通信支出の比率は高まらなかった。このため、メディアが多様化してもサイフのヒモはゆるまず、いたずらに競争ばかりが激しくなるという論拠に使われていた。
 ところが、この2年ほど、この数値が急速に上昇している。97年には5.9%となっている。上昇の主たる原因は携帯電話の普及である。特に通信費に回るおカネが増えているということだ。その後のインターネットの伸びで、また上昇しているであろう。6%のカベを破っていることは想像に難くない。
 家庭からの情報支出が増加傾向にあることは極めて重要なポイントである。メディア産業の設計図を描くうえで基本的な要素だ。しかしながら、同時に注意しなければいけないのは、ネットワーク、インフラのほうにおカネが回っているということだ。逆に、コンテントの市場を見ると、マンガの売上が減っていたり、あるいは音楽CDが伸び悩んでいたりして、コンテントに子供たちのおカネが回っていないという実態がある。メディアへの資金がコンテントからインフラに吸い取られる構図であり、極めて不健全だと見ることもできる。
 ところが、さらに考えてみると、若者は音楽のCDやアニメといったプロが作ったコンテントよりも、自分の友達や恋人の声にキラーコンテント性を感じているということだ。プロの表現にこづかいをつかうより、友達とのおしゃべりにおカネを払うことに価値を見出しているということである。これは、誰もが発信する時代、万人のウェブ表現の時代の到来を予兆しているという具合に読むべきかもしれない。


3 コンテント・アプリケーション

3.1 コンテント産業と電子商取引
 電気通信も非電気通信も含め、コンテント市場はアメリカは2800億ドル程度であり、日本の3〜4倍となっている。その半分近くが映像産業だ。資金と技術を集中投下したハリウッドが米国内だけでなく世界市場を制覇し、その力をインターネット時代にも発揮しようとしている。
 日本の市場は、映像4兆円、音楽2兆円、文字(新聞や出版)5兆円ぐらい、という内訳になる。映像4兆円のうち3兆円がテレビで、ゲームが5000億円。電子商取引はまだネグリジブルと言ってよい。
 98年版通信白書によれば、電子商取引はアメリカでは約1.2兆円で、日本の15倍の規模に達しているという。B to B(企業間取引)も、B to C(消費者向け取引)もアメリカでは利用が盛んになっている。その背景として、もともとアメリカの通販の市場が日本の約60倍の規模があり、片や日本ではコンビニが普及していて、夜歩いていても安心で、人口密度も高いという土壌の違いもあろう。
 B to BとB to Cは10:1の規模といわれ、産業界内部でのトランザクションが現在のインターネット取引の主軸をなしている。そして最近、C to Cともいうべき、個人どうし、消費者どうしの取引が急拡大している。オークションサイトの成長である。インターネット時代のトランザクションは、これが最も大きくなると指摘する専門家もいる。
 なお、アメリカでは電子商取引が定着したかのような印象を受けるが、実態としてみれば、本格化はまだこれからである。現在の電子商取引は概して「窓口の情報化」である。企業取引の受付・発注をウェブサイトで行えるようにした、という段階だ。その奥の情報化、つまり「業務処理の情報化」はまだ本番とはいえない。在庫管理、物流管理、資金管理といったビジネス本体をネットワーク化するという、インターネット以前からずっと取り組まれてきた「産業の情報化」をインターネットで再構成する段階が次に来る。
 窓口情報化を司るインターネット系企業、たとえばポータルサイトであるとか、電子書籍販売であるとか、そういう新興サイバー企業が脚光を浴びているが、彼らもそのようなリアルビジネスの装備を急いでいる。一方、従来からのリアル企業はインターネット武装を進めている。サイバーとリアルの双方向のアプローチがそろそろ拮抗しようとしており、各ビジネス分野で誰が勝ち名乗りをあげるのか、まだ方向は決していない。これはアメリカだけでなく、全世界的な状況である。

3.2 ポータルとエージェント
 電子商取引のなかでのポータル競争が激しく進んでいる。水平統合である。ポータルの統合は、無数に出てくるサイトを消費者に対して編集してやる機能を獲得する動きだ。ブラウザや検索エンジンを持つ会社を軸に、コンテントを囲い込み、同時に個人を囲い込もうとしている。
 アメリカのインターネットのコンテントは、ハリウッドの技術や産業力を背景としながらも、多様なベンチャー企業が中心となっている。サンフランシスコやニューヨークが本拠地だ。サンフランシスコではマルチメディアガウチと呼ばれる地帯に若いクリエイターが集まっている。サンフランシスコの南に広がるシリコンバレーはハードウェア系で、いまやマルチメディアガウチのコンテント系がその発注元となって引っ張ろうとしている状況にある。
 そうしたコンテント系ベンチャーは、3〜4人ていどで創業する例が多い。それぞれ技術、デザイン、ファイナンスなどを背景に持った数人が集まって、ロックバンドを作るノリでビジネスを始める。うまく行かなければプレイヤーを替えたり、バンドを解散して作りなおしたりする。専門分野に自信があれば、楽しくやっていける。これを見る限り、日本の若者でも十分にやっていけると思われる。現に日本でも渋谷界隈で元気なベンチャーが続々と生まれてきている。日本の問題は、ベンチャーキャピタルなどそれを裏打ちする資金ルートが不足していることにある。
 さて、ポータル競争は、編集機能をプロの専門企業側が持つという、大衆娯楽誌の編集をするようなものが追求されているのだが、同時に、利用者個人のソフトウェアでそのような機能を持たせようという動きもある。個人用のエージェントだ。自分の好みをエージェントソフトに理解させておき、彼が私向けの情報を探し、選び、検討し、処理する。ポータル側や企業サイト側が売り手エージェントを使うとすれば、こちらは買い手エージェントを繰り出し、両代理ソフトが直接交渉する。私の所属する研究所でもそのような手法を研究している。企業が私を囲い込むのか、私がサイトをしっかり選ぶのか、代理人の手でその綱引きが始まる。

3.3 映画とテレビとケータイ
 日米のコンテント全体の特徴をとらえると、アメリカは映画の国であり、日本はテレビの国ということが言える。アメリカは映画を移民対策という観点から全国メディアとして普及させてきたという背景もあり、今もテレビはハリウッドが支えている面が強い。日本の場合は長期凋落傾向の映画をテレビが支えており、構造として逆になっている。
 日本の映像ソフト制作の98%はテレビであり、国際的に競争力を持っているのもアニメとゲームの分野である。国民の情報行動から見ても、受け身で均質の文化がテレビに合っている面も大きい。数字では表せないが、国民がテレビのことを深く大切に思っている度合いというか、ハマリ度という点で、日本は世界の中でも特異な高さを誇っている。
 ここで注意を要するのは、ハリウッドは勝手に出来上がってきた地域ではなく、かなり政策的に誘導されてきたという事実である。たとえば70年代にテレビ局が番組を作ったり番組を流通させたりすることを制限したりして、ハリウッドに資金や人材、技術が集中投下されるようにしてきた。したがってアメリカのテレビ産業は、コンテント産業というより、ネットワーク産業としての色彩が強い。日本の場合は別に何も誘導してこなかったので、テレビ(取り分け地上波)がコンテント産業として大きくなってきたということではないか。
 そして日本のもう一つの特徴は、携帯電話の文化が異臭を放つような発達をとげてきている点である。99年半ばにして、日本の携帯普及率は40%に達し、25%ていどの欧米各国に大差をつけた(78%のフィンランドという特殊地帯はあるが)。それにも増して、数字では表れないようなすさまじい使い込み方が目立つようになった。
 小学生がブラインドタッチでマシンガンのように文字を送っている。ガングロ族がウェブ上の情報を街角で検索している。他国では見られない光景だ。ケータイがインターネット端末と化すことは明白であり、インターネットの普及率で後塵を拝するという日本は、若年層から急速に数値を上げていく可能性がある。しかも、机の前に座って両手でキーボードを叩く前史的な格好ではなく、街を歩きながら右手の親指一本で操作する軽やかさで。

3.4 コンテント戦略
 日本の映像分野は相当な輸入超過だが、ゲームやアニメは約20倍の輸出超過だ。日本でもようやくゲームやアニメが競争力ある産業として注目されるようになってきたが、コンテント産業ぜんたいの規模からみれば局地戦であり、産業政策的な意義はそう大きくない。評価すべきは、その文化寄与だ。例えば99年にアメリカでも空前のブームとなったポケモンのおかげで、アメリカの子供たちは日本語を覚え、日本の食べ物や風俗をカッコいいものとして受け入れている。ハリウッド映画を見た人々がアメリカ的消費生活に憧れアメリカ製品を買う。これは従来からアメリカの基本戦略だが、日本はゲームやアニメが映画の役割を果たす。
 コンテントの国際流通を巡る議論は、言語の問題に突き当たる。特に日本はTOEFLの成績がアジア最下位という深刻な事態に直面しているにもかかわらず無策なのが気になる(いずれインターネットは英語文化より、中国・ヒンズー・イスラム文化に支配されるのではないかという予感の方が私を興奮させるのだが)。この点フランスは英語文化への対抗意識をむきだしにするが、最近それ以上に映像表現の技法や文体といったものに対しナーバスになっている。インターネットが映像メディア化して、表現の国境がなくなると、いよいよアメリカによる文化覇権の恐れが現実味を帯びるためだ。
 世界の映像は今やハリウッド表現のほかには日本ゲーム表現しか柱がない。ゲームはデジタルのインタラクティブ表現であるから、インターネット上での表現技法の土台になる。電子商取引の表現ベースとなる点で、日本の国家資産として最も大切な位置を占める。その根底は、子供が映像を理解したり表現したりする能力である。マンガを読みこなす力、ゲームにはまり込める力といったものだ。日本の将来はその能力をどう育み、発揮するかに依存する。
 ところがアメリカでは2年ほど前からインターネット上でのゲーム(ネットワーク・ゲーム)が立ち上がっている。今のところ課金システムなどビジネスモデルが確立していないから産業として本格化はしていないが、ここを抑えられると、映像表現のコアをすべてアメリカが握ることになる。
 アメリカがインターネット表現を発達させることができる要因として、電話の定額料金制をあげることができる。定額というのは使うほどトクということであり、コンテント奨励タイプである。従量制はコンテント抑制型だ。日本でも通信定額料金を導入すべきという議論が盛んになってきたが、これも産業政策というより文化政策としての必要性の方が高い。
 さて、コンテント政策の柱として、放送番組を主な対象とする内容規制がある。その強弱は、各国の文化的・政治的な背景によって異なる。例えばフランスは徹底した直接規制であり、アメリカもFCCが明確な権限の下にわいせつ番組等を規制している。これに対し日本は、放送事業者の自主対応に委ね、ほぼ無規制という例外的な制度だ。文化制度の自由度は21世紀の国際競争力に寄与するものと思われ、国家権力に頼らずとも国民と民間企業の自浄作用で社会規範を保ち得るという日本の特質は戦略として活かし得る。
 インターネット情報の内容規制についても議論が活発だ。アメリカは96年電気通信法で通信の内容規制を規定したが、その基準があいまいだとして、97年7月には最高裁から一部違憲の判決が出されている。98年10月には児童オンライン保護法を制定したが、これも違憲との訴えをめぐって裁判上の争いが起こっている。インターネット関係者の多くは国家の介入を極度に嫌うが、通常どの国も日本と異なり、公序良俗に関し権力が乗り出さざるを得ない政治の状況が存在する。

3.5 電子商取引政策
 各国の政策としての関心は、映画やテレビから、インターネット上のコンテントへと急速にシフトしている。電子商取引は、暗号、認証、セキュリティやプライバシー保護など、制度や機密にからむ国家政策とも密接な関わりがある。表現規制や著作権という従来のコンテント政策を超える政府関与が避けられない。
 ここでアメリカの目標は、この分野での技術や産業の強さを背景に、世界的な優位性を確立することだ。このため、国家の介入をできる限り排除し、民間主導で市場を整備していくことを主張する。一方、欧州は伝統的にコンテント政策を経済の論理だけで片づけようとせず、文化問題だとする姿勢を前面に出して、法律などの制度によって規律・保護する色彩が強い。
 このような状況で、98年には国際的な政策調整が本格化した。98年にはWTO、OECD、APECなどマルチの国際舞台で閣僚級の調整が活発化している。アメリカと欧州、日本との個別の政策協議も展開されている。国際会議での話題の中心は、95年当時にはインフラ整備であったが、現在は電子商取引の制度フレームである。
 アメリカは個別政策のスタンスも単純だ。たとえばコンテント生産価値の源泉となる著作権は保護する一方、各国で課せられる関税は排除したいところである。98年10月にデジタル著作権法を制定、WIPO条約の批准に向けた手続を進めることとしている。関税に関しては、電子的に引き渡される商品やサービスには課さないというのがアメリカの主張だ。インターネットで流通するコンテントの位置づけやプライバシー保護策を巡ってアメリカとEUは対立し、国際的議論に発展している。
 欧州大陸は電子署名・認証についても規制を主張する国が多く、独伊英など法的措置を整備している国も多い。一方、アメリカはここでも民間の自主対応を重視するスタンスが色濃く、実際に法制化しているのは州レベルにとどまっている。ただし連邦は電子政府を推進しており、その一環として電子署名の導入を検討している。規制主体というより利用主体としての政策だ。情報公開制度、インターネットでの資材調達など、政府によるインターネットの利用や電子政府の実現に積極的である。他方、暗号に関しては暗号は軍事と金融に密接に関わるものであるため、国家資源として戦略的に扱っている。
 これらについて日本をみると、政策プライオリティの低さ、スタンスの不明確さ、責任所在の不明確さ、などの面で心許ない。個々の施策は省略するが、ことは施策レベルの問題ではなく、国家としての腹積もりの問題と言えよう。


4 ネットワークとプラットフォーム

4.1 水平統合と96年電気通信法
アメリカのネットワーク事業は激動下にある。(図2)



(図2 米ネットワーク事業の相関)

 長距離や中継伝送では、AT&T、MCIワールドコムに加え、データ通信系のQwest、レベル3などの新興企業がインターネット需要を背景に競争を続けている。加入者系では、CLECsと呼ばれる会社群が企業向けの顧客を開拓している。一方、AT&Tが84年に分割されてできたベル系地域電話会社7社は、97年から合併・統合が進み、ベル・アトランティック、SBCコミュニケーションズなど4社に集約されつつある。
 90年代初頭のマルチメディア・ブーム後は冷ややかに見られていたCATVもまた重要なプレイヤーとして浮上している。タイムワーナー、TCI、メディアワンといった会社がインターネット会社の性格を強め、99年から電話会社と本格的に競合しはじめたからである。しかも、加入者系を持ちたいAT&Tがこれらを統合や提携の相手先として選んだため、がぜん主役として脚光を浴びている。
 その効果として、加入者系の高速回線が競争状態に入ったことが挙げられる。電話会社のADSLも、CATV会社のインターネットサービスも、いずれも家庭向けのメガビット級回線であり、その顧客獲得競争が高速利用料金を低止まりさせているのだ(私が利用するCATVインターネットは1.5Mbpsで月30$であり、日本の専用通信回線の1/100の料金である)。
 96年電気通信法は長距離・地域間の相互乗り入れを認めるとともに、接続ルールを厳格化して、地域競争を促進しようとするものであった。大方の指摘と異なり、私は参入手続や外資規制などの面でアメリカは日本の制度より制約が強く不透明な部分が多いと見ているが、それらも少し緩和された。
 しかし、96年法は所期の効果をあげているとは言えない。電話市内料金は下がっておらず、長距離から地域市場への進出も見られず、ローカル回線の利用自由化(DSLのための開放)や設備高度化も進んでいないからだ。96年法は電話を念頭に置いて制定されたのだが、その後インターネットのブームが到来し、ネットワーク業界は電話よりインターネットを軸に事業戦略を組み立てているため、制度の目論見がはずれている面がある。そして業界はデジタルの特性を活かした水平統合に向かった。これは皮肉にも競争を減らす方向に作用するかもしれない。
 一方、インターネットサービス・プロバイダ(isp)に関しては、無料サービスが話題となっている。これは英仏など欧州がさきがけであったが、アメリカでもビジネスモデルを工夫して登場してきたものだ。同時に、設備を持たないispは淘汰されていくとの指摘がみられる。自ら回線を持って事業を展開していくか、コンテント企業などと組んでサービス展開をしていくかというふうに、2極化していくとの見方が多い。
 日本はNTT再編成が終了したところで、ようやく国内秩序の再構築が始まるところだ。ローカルの独占状況を打開するのはまだ当分先のことだが、CATVや無線網のビジネスが徐々に広がっていること、外資規制を撤廃してアメリカからの参入も本格化していること、次世代モバイルが本格的なインターネット対応となることなど、展望が描けないわけではない。

4.2 ラスト1マイル
 アメリカ政府は、CATVのインターネット化と、ADSLの普及に力を入れている。ADSLもCATVも、いずれも光ファイバーではなく、今の銅線をそのまま用いて高度なサービスを提供している点に注意を要する。99年に入って西海岸のパロアルト市役所などがFiber To The Home の計画を発表したが、これは例外だ。長期かつ新規の投資を避け、既存のインフラを使いきるというのがアメリカの方法論であり、いわば国家的かつ長期的な観点から重厚な投資をしていく日欧キャリアのインフラ観とは哲学的に一線を画する。(図3)



(図3 日米ネットワーク比較)

 日本の場合はISDNにNTTがかなりの投資をしてきて、その回収が優先されるため、定額制もADSLも本腰が入らないようだ。ただ逆に、FTTHのような長期的な目標を定めた上で資金と技術を投下する方法は、日本の態勢の方が得意であろう。一足飛びにFTTHに向かう姿を空想できないこともない。
 デジタルのネットワークは、有線に限らない。アメリカでは99年には衛星でのインターネット事業も立ち上がってくる見込みである。さらに98年秋から開始された地上波デジタルテレビが本格化してくる。まだ大画面で高画質のテレビという認識が一般的であり、双方向デジタルの特性を活かしたサービスはみられないが、いずれ家庭向けデジタル無線伝送路として深化していくことが期待される。インターネットが有線・無線、通信・放送のネットワークを一色に染め上げようとしているのである。
 なお、前述のとおり、日本はその情報社会モデルの特性からみて、デジタルテレビと移動通信が主役を演ずる。アメリカでは地上波がデジタル放送を開始したが、CATVが浸透していることから、結局CATVがどう対応するかで答えが決まる構図になっている。地上波デジタルの意味は小さい。そしてCATVはまだデジタルサービスに気合いを入れていない。一方、日本は地上波テレビがメディアとしての重要な位置を占めており、そのデジタル化、インターネット化は国ぜんたいの情報社会の姿にとって決定的なカギを握る。
 そして移動通信がインターネットをどう吸収するかもポイントだ。ここで日本の移動通信は普及率が99年夏時点で40%に達したのに対し、アメリカの普及率は27%であり、着信側に課金される料金体系がネック