メシは日本に限る。そう思う。私の住んでるボストンは、アメリカの中でもメシはうまい方なのだが、ボストンのいいレストランと、日本のしがない料理屋を比べたら、しがない方が勝つ。それはコックさんの腕というより、食い手の問題だ。客の舌の肥え度の問題だ。味オンチばかり住んでる土地にいいレストランは生まれない。
ただボストンはシーフードには胸を張れる。魚介類の素材がいいから。おすすめは中華。中華街で台湾人がやっているなじみの店。ボストンは都市である。私の定義では、中華料理店がある所を町といい、中華街がある町を都市という。中国人が定住しているかどうか、そこで実ビジネスがなされているかどうかが、町としての熟度と国際性のバロメーターだからだ。
その店のメニューは数百に及ぶ豊富さだが、何度も通ううち注文が5種類くらいに絞られるようになった。ロブスター、ミル貝、カキ、ワタリガニ、スズキ。いつも同じモノを頼む。でも、メニューを眺めるのは楽しく、たくさんある中から今日もわざわざコレを厳選しているというゼイタクな感触が好き。
メシ食って帰って寝そべってテレビつけると、たいていCNNにチャンネルを合わせる。CNNを見たいというよりも、そうすることで、アメリカの世間とか、ドア・ツー・ドアで20時間以上はなれた日本の空気とか、そういうものとつながってるような、そんな気がするから。それは多分、そんな気がすると自分に思いこませることができればABCでもFoxでもMTVでも何でもよくて、要するに習慣というやつだ。
じわじわできあがった習慣のせいで結局いつも見るチャンネルは5個くらいしかない。全部で100チャンネルもあるのに。でも100の中の5というのは、10の中の5というのとは根本的に違う、なんというか、オレだけの5コ感、という感触が好き。
10年とちょっと前、私は郵政省でCATV行政に携わっていた。そのころ、放送行政の主流はハイビジョンの推進だった。私はCATVや衛星による多チャンネル化を優先させるべきと信じていた。たくさんある、ことの方が、キレイである、ことよりも100倍くらい大事だと思っていた。
選べること、が大切。たくさんのクリエイターに番組を作るチャンスを与えること、が大切。ハイビジョンはこれに逆行するので、よく省内でケンカした。その結果は・・・、まあいいや。日本はずいぶん授業料を払って、ざまあみろ感とともに今日に至る。
だが、いくらでも選べてうれしいという状況もぼちぼち限界かな。衛星はン百チャンネル降らせているし、インターネットは無数チャンネルというか、もうチャンネルという概念がない。カラオケのメニューばりに選択肢があふれ、毎日のようにリストが増えていくと、もう自分で選ぶのはしんどくて、誰かオレのために絞ってくれないか、となってくる。
オレのために情報を絞ってくれるというのを編集という。情報社会は情報が海のようにあふれる世界で、その海をみんなが溺れないように渡るには、あなたのためスペシャル情報を選んでくれる編集の機能が重要だ。情報を作る人と同じ程度に、選ぶ人の地位が上がることになる。
たくさんあるよ、というのはもう売り物じゃない。いいものあるよ、にスタンスを変えることが肝心。CATVは編集者だ。お客さんが情報社会に向かう入口に立って、衛星やらインターネットやらの海からセンスのいいメニューづくりをすることが役割となる。
家庭と情報社会のゲートウェイは、おカネの受け渡しの窓口にもなる。昨今eビジネスとかネットビジネスとか世間は騒がしい限りだが、おそらくそこで一番パワフルな立場に立つのは、ハードでもソフトでもなくて、それらの請求書をまとめてお客さんに送れる胴元、だと思う。CATVはいいポジションにある。
さて今このパソコンがつながっている自宅のインターネットは無論CATVだ。ケーブル1本で、100チャンネルのテレビと、高速インターネットと、それからローカルの電話もセットで、月100ドル使い放題。日本からみればずいぶん安いが、アメリカはローカル電話が定額制だからそう安いという感覚はない。逆に見れば同じシステム同じ料金で日本でやればケーブルの競争力は高いはず。
2年前にボストンに来た頃、インターネットは自宅がダイヤルアップで、大学のLANの方が快適だから、大学にいる時間が長かった。近所のケーブル会社がインターネット接続を始め、自宅の方が高速になったので大学に行かなくなった。でもそのケーブル会社のシステムがショボくて、一年も経つと如実に遅くなったので、また毎日を大学で過ごすようになった。ところが最近、2社目のケーブル会社が最新システムで参入してきたので私はそっちに乗り換え、また大学に行かない日々だ。
インターネットのせいで行ったり来たりしている。私はネットにつながっていないと仕事も暮らしもおぼつかなくなっていて、いわば肉体関係だ。恐らく一生、ネット環境が一番いいところを生活の中心に据えることになるのだろう。はやく日本の方が安く速くなってくれないだろうか。そうすればすぐ日本に戻って、うまいメシを選ぶ日々なのだが。
|