1 情報通信の動向
●インターネットが刷新する情報通信
情報通信は現在アメリカの一人勝ち状態にある。ビットウェイからアプリケーションにいたるまで、アメリカは世界的にみて揺るぎない競争優位を築いている。
コンピュータの分野では、80年代にメインフレームからパソコンへと潮流が移行し、すなわちIBMからウィンテルへと覇者が移動したが、いずれもアメリカ内部のできごとである。アプリケーション層をなすコンテントでは、これも80年代にハリウッドの大作商業主義が世界の映像表現を凌駕した。
そして90年代はインターネットの季節となった。アメリカの生んだネットワークがまたたく間に先進国に広がり、電話を中心とした通信がコンピュータ中心の体系に移行するとともに、放送や書物・映画などを含む情報通信全体がその波におおわれている。これにより、企業活動や生活、人間の表現や認識が塗り替えられ、いわば人類の歴史は断層面を迎えようとしている。
これはアメリカ国籍のグローバル企業群が多層的に作り上げた状況であり、しかもそれは激烈な市場競争がもたらした成果であって、アメリカという国家はその脇役に過ぎない。何よりネットワーク時代はボーダレスを第一の特徴としており、一国の政策が今後の展望に旧来の寄与を続けるとは思えない。
しかし、20世紀の終末に出現したデジタル環境は、アメリカ国家全体が70年代から準備してきた作業が一気に明確な像を結びはじめたものであり、政府の戦略や行動がこれに対し重要な役割を果たしてきたことも事実である。特に93年からのクリントン−ゴア政権は、国家政策の第一に情報通信政策を掲げ、アメリカの意思を内外にアピールしつづけてきた。産業界、学界と政治・行政とがタッグを組み、新しい地平を切り開こうとしているかのように見える。
99年にはパソコンが国民の過半数に普及し、インターネットの普及率が30%に達した。5000万世帯に達した普及速度は、ラジオが38年、テレビが13年、そしてインターネットは4年だという。大変な勢いである。元来アメリカは60%を超える家庭にCATVが普及している多チャンネル映像環境であったが、それが急速にコンピュータとインターネットで双方向デジタル環境に高まろうとしている。
●ネットワーク市場
ビットウェイを提供するネットワーク事業は激動下にある。長距離や中継伝送では、AT&T、MCIワールドコム、スプリントに加え、光ファイバーによるデータ通信系のQwest、レベル3などの新興企業がインターネット需要を背景に競争を続けている。
ラスト1マイルと呼ばれる加入者系では、CLECsと呼ばれる通信会社が多数出現し、企業向けの顧客を開拓している。一方、AT&Tが84年に分割されてできたベル系地域電話会社7社は、97年から合併・統合が進み、ベル・アトランティック、SBCコミュニケーションズなど4社に集約されつつある。
このように、通信事業では、多層的な競争と、規模・範囲の経済を活かしたネットワーク統合とが同時進行しているが、ここでCATVも重要なプレイヤーとして浮上している。タイムワーナー、TCI、メディアワンといったCATV会社がインターネット会社の性格を強め、99年から電話会社と本格的に競合しはじめたからである。しかも、加入者系を持ちたいAT&Tがこれらを統合や提携の相手先として選んだため、90年代初頭のマルチメディア・ブーム後は冷ややかに見られていたCATVはまたも脚光を浴びている。
その結果、通信料金の体系も以前とは様変わりしている。インターネット電話が徐々に浸透していることもあり、長距離・国際電話料金は値下げ合戦が続いている。市内の電話料金は定額制が定着し、事実上インターネットは使い放題になっている(ただし、家庭向けの市内電話は競争がみられないため、値下がりはしていない)。
特に競争の効果が顕著に見られるのは、加入者系の高速回線である。電話会社のADSLも、CATV会社のインターネットサービスも、いずれも家庭向けのメガビット級回線であり、その顧客獲得競争が高速利用料金を低止まりさせているのだ(筆者が利用するCATVインターネットは1.5Mbpsで月30$であり、NTTのODNの1/100の料金である)。
電話会社は、定額料金で固定収益を確保し、課金コストを下げた。するとインターネット利用増によって回線がパンクしかねない悩みが発生したが、これを回避する技術が登場してきた。しかし今度は次のネットワーク更新に向けた投資余力を稼ぐ展望が見出せず、定額料金は廃止したいという声もあがっている。従来なら、ここで独占の地域電話会社は規制当局の出方を見て料金戦略を考えればよかった。しかし今や地域に厳然とした競争相手が現れており、おいそれとはいかなくなっている。
ADSLもCATVも、いずれも光ファイバーではなく、今の銅線をそのまま用いて高度なサービスを提供している点に注意を要する。しかもATM交換機に代表される電話型ネットワーク構成ではなく、ルータを通じたインターネット向け伝送路に徹していく構えだ。長期かつ新規の投資を避け、既存のインフラを使いきるというのがアメリカの方法論であり、いわば国家的かつ長期的な観点から重厚な投資をしていく日欧キャリアのインフラ観とは哲学的に一線を画する。
デジタルのネットワークは、有線に限らない。99年には衛星でのインターネット事業も立ち上がってくる見込みである。さらに98年秋から開始された地上波デジタルテレビが本格化してくる。まだ大画面で高画質のテレビという認識が一般的であり、双方向デジタルの特性を活かしたサービスはみられないが、いずれ家庭向けデジタル無線伝送路として深化していくことが期待される。インターネットが有線・無線、通信・放送のネットワークを一色に染め上げようとしているのである。
なお、アメリカと比較すると、日本はその情報社会モデルの特性からみて、デジタルテレビと移動体通信が極めて重要な位置を占める。ここでアメリカの移動体通信は、97年末で4900万台に達し、普及率では日本と大差ないのだが、着信側に課金される料金体系がネックとなっているせいか、日本ほど濃密な利用はされていない。
●ミドルウェア〜アプリケーション
ネットワークを利用する企業・家庭側の機器やソフトはアメリカ印ばかりである。テレビ受像機の生産から撤退したアメリカは80年代、パソコンの普及によって、日本に対する優位を取り戻した。さらにそれが90年代、ネットワークと接続されることにより、マルチメディアの世界的な覇権を確立することになった。
この分野においても競争は熾烈である。もはやウィンテルも磐石とは言えない。99年1月には、インテルのシェアがAMDに抜かれ、OS分野にもLinuxという強力なライバルが出現している。パソコンの実質価格はムーアの法則で幾何級数的に下がり続け、それがまたコンピュータとインターネットの利用を爆発的に増加させている。
99年2月には無料パソコンが登場し、インターネットも利用料タダというサービスが現れた。ハードウェアが安く広く行き渡り、ネットワークも低料金の競争となる。情報通信ビジネスの構造は、顧客を囲い込み、コンテントやサービス(つまりアプリケーション層からエージェント層、ミドルウェア層)で稼ぐというスタイルになっている。専門分野に特化して覇を競うベンチャー的な事業展開がデジタル産業の特徴であるが、同時に、垂直統合ならぬ垂直連携によって長期利潤を確保する戦略も重要となっている。政策の展開に際しても、ビットウェイやアプリケーション、ネットワークやコンテント、通信や放送を別物として扱う旧来型のビジョンではおぼつかなくなっている。
そのコンテント市場は2800億ドル、35兆円程度といわれ、その半分近くが映像産業である。資金と技術が集中投下されたハリウッドが米国内の映画やテレビを牛耳るだけでなく、世界市場を制覇している。さらに日本のお家芸であるゲームやテレビアニメにもデジタルの技術力を活かして注力してきている。
ただし、これは日本にも言えることだが、成長が見込まれるのは、エンタテイメントや報道といった従来型のコンテントではなく、電子商取引である。商取引というとイメージが狭いとすれば、サイバー取引と言ってもよい。金融やショッピング、さらには医療や教育、そして行政といったこれまで現実社会で行われてきた活動がインターネット上で行われ、それらがコンテント産業化するということだ。
(便宜上ここでは電子商取引をコンテントに単純分類しているが、4層構造でいえば、アプリケーション層だけでなく、エージェント層、ミドルウェア層にまたがる領域に及ぶものである。)
電子商取引は、ネットワーク上での表現技法だけでなく、暗号、認証、セキュリティやプライバシー保護など、制度や機密にからむ国家政策と密接な関わりがある。表現規制や著作権という従来のコンテント政策を超える政府関与が避けられない。
平成10年版通信白書によれば、アメリカの電子商取引の市場規模は、100億ドル、約1兆2千億円であり、日本の15倍の規模に達している。株取引の14%、小売り取引の25%がネットワークで行われているという。
もともとアメリカは通信販売が1兆ドル市場で、日本の60倍の規模であるから、成長の速さと市場の厚さは不思議ではない。ただし、そのボリュームは、企業間取引と消費者向け市場でみると10:1程度であり、産業界内部でのトランザクションが圧倒的である。ネットワークが米国企業の生産性や競争力の向上に寄与し、インフレなき成長を持続させている状況の一端が読みとれる。
消費者市場も今後の成長が約束されており、サンフランシスコやニューヨークのコンテント系ベンチャー企業がこれを支えている。一方、AOLとネットスケープ、ヤフーとジオシティーズなど、インターネットのブラウザや検索エンジンを持つ会社を軸に、コンテント系の水平統合が進んでいる。個人のネットワーク窓口(ポータル)の地位を確立するとともに、コンテント自体を囲い込む意味がある。
●資金ルートとベンチャー
現在の激しい動きを支えるのが情報通信分野に対する豊富な資金フローである。企業による情報化投資は、90年代に入ってますます活発化し、平成10年版通商白書によれば、全投資に占める割合は33%だという。これは日本の倍である。コンテントを支える広告費は電通の調べでは1750億ドル、日本の4倍。98年のインターネット広告は日本の20倍の規模だという。
政府からの支出についてみると、ネットワーク整備に向かう資金では日本はアメリカに遜色ない程度まで予算規模が拡大してきた。だが、研究開発分野ではアメリカは政府負担比が高く、民間主導という外見と裏腹に、軍事予算が民生のハード・ソフトと化して次世代の産業を支えていくという構図が浮かび上がる。
ただ、インターネット産業を根本で支えているのは旺盛な株式市場である。アメリカの貯蓄率は5%と日本の1/3程度なのだが、いま日本では預けられた資金は金融機関から企業に向かうパイプが詰まっているのに対し、アメリカの場合は個人の資金も株式に向かっている。無論、企業によるベンチャー投資も活発である。そのプロであるベンチャーキャピタルの投資は98年で約140億ドルといわれ、前年比24%の増加を見せている。
インターネット系の企業は、ビットウェイ、ミドルウェア、エージェント、アプリケーションという階層の別を問わず、その成長性が見込まれて株価が上がり、その体力を元に他社を買収する、という動きが活発となっている。新興のワールドコムがMCIを買収するというのはその典型である。一度も黒字を計上したことのない企業や、物的な資産を持っていない会社がやおら株式を公開し、兆円単位の時価総額を計上するという、おとぎ話のような事態が恒常化している。
98年に株式を公開した会社は611社であり、これは日本の7倍だという。さらに重要なことに、公開に至るまでの平均年数が日本が29年であるのに比べ、アメリカは5年だそうだ。アメリカでは大企業の雇用が情報化を通じた効率化の効果で大幅に減少している一方、新しく成長してきた中小企業の雇用がトータルとしてそれを埋めている。情報通信系の産業が経済全体を活性化し、構造を刷新していると言えよう。
政府支出が長期的で基礎的な技術に向けられることは当然であり、その意味で官民の分担は図られている。ただ、官と民をつなぐ位置にある大学の役割が日本に比べかなり大きく、取り分け、大学と産業界との距離が近いことは重要なポイントとなっている。企業との共同開発や開発成果のベンチャー企業化は大学の正統な活動であり、このような作用を通じて産官学が有機的に連動しているのである。
2 国家戦略としての情報スーパーハイウェイ
●明白な国家ビジョンの提示
アメリカの情報通信戦略は、一言で言えば産業強化である。90年代に入ってコンピュータを中心に産業競争力が優位となるに及び、その強い分野を強化すべく産学官が一体となって取り組む方向を国家として選んだのである。情報通信分野を国の最重要事項として位置づけ、先進的な技術力を活かして、世界的な競争力を確保・発揮することを目指している。
これは、ビットウェイの分野からアプリケーションの分野の全てにわたる総合戦略である。これらを一貫して、先端技術は軍事から民生に転用して利用させ、市場においては競争を促進し、対外的には市場開放を要求する。世界をリードし、ブームを創出し、結果として各国を米国の市場と化する。そしてその試みは見事に成功している。アメリカの産業覇権主義に対し、文化保護の立場から、フランスを中心に欧州大陸が反発する場面も見られるが、それは今のところ一方的な防戦にすぎない。
特徴的なのは、これらアメリカの取組が国家ビジョンを提示しながら進められている点である。通信・放送といった規制分野は市場原理を第一とし、インフラ整備を民間競争で推進する一方、政策目標や政府の行動原理を大統領サイドから明示して、進路の透明性を高めるという手法である。
ビジョン型の誘導手法を用いて情報通信の政策プライオリティを高めたことは、クリントン−ゴア政権の重要な性格である。クリントン政権は、仮に軍事面や私生活の面で点数を下げたり、就任してから3倍に高めた株価がまた下がったりするようなことがあったとしても、サイバー社会を構築した立役者として後生の歴史に名を刻むこととなる。
日本政府もさまざまなビジョンを提示しているが、アメリカとの大きな違いはその内容ではなく、国内政策に占めるプライオリティの低さと、これに対する政治的リーダーシップの欠如である。
●NIIとインターネット
ビジョンの第一段が93年9月の全米情報基盤(NII)行動アジェンダである。高度情報基盤を構築するための政府の具体的行動として、民間部門の投資促進、安全性・信頼性の保証、知的財産権の保護など9項目を提示したものだ。米国企業の国際競争力を強化し、グローバル市場で勝利を収め、国民に適切な仕事を与え、経済成長を実現する、という具合に国益をかなり露骨に表わしている。
この時点では、マルチメディアのための広帯域ネットワークを構築することに主眼が置かれていた。その主役はCATVであり、インターネットはまだ未知数の存在であった。そして94年から95年にかけてインターネットが急成長する。CATVによるインタラクティブテレビの試みが挫折したり、電話会社による映像伝送の動きが沈静化したりしたこともあり、NIIのモデルとしてインターネットが重視されるようになる。
94年には、クリントン政権は、NIIを国際的に展開するビジョンとして世界情報基盤(GII)を打ち出した。民間投資・競争の促進、オープンアクセス、ユニバーサルサービス等の5方針を提示している。95年2月にはベルギーのブラッセルで情報G7が開催され、各国首脳と民間代表が参加する中でアメリカの価値観を打ち出している。アメリカは、多数の途上国も構成員である国連電気通信連合(ITU)やWTOよりも、先進国との直接対話やそのサロンであるOECDの場を積極活用し、市場重視の姿勢を浸透させようと努めている。
96年にはインターネットの地位が確立し、NII=インターネットと認識されるようになった。そして97年には、議論の中心は、情報スーパーハイウェイをいかに構築するかから、いかに利用するかに移行し、特に電子商取引の枠組みや教育での利用に焦点が当てられるようになっている。政策の重心がインフラ(ビットウェイ)からコンテント(エージェント、アプリケーション)にシフトしていることに注目すべきである。
●インターネットの次世代化
ネットワーク・インフラは後述するとおり民間事業者の競争を通じて構築されているが、国ぜんたいのバックボーンについては、インターネットの源流である研究開発分野を中心に、国家的なプロジェクトとして高速化、次世代が進められている。
その具体策として現在推進されているのが次世代インターネット構想(NGI)である。政府機関主導で現在のインターネットの100〜1000倍という超高速ネットワークを構築し、全米の政府系研究機関や大学など100か所以上を接続しようとするものだ。96年10月に構想が発表され、98年2月には実施計画が発表されている。
99年度には1億ドルの予算が計上され、ネットワーク技術の開発やアプリケーション開発が進められることとされている。国防総省高等研究開発局(DARPA)や全米科学財団(NSF)らが中心的な役割を果たし、バックボーンの運用をMCIワールドコムが担当することとなっている。
また、大学を結ぶ高速ネットワークの開発プロジェクトとして、インターネット2がある。インターネットは大学間の伝送網が母体となったが、さらに大容量で安定した回線環境を構築しようとするものだ。96年10月に発足し、97年10月には非営利団体UCAIDを設立、112の大学が参加するとともに、シスコ、IBM等の民間企業が協力、そしてNSFによる支援を得て進められている。ABILINEと呼ばれるバックボーンはQwest社が提供し、政府は5億ドルの資金援助を表明している。NGIとインターネット2は密接に関連しながら推進される見通しである。
研究開発に対するアメリカ政府の取組には日本では想像しがたいものがある。特に軍事技術をめぐるブラックボックスの奥は、アメリカの国家そのものとも言うべき深みがあり、メディアの分野はその存在を抜きに全体像を描くことはできない。
46年に登場したコンピュータENIAC、インターネットの元祖である69年のARPANETをはじめ、携帯電話に用いられるCDMA 技術や低軌道周回衛星、CALSなど、軍事から民間に転用されてきたものは数多い。民間に渡った瞬間には世界的な技術勝負は決していて、その後は世界に対し市場での対等な競争を迫る。そういう戦術である。
●新たなユニバーサルサービス
ネットワークの整備は上記バックボーン支援策や96年電気通信法による規制緩和によって拍車がかけられているが、さらに、96年電気通信法の制定を通じ、競争政策とユニバーサルサービスの両立に挑戦する意欲的な試みもなされている。
情報スーパーハイウェイ構想を具体化するものとして、97年5月、FCCはユニバーサルサービス規則を制定した。通信事業者の拠出によって新ユニバーサル・サービス基金を創設し、98年から農村・離島向け、低所得者向け、学校・図書館向け等に料金割引・減免を導入することにより、設備やサービスの普及を促進している。基金は98年で48.5億ドルという。
このような施策は、クリントン政権の決意を明確に表現するものである。97年2月5日、一般教書演説でクリントン大統領は、誰もが12歳でインターネットを使えるようにするという有名なセリフを残したが、それに向けて具体的な施策も講じるということであろう。
なお、インターネットの運用に関し、97年7月、アメリカはドメインネームの管理を民営化すると発表した。従来、DARPAやNSFの系統の組織が取り扱っていたものを民間の手に移行させるとし、各国の関係者との調整に入ったのである。その政策の性格そのものや、その過程で際だった商務省などのプレゼンスは、インターネットがアメリカの国家戦略と極めて深い関わりがあることを改めて認識させるものだった。インターネットは草の根から無秩序に進展した自由なネットワークとのイメージが強いが、アメリカ国家とのしがらみも無視すべきではなかろう。
3 情報通信インフラの競争政策
●競争政策の進展
大統領主導のスーパーハイウェー構想は、いわば支援政策である。こういう手法と並ぶ政策ツールが規制政策である。規制という制度的な措置と、支援という資金的な施策は、車の両輪をなす。ただし、ビットウェイに関する重要性は規制政策の方が圧倒的に高い。
アメリカのインフラ政策の要諦は、民間企業の競争を通じた整備と高度化である。今でこそ多くの先進国でインフラと競争とは両立する概念となっているが、独占体制が大勢であった通信の分野で競争という言葉が世界的にクローズアップされてきたのは80年代のアメリカの政策以降のことである。そしてアメリカは競争を促進するための制度を順次強化してきた。
80年代は、市場や事業を分割することによって競争を促進することが基本的な考え方であった。80年のFCC第二次コンピュータ裁定(基本・高度サービスの二分法)と非対象規制、84年のAT&T分割(長距離・地域の分割)とケーブル通信政策法(電話会社と映像サービスの分離)、これら政府、司法、議会によって導入された各種政策は、いずれもメディアの多様化を踏まえ、細分化した部門の内部での競争を期待していた。
イコールアクセスやアクセスチャージなど接続に関するルールが整備され、旧AT&Tの支配力を制約する非対象規制によって、競争状況を人為的に作り出そうとしとていた。その結果、長距離分野では競争が進み、95年にはAT&Tは非支配的事業者とされるに至る。また、マルチメディア・ネットワークとしてCATVの機能がクローズアップされる一方、通信回線による映像伝送の可能性も高まり、92年にはFCCがビデオ・ダイヤルトーン裁定を発する。しかし結局、地域市場での競争は起こらず、通信と放送の融合も実態を伴うものとはならなかった。
そうした中で成立したのが96年電気通信法である。96年電気通信法の主眼は、地域市場の競争を促進することに置かれている。その柱は、長距離と地域の相互参入を促進すること、そして相互接続を推進して地域電話会社のネットワーク開放を促進すること、である。
一般にこれは抜本的な規制緩和法として認識された。しかしFCCの規則や運用を含め、日本には見られない規制が緩められたものであったり、新法制定後も日本より厳しい規制が残ったりしている点には注意すべきである。単純な規制緩和というより、競争促進のための制度の再構築と見るべきであろう。競争を促進するためには規制することも緩和することも厭わない、という姿勢である。
●96年電気通信法の導入
具体的にはまず、長距離・地域間の相互乗り入れである。AT&Tが地域に進出することを州や自治体が禁止できないようにするなどして、長距離系が地域に進出することを促進。通信から放送、CATVから通信への進出も認めることとした。
他方、地域電話会社が長距離市場に進出することも認めることとした。しかしこれは、その要件を明確にして厳格に対処するという歯止め策の色彩が強い。その要件とは、競争事業者が存在すること、分離子会社によること、競争条件についてFCCの承認(アンバンドル、番号ポータビリティ、管路のオープン化)が必要であること、といったものである。
もう一つの柱は、接続ルールの強化である。全ての電気通信事業者に相互接続の義務を課すこととし、FCCはこれに基づいて詳細な規則を導入している。既存の地域電話会社が公正・合理的かつ無差別な料金・条件で接続するよう求めている。
新規参入事業者が地域電話会社から設備をアンバンドル(切り出し)して利用できるようにすることもルール化している。その接続・設備利用の料金は、将来的なコスト(Forward-looking
economic cost)=長期増分コストの算定に基づくこととしているのも重要なポイントである。
このほかインフラ整備に関わるものとしては、CATV料金の規制撤廃や放送局の複数所有規制の緩和も挙げられる。外資参入規制を撤廃した日本と異なり、無線局の外資規制は相互主義としている。なお、かつてNTTやKDDの子会社がアメリカの通信市場に参入をもくろんだ際、これが拒否されて国際問題となった。日本の制度実態からみれば、誠に不透明で行政裁量の大きいアメリカの実態が浮き彫りになった事例だが、今なお日本のマスコミも含め、日本の参入規制の方が厳しいと認識されているのは不可解である。
●進まない競争
鳴り物入りの新法であったが、所期の効果をあげているとは言いがたい。長距離事業者が地域の電話市場に参入する動きは見られず、ローカル競争は活性化していない。電話の値下げも見られない。AT&Tはインターネットの足回り回線としてCATVに着目、TCIの買収やタイムワーナーとの提携という道を選んでいる。競争より合併、電話よりインターネットという動きである。
ただし、大手企業どうしの激突がない代わりに中小の新興事業者が企業など都市部の大口ユーザに食い込み、急成長している。既存事業者はクリームスキミングを問題視している状況である。
既存の地域電話会社の回線を新規事業者に開放しようという試みもまだ途上である。これはADSLの整備を促進する方策でもあり、高速インターネットを普及させる決定打である。しかし既存の電話会社にすれば、自前でDSLサービスを提供する道を失うとともに、回線提供じたいはビジネスとしてうま味がないため、及び腰の状態を脱しない。
ここでインターネットは非規制の高度サービスとして位置づけられている。インターネット事業者はアクセスチャージ支払いやユニバーサルサービス基金への拠出を免れるなど、いわば制度的に優遇された立場にある。地域電話会社としては、インターネットの爆発的な普及に応じて回線容量を増やす必要があるため、アクセスチャージで投資コストを回収したいところだ。が、FCCケナード委員長はインターネット接続業者にアクセスチャージを課す意思はないと言明している。
一方、地域市場から長距離市場に進出したいという動きはあるが、これは当局にはばまれている。97年と98年にこれまで4件の申請があったが、いずれも却下されている。しかし、地域会社どうしの水平合併は進んでいる。ベル・アトランティックはナイネクスを吸収し(97年8月)、さらにGTEの合併も視野に入れている。SBCコミュニケーションズはパシフィック・テレシスを統合し(97年4月)、さらにアメリテックの合併も視野に入れている。独占的な企業が規模の利益を求め、旧ファミリーのヨリを戻そうとしている。国際市場ではAT&T、MCI、スプリントを軸にした覇権争いが続いているが、大手事業者を軸とする再編はまだ収まりどころが見えないでいる。
●制度の不確定
96年法の抱えるもう一つの問題として、制度がまだ安定していない点が挙げられる。規制内容だけでなく、規制の権限の所在さえも確定しないようなものがみられる。むろん立法権は議会にあり、しかも法案の多くを政府が用意する日本と異なり、実質的に議員立法である。だが、制定された法律が司法の判断を待つケースも少なくない。制度を運用するFCCはもともと日本の郵政省に比べ強力な裁量権を持っているが、そのルールが司法に否定される場合もある。各州の公益事業委員会が持つ権限も大きい。国の権限が分散しており、多層的なプレーヤーが当局として活躍しているのである。
例えば、FCCの料金規制は州の権限を侵害するとの裁判上の争いがあり、97年7月にはFCCの権限を無効とする判決がなされている。 地域電話会社による長距離サービスを制限している条項についても、違憲判決が出されたり合憲判決が出されたりしている。議会からはFCCの合併審査権限を制限すべき等の議論が提出されている。州政府による接続の仲裁に関し、州ごとに対応がバラバラであるとの問題も指摘されている。
98年に入りFCCは司法・州政府との協調路線に転換した模様である。ケナード委員長は、行政の重点を、ユニバーサルサービス・消費者保護・情報政策、通信市場の競争促進、電波監理に置くと表明するとともに、自己改革の姿勢を示し、FCCに対する批判をかわそうとしている。いずれにしろ、制度が確定するまでにはなお時間を要するが、デジタルの実態は事務的な調整力をはるかに超える速度で進むため、確定するまでに次の制度が必要になってくる。
アメリカは三権分立+行政委員会(FCC)という構造が極度に拮抗した姿であり、民主主義の鏡として評価されることが多い。しかし同時にそれは不安定、不透明という社会コストも伴う。少なくとも日本の制度と比較するに際し、行政庁のみに光を当てても全体像は見えない。
●デジタル統合との調和
そして96年法が抱える最大の弱点は、インターネット時代を見越して作られたものではないという点である。法律の眼目は電話であり、制定当時、映像系ではCATVがマルチメディア・ネットワークの主役として注目されていたため、電話網とCATVとの関わりが強く念頭にあったものと思われる。インターネットは急速に伸びつつある一つのネットワークにすぎなかった。
しかし、制定後、インターネットが情報通信の主役として認識されるようになり、事業者はみなそれを軸に据えてビジネスを展開している。現に法律の競争効果は電話よりもインターネットにおいて現れ、それがインターネットの成長を後押ししている。当面、情報通信はインターネットが柱となることが確実であり、各種のネットワークはデジタルに統合されていくであろう。電話を中心としながら、他のサービスやネットワークが多層的に競合するという従来のイメージは修正を迫られている。
確かに96年法は競争を追求する点で世界の先進モデルである。だが、急速なデジタルの進展は、制度の陳腐化も浮き彫りにしていく。インターネット電話に代表されるように、電話も映像もみな統合データ通信として捉える視座が求められることとなる。基本−高度サービス区分の限界を露呈するのである。
通信と放送の区分も同様である。放送のどの部分までインターネットが包含していくかは不透明であるが、少なくとも放送をデジタルの波が覆いつくすことは確実である。アメリカでは94年から衛星デジタル放送が開始され、CATVは97年から徐々にデジタルが導入されている。そして98年11月に地上波デジタル放送が始まった。当面のサービスは現在のテレビ放送の域を出ないであろう。しかし、2006年にはアナログ放送が終了し、みなデジタルに移行する計画だ。それに伴って発生する帯域の余裕部分も含め、家庭向けの太いデジタル回線が登場してくることになる。通信・放送融合型のサービスが開発されていくことが予測される。
デジタル放送の進展は、有線と無線の混合にも拍車をかける。移動体通信の普及により、ネットワークにおける電波の重要性は高まっており、固定通信のアクセス手段としても期待を集めている。周波数の割当に競売の制度を採用するなど、ここにも競争の原理が導入されており、インフラ提供事業者は経済効率の観点で有線と無線を比較して手段を選択していくことになる。
このような一連の事象はまだ制度として反映するまで熟していないのかもしれない。技術も市場も利用態様も、極めて流動性が高く、当面は制度の見直しも瞬間的な変化に応じて個々に手当てされていくことであろう。だが早晩、全般的に見直す必要が生じることとなる。アメリカが再度、世界に先がけて新制度を構築するかどうかは別として。
●インフラと競争の矛盾の克服
アメリカのビットウェイに関する政策、すなわちインフラ政策は、競争という思想で統一されている。これはアメリカ産業の行動原理ともあいまって、ネットワーク事業で短期的な利潤を追求したり、現在の株価総額を高めたりする行動を助長する。このせいか、地域電話会社はADSLへの投資は行うが光ファイバーへの投資は進まない。99年に入って西海岸のパロアルト市がファイバー・ツー・ザ・ホームの計画を発表したが、これなどは例外である。日本が2010年までにファイバー・ツー・ザ・ホームを実現するという看板を下ろしていないのとは対照的である。
そこではインフラ=社会資本という性格は薄い。そもそもインフラという概念と競争という概念は反発しあうものであり、市場原理で立ち行かないものをインフラと呼ぶべきなのだ。アメリカのネットワーク政策はインフラ政策から脱却しようとしている点が特徴と言えるかもしれない。
長期展望を欠く恐れがないとは言えない。しかし逆にアメリカは、長期展望などというデジタル時代にあってはあまりに不確かな題目を排除し、経済のメカニズムのみで整備と利用をたたかわせることが最善との立場を取っているのである。
他方、ネットワーク・インフラは、国家的な事業として長期目標を定め、資金と技術を集中的に投下して整備していくのが近道だという見方は、欧州大陸の諸国を中心に今も根強いものがある(日本は競争原理の導入が85年と早かったこともあり、アメリカ型と欧州大陸型の中間的な政策で進められてきた)。マレーシアやシンガポールなどでは、強烈な政治的主導で次世代型のネットワーク整備を進め、先進国を凌駕するデジタル環境を実現しようとしている。
そしてデジタル時代のネットワーク政策の在り方は、アメリカ型が正解なのか、国家型にもメリットもあるのか、まだ確定したとは言いがたい。インターネットの成功によって、アメリカ型で勝負あったとするむきも多いが、インターネットとて商用化されてから10年に満たないのであり、その間、技術は激しく流動している。技術が流動する間は市場による瞬間的な選択が有効であろうが、技術が収斂してインフラの姿が確定してくると、長期戦略もまた意味を帯びるようになるかもしれない。
アメリカが既存ネットワークの高度化に精を出す間に、光ファイバーやテレビ向け電波など別種のデジタル回線を整備することにより、一気に次世代のネットワークへとジャンプアップしてアメリカを追い越す姿を空想することも可能である。現時点では、アメリカのネットワーク整備政策は最も有望で強力なモデルだが、唯一の選択肢ではないとしておくべきではないか。
4 アプリケーション戦略
●コンテント産業政策
93年のGATTウルグアイラウンド・オーディオビジュアル交渉で、米欧は政策スタンスをめぐって真っ向から対立した。映画のコンテントについてアメリカが流通の自由を求めたのに対し、フランスが文化保護主義で対抗したのである。
アメリカが自由を標榜するのは、表現の自由に対する理念からではなく、単純な産業覇権主義からである。映像産業の競争力を発揮する戦略に基づくものである。アメリカの戦略レベルでのスタンスはいつもシンプルかつストレートである。(ちなみに日本は米欧に比べ政策ス |