■学長くんガチョーン. デルマパンゲさん
Dr.ハインリッヒに次いで、2組めの漫才師登場。ねりにねって、この2人しかいない。とお頼み申したデルマパンゲ。パンクすぎてとうとうM-1決勝に進まなかったのはハインリッヒと同じ。勲章ですな。 ((巨爆笑)) 優しい?
◆「デルマパンゲ」の由来
迫田
大阪に来てコンビ名どうしようか、と考えていたときに、たまたまドン・キホーテをウロウロしていた際、電化製品売り場にて現品限りで安く販売している「電動マッサージ機(電マ)」を見つけた。
電マを安く売っている。電マバーゲン…………デルマパンゲ。
というのを、由来として、最近一番言っている。
いろんな説がある。
広木
完全に造語。
迫田
言葉自体はない言葉。
◆ネタ
迫田
10年以上、長くやってきて、なんとなくわからないだろうな・理解されないだろうなとおもうこともある。
たとえば、洋楽を好きな人は、意味が知りたくなり、訳を調べてみたりする。落語の古い言葉も知りたい人は調べる。
多少知らなくても、興味を持って、色々調べて、理解してくれという感じで、とぶん投げている。
広木
こういうのを言いたいというのを何個か最初に言われて、あとは気になることがあればその場で言ってきて、といつも言われる。
昔はもうちょっと細かく言っていたが、全く受けなかった。笑い飯の西田さんなどと飲みに言ったときに、西田さんが「わからん」と言って、周りのお客さんが笑っていた。そのときにわからないときはわからないというのはアリなんだ、とおもった。
迫田
大きく分けて2パターンあるとおもう。お客さんに笑ってほしい・どうしたら笑うかなというのを考える人とこれがおもしろいからやりたいという人。
何で笑うかなということは、最初は考えてない。ぶん投げている。
広木
(迫田さんは)これが言いたいが、勝つ。
◆同級生
迫田
北九州高校で同級生。
広木
別々の大学に行き、卒業した後吉本へ入った。
迫田
友達がバンドをやっていて、楽器の入れ替えのときになにかしゃべってほしいと言われ、その時いた友達と一緒に出ていた。
ポスターに名前出せるというから、そのときにデルマパンゲとつけた。
◆芸人へ
迫田
芸人になるのは、ぼんやりとおもっていた。就職しようとおもい、就職先を大阪か東京か選べたので、大阪へ。
芸人になることを舐めていて、絶対行けると思っていた。働きながら趣味でやって、軌道に乗れば、仕事をやめてやればいいという感覚でいた。
広木
就職でもなく大阪へきた。すぐ売れるとおもっていた。自分たちの計算では3ヶ月以内には売れっ子だと思っていた。なので、特に就職活動もしなかった。
迫田
業務用冷蔵庫を売る営業をしていた。
土日に2人で一緒になんばへお笑いライブを見に行っていた。無料のライブが結構あった。大体程度が低かったが、ちらほらおもしろい人達がでてきた。やばいな、このレベルで売れていないなら就職して、趣味でやって、売れるわけがないとおもった。
最初に衝撃を受けたのはミルクボーイさん。
しかし、よしもとのオーディションメンバーのピラミットの二軍にも三軍にもいなかった。
これは片手までやるべきではない、と夏前に気がついた。2、3ヶ月で会社をやめた。
そこからライブに出ようとしたが、学校に行っていない。
広木
ツテがない。
迫田
とにかくなんでも出られるやつに出よう、とガラケーで(広木さんが)検索して、月に20個くらい自主ライブに出た。
最初のライブは、女子高生みたいな人に「場代払ってください」と言われ、払い、落語をやるおっちゃん・ピンのおばちゃん・女子高生に混じってやって、客3人。
ここから始めるのかよ、とおもった。
広木
その時に養成所にはいっていたら、NSC29期になる。見取り図・金属バット・吉田たち・ヘンダーソンがいる。そこが最近あやしいとなっている。大卒でやってきて年齢があわないぞ、と。
迫田
はじめは何期生がなにかもわけわからない。何年目かといわれた。
広木
芸人になるまで年下の先輩、という意味がわからなかった。いろいろ聞いて言って、タメ口で話されるのも嫌なので、29期に自分たちで設定した。
◆つながり
広木
基本みんな仲がいい。揉めたりなどない。
Dr.ハインリッヒさん・金属バット(さん)とは一緒にユニットライブをやっている。ミルクボーイさん、金属バット(さん)、ツートライブ(さん)ともユニットライブをしている。
迫田
基本的には自分たちで決める。誰かが声をかけてくれたり。
◆ライバル
迫田
別にない。
広木
似ているなというコンビはあまりない。
◆北九州弁
迫田
自然。自分たちの言葉。
たまに伝わらないこともあるが、U字工事さん、華大(華丸大吉)さん、千鳥さんなど、世の流れ的に方言でやることが当たり前になった。いつの間にか。
広木
たぶん今は関西弁とミックスになってきているとはおもう。
◆漫才
迫田
漫才をやったのは、僕たちの時代はみんなそうだが、M-1をみていた。勝手なことできる、ふざけておもしろいことを言える、漫才が一番お金も何もかからなかった。
高校生の頃みていたM-1。中でも笑い飯さん。全然知らない普通の兄ちゃんがでてきて、松ちゃんと紳助めちゃめちゃ笑わせとるやん。おもしろかったらいいんだ、と。いいなとおもった。
広木
ぼくは芸人になりたいというより、芸能人になりたい、というのが最初。
まだ目標には達せてない。
見取り図は芸能人。
迫田
いっぱいテレビに出て、お金持ちになって。
広木
漫才はそれはそれで楽しいが。
迫田
漫才はずっとやっていく。M-1を見て始めた漫才だが、今となっては一番効率がいいとおもう。パッと行って喋って稼げる。こんな効率のいいことはない。
広木
漫才をすることは(迫田さんにとって)ストレス発散が大きい。
迫田
舞台上では好き勝手喋っているつもりだが、一昨年くらいに口の中でザラッとする感覚あり、虫歯だろうと10年ぶりに歯医者へ行った。
虫歯じゃなくて、歯ぎしりだった。グッと噛むので歯と歯茎の間が砕けていた。
マウスピースを作って、ストレスを発散してください、と言われた。(舞台上で)好き勝手ぶちまけていたつもりだったのに、まだストレスがあるのか、とびっくりした。
◆学校
迫田
いい思い出。
広木
かっこつけてめんどくさいと言っていたが、好き。
迫田
大学へは行ったが、授業など勉強の記憶は1秒もない。
そんなことより、20歳前後は学生といってガキのフリもできれば、大人のフリもできる。すごくずるい立場で、時間も無限にある。そういうのは学ばせてもらった。
広木
ふたりとも志を持って入学してなかったから。
迫田
その時間は役立っている。あんなにダラダラしていた、大人になったらがんばらなければ、と。
広木
メンタルか。
◆キミたちへのメッセージ
迫田
親を大事に。
広木
自分たちもそうだが、大学に行かせてもらっている。
全然親孝行できていない。親を大事に、は本当にそうだとおもう。
迫田
父に縁を切られている。就職をするということで、大学に4年行き、就職をしたのに突然やめた。
高校を出るときに一人で吉本の学校に行ってもいいかと考えていたが、そんな勇気もなく。とりあえず大学へ4年間通ったら、シェフになりたいなど別な夢が見つかるとおもったが、ヒマな分やりたいことがグッとなった。
就職もすぐやめて、お笑いをはじめたので、親からすれば、4年間騙して、就職までして、何をやりやがった!これはだめだ!と縁が切れた。
親を大事には結構太い意味。
家の様子はたまに妹に聞く。(父は)年々怒っているとのこと。
広木
普通怒りは収まっていくものだが。
●iU | 学長 |
●京都大学防災研究所 | 研究員 |
●一般社団法人CiP協議会 | 理事長 |
●一般社団法人デジタルサイネージコンソーシアム | 理事長 |
●一般財団法人デジタル政策財団 | 理事 |
●一般社団法人国際公共経済学会 | 会長 |
●一般社団法人デジタルリスク協会 | 理事長 |
●一般社団法人ソーシャルインパクト | 理事長 |
●一般社団法人超教育協会 | 専務理事 |
●CANVAS | 副理事長 |
●日本スタンフォード協会 | 理事 |
●日本ビジネスモデル学会 | 理事 |
●少年ナイフ | 特別顧問 |
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●一般財団法人大川ドリーム基金 | 評議員 |
●公益財団法人 子ども未来支援財団 | 評議員 |
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●東京大学先端科学技術研究センター | 身体情報学分野アドバイザー |
●Superhuman Sports Committee | 発起人 |
●理化学研究所 革新知能統合研究センター(AIP) | コーディネーター |
●京丹後市 | 最高デジタル責任者 |
●活力ある地方を創る首長の会 | 特別顧問 |
●デジタル政策フォーラム | 発起人 |
●POP POWER PROJECT(PPP) | 発起人 |
●一般社団法人日本民間放送連盟 ネット・デジタル関連ビジネス研究プロジェクト | 座長 |
●融合研究所 | 主筆 |