4章 研究とビジネス
◆4-1 30 と7
メディアラボの教授会は、30人の教授と4研究員で形成される。物理学、数学、化学、認知科学、情報工学。デバイス技術、通信技術、映像技術、音響技術。グラフィックデザイン、造形デザイン、音楽、ロボット、バイオ、教育、社会、国際関係。デジタル研究のデパートである。
メディアラボは、従来にない学際領域の研究機関として設立された。設立時の教授陣は、建築のネグロポンテ、人工知能のミンスキー、数学・学習のパパート、ホログラフィー・視覚美術のベントン、音楽のヴァーコウ、視覚メディア・ネットワークのリップマン。メディアに関する異能が集結して核をなした。
当初は、視聴覚メディアやバーチャル・リアリティーに関する研究が中心だった。パソコンの出現をとらえ、よりパーソナルな利用を可能にする技術と、それらをネットワーク化する技術を推し進めた。電子出版、インターネットやデジタル放送など、90年代に花開いていく技術やアイディアが打ち出されていった。
その後、ウェアラブル技術、エージェント、認知科学などユビキタス社会を支える技術にも力が注がれ、教育分野をはじめ利用面での取り組みも充実していく。そして最近では、ナノテク、バイオ、ロボットなど、デジタルの新展開を支える分野に歩を進めている。
30グループの研究は、「知覚」「表現」「学習」という三つの核からなる。コンピュータの技術、その上で流れるコンテンツ、そして子供や社会やコミュニティといった利用面の改善。「テクノロジー」「アート」「アプリケーション」と置き換えてもいいかもしれない。
されにそれをベンダー所長は7分野に体系化している。
1)ビットとアトム
原子核からグローバル・ネットワークまでの規模にわたる情報内容と物理的表示に関する研究。
2)連結
人とモノに接触する技術の開発と利用。
3)アイデンティティ
自己アイデンティティの形成・表現と他者アイデンティティの認識・描写を通じた人とモノのデジタル・アイデンティティの研究。
4)具体化した存在
動物や人にみられる常識や社会性を持つシステムの開発。
5)表現する経験
音楽と言語の符号化、生産、企画と解読、理解、解釈。
6)発明家としての消費者
経験、作品、道具、言語、表現を発明できるようにするための経験、作品、道具、言語、表現の発明。
7)コミュニティ・コンピューティング
コンピュータを介した活動を通じた集団による建設的な経験の共有・学習。
◇教授陣と研究テーマ
○設立当時からの参加者
・ネグロポンテ
・ミンスキー 「こころの社会」
多種の高度に進化した脳のメカニズムどうしの相互作用
・パパート 「学習の未来」
デジタルと学習:思考や創造をサポートする概念や言語の構築
・ベントン 「空間イメージ」
ホログラフィなど:メガネなしで立体映像を表示するコンピュータ技術
・ヴァーコウ 「音楽、頭脳と機械」
賢い音楽システムの創造
・リップマン 「メディアとネットワーク」
ネットワーク:メディアやコミュニティやビジネスの変革
・ベンダー 「電子出版」
ニュース・情報の効率的な生産・表示・伝送と消費者の参加
・シュマント 「スピーチインターフェイス」
スピーチ技術とポータブルデバイスとコミュニケーション
・ダベンポート 「インタラクティブ・シネマ」
メディアのクリエイターとユーザによる物語の構築手法
・マッコーバー 「未来のオペラ」
新しいインターフェイスのデザインを通じた作曲、演奏、学習、表現
・ボウブ 「オブジェクト・ベース・メディア」
オブジェクトやスクリプトとしてデジタル処理できる音声・映像の自己組織化技術
○80年代後半から97年までの参加者
・ペントランド 「ヒューマンデザイン」
人と機械とのパートナーシップによる人間性や人間社会の再定義
・マース 「ソフトウェア・エージェント」
(エージェント・ソフトの研究。ただし現在休暇中)
・ピカール 「感情コンピューティング」
人の感情や反応を感知し、認識し、理解するコンピュータシステム
・ガーシェンフェルト 「物理学とメディア」
デジタル世界のビットと物質世界のアトムとを結合させる材質とメカニズム
・レズニック 「生涯幼稚園」
新技術による創造力と学習の拡張
・カッセル 「ジェスチャーと物語の言語」
全身を使って言語的・社会的能力をもって応対する人とモノ
・パラディソ 「反応する環境」
新しいセンシング形態と新しいインタラクティブな経験・表現
・マイク・ホーリー
(ネットワークやオモチャ。ただし現在、建築学部長プロジェクトに異動)
・石井 「タンジブル・メディア」
人とビットとアトムをつなぐシームレスなインターフェースのデザイン
・ブルンバーグ 「人造キャラクター」
犬のような動物が持つような常識、学習能力、感情を持つキャラクター
・ジェイコブソン 「分子機械」
分子レベルでの工学理論と機械
・前田 「美学とコンピュテーション」
デジタル表現を構築するプロセスを進化させる新しい様式や文脈
・スミス 「批判的コンピューティング」
(コンピュータによる人の経験の把握分析。2002年ペンシルバニア州立大学に移籍)
・ドナス 「社会的メディア」
人のコミュニケーションにとってよりよいオンライン環境とインターフェース
○98年以降の参加者
・マナリス 「ナノ・センシング」
マイクローナノレベルのデバイスによる生物学的な分子行動の探求
・セルカー 「文脈理解コンピューティング」
社会的・教育的・機能的な文脈と機械
・ロイ 「認識する機械」
人や物理環境とのやりとりを介した機械による言語学習
・チャン 「クウォンタ」
分子や原子という基本的な物理メディアのブロックで情報技術と知能を構築する方法
・クリスC 「コンピューティング文化」
アーティストが人のあらゆる経験に技術を適用させていく手法
・ブリジール 「ロボット表現」
人と実際に対話したり人を理解したりする生きているようなロボット型生きものの創造
・アリエリ 「e合理性」
人の日常の行動や電子空間での行動分析
・ペパバーグ(客員教授) 「ペットプロジェクト」
(コンピュータを用いたペットおもちゃ。2002年まで在籍)
・ベスト(研究員) 「e開発」
途上国の豊かにする電子商取引や通信システム
・カバロ(研究員) 「未来の学習」
新技術と実践による学習の言語や概念の再定義・拡張
・ミカク(研究員) 「学習ウェブ」
人的ネットワークの創造と強化による個人やコミュニティや国家の開発
・リーバーマン(研究員) 「ソフトウェア・エージェント」
相手とのやりとりを通じて学習したり、ユーザのニーズを予期したりするソフトウェア
◆4-2 勉強と仕事
メディアラボは研究機関であると同時に、教育機関である。独立した研究所でありながら、学位も与えられるという点が特徴である。180人の学生が所属していて、その6割が修士課程、4割が博士課程だ。女性が3割弱を占める。
通常なら年間2万5000ドルの学費を払うべきところ、全員、学費が免除されるうえ、月々1700ドル程度の生活補助を受けている。いわば、スポンサーに雇用された研究所の従業員である。フェロー・プログラムの奨学金も充実している。35%の学生がアメリカ以外の国からやってくる。世界中の秀才が集まる理由には、経済的な仕組みもあるということだ。
ここの学生はみな研究補助員という肩書きを与えられ、統一デザインの名刺を持つ。生活と立場を保証された上で、実に過酷な学習と研究に没頭する。
学生はいずれかの教授の門下に入る。各教授チームは6名ほどの学生を抱えることになる。それが一つのユニットをなし、グループごとに独立して研究が行われる。学生は一つないしは複数の研究プロジェクトを担い、ラボ全体では310を超えるプロジェクトが動いている。
四年制の学部学生も授業や研究のため約200人が出入りしている。それらの中には、学部を卒業してから修士号を取りにメディアラボに上がってくる人も多い。学部生のうちから、ラボの研究員としてアルバイトしている者もいる。
授業は多彩だ。座学というより、作ったり、プレゼンしたりする形のものが多い。直近の学期を例にとれば、以下のような講座ラインナップとなる。
・ボウブ、ピカール 信号と情報
・ピカール、ロイ パターン認識・分析
・シュマント 会話型コンピュータシステム
・ヴァーコウ 人と機械による音響処理
・パパート 学習環境
・レズニック システムと自己
・カッセル 双方向システムでの対話の理論・実践
・ベンダー 色彩論
・マッコーバー 音楽美学とメディア技術
・石井 タンジブル・インターフェース
・ダベンポート マルチメディア製造
・ベントン 空間イメージシステム
・ガーシェンフェルト ITの物理学
・チャン 量子情報科学
・マナリス、ジェイコブソン シリコン生物学
・セルカー 文脈論、工業デザイン
・ペントランド グローバルEラボ
こういうリストにドキドキするタイプの人で、類いまれなガッツがあって、しかも優れた頭脳の持ち主という、かなり変わった若者が集まってきて、狭き門を叩く。
アメリカは厳然たる学歴社会である。日本の学歴偏重を非難する向きもあるが、偏重ぶりは断然アメリカが上だ。どの学校を出て、それが学士か修士か博士かといった履歴が就職時の報酬に如実に反映される。
だから学生は歯を食いしばって学位を取ろうとする。修士号の取得に2〜3年、博士号の取得に3〜4年かかるのが標準パターン。学部学生から博士号までずっとメディアラボに居座っている者もいる。ラボができてから20年近く、ずっと学生やってるやつもいる。デキが悪い?逆だ。極めて優秀で、ラボやスポンサーから離してもらえないのだ。
でも考えてみれば、いくら学費タダで生活費も出ると言ったところで、学生やめて就職すれば年俸1000万円は楽勝というスゴ腕の連中が、何年も真夜中バグとりやハンダづけしているのはなぜだろう。どうして?将来のカネか?学位という名誉か?
「いやー、スキだからやってんだよね。」誰に聞いてもこう答える。私がコンピュータを使って計算してもわからない難問をたちどころに暗算で解いてしまうようなこういう連中は、自分のことになると計算が苦手のようだ。「将来? どうするかわかんないな。」という学生が圧倒的に多い。
かつてラボの卒業生は、世界に名だたるデジタル系のスポンサー企業に就職する率が高かったという。だが最近は、ベンチャーを興して独立する比率が高まっている。自分の技術とビジョンとスピリットで一発勝負する文化が定着した。ネットバブル崩壊後も、そのカルチャーは残った。
その点、ビジネス系の学生たちは身のこなしが速い。ネットバブルの頃、MBA取得者がみなベンチャーを興してしまい、こっちに就職してくれなくなったといって、銀行や製造業の人事部長クラスがビジネススクールにネジ込んでいたものだ。そしてバブルがはじけてみると、ビジネス系の学生はまた銀行やコンサルタントの志望が増えているという。さらに、ベンチャーを興しに出ていった者もどんどんビジネススクールに戻って、経済情勢の好転を待っているという。
ラボの学生には、そういう如才なさは薄い。ある意味、一本ネジがはずれていて、時勢にかまわず、興奮することに突っ込んで行ってしまう連中の集まりである。
◆4-3 企業と国
メディアラボは大学の研究所だが、外部スポンサーの資金に100%依存している。一種の共同研究機関が大学に置かれている姿だ。世界にも稀な、あるいは唯一のモデルだろう。150のスポンサーが資金を出し合い、310の研究プロジェクトが動いている。91年には70スポンサー、60プロジェクトであったというから、十年間に2倍から数倍の成長を遂げたことになる。
あらゆる業界がスポンサーに名を連ねる。メディア産業からは、主だった企業が軒並み参加している。電子機器、家電、コンピュータソフト、通信、放送、出版、広告。ITを駆使して競争力を強化しようとする企業も多い。金融、流通、化学、食品、自動車、玩具。官公庁や国際オリンピック協会のような国際機関もいる。アメリカのスポンサーが全体の半分、残りの半分がヨーロッパで、半分がアジアである。 (一覧表)
大学本体や政府に頼らず、企業をスポンサーにしたのは、融通性が欲しかったからだ、とネグロポンテは言う。大学の官僚主義から免れるための手段だというのだ。それは見事に成功したのだが、円滑に立ち上げることができた秘訣の一つは、設立の資金集めに当たって、それまでのMITのショバを侵さなかったことだ。ネグロポンテらは、MITの通常のスポンサーのところへ行かないで新規開拓するという制限を自ら課したのである。
新規開拓の相手は、映画・出版産業、そして日本であった。1980年にはまずNEC、松下、続いてNHK、NTTとの契約に成功し、あとは「せきを切ったようにスポンサーに入ってきた」(ネグロポンテ)。
現在のビルの土台は日本企業が造ったと言っても過言ではない。現在、東芝、松下、凸版印刷、ミノルタ、リコー、ヤマハ、NEC テクノロジー、ソニー、CSK、セガ、アスキー、NTTコムウェアの12社が名を連ねている。
ただし、日本企業のプレゼンスが高まっているとは言い難い。むしろ低下している。かつて14人いたという企業派遣員は東芝、CSK、セガからの3名であるし、最近も複数の企業がスポンサーから離脱している。その背景には、景気の低迷だけでなく、日本企業の性格とラボのカルチャーのズレ、ラボの対応のまずさといった問題が横たわっているのだが、それは後ほど論ずる。
いずれにしろ日本が先陣を切って形成したスポンサー集団は成長を続けた。日本企業が少しばかり引いたところで、多様な分野やさまざまな国からの参入が相次ぎ、ネットバブル崩壊までは順調な拡張路線を走ってきた。
2002年度の予算は4500万ドル。60億円程度だ。メディアラボとて景気の影響は受ける。2001年末には資金繰りに関して困難な局面に直面し、その後もスポンサーが離脱したり予定の資金が入ってこなかったりと難局を迎えている。新ビル建設に要する1億ドル規模の資金も集めなければならない。2003年の財政は正念場のようだ。ラボのスポンサー対応に傲慢な点が目立つようになってきたため、私はいい薬だと思っている。
だが、したたかなことに、景気に左右されないスポンサーも増えてきた。「国」である。国防総省、NSF(全米科学財団)、郵政公社といった官庁や政府機関が大口の研究助成や寄付を積んでいて、企業スポンサーとともにコミュニティの一翼を形成している。
政府系が予算に占める割合は通常5%程度だが、今回の予算ではまとまった研究支援が入ったため、その比重が20%に高まった。残り8割は企業スポンサーからの資金だ。
例えば軍は、チャン教授の量子アルゴリズムに関する研究、マナリス教授のDNAやたんぱく質を分析するナノ電子デバイスの研究などを助成している。またNSFは、ピカール、ロイ、レズニックの研究を補助している。
さらに2001年11月、NSFはメディアラボがセンターを拡張するための資金1375万ドルを寄付している。
苦しいながらも、このご時世にそれだけの資金を集めるのは大したものだ。これまでの成功も、資金の裏付けがあってのことだ。商品のよさ(研究開発のアウトプット)、利用価値の高さ(人材やコミュニティ)だけでは説明できない。営業努力、にも着目すべきだろう。
資金集めのうまさにかけてネグロポンテの右に出る者はいない。アメリカの大学でも随一と言ってよかろう。希代の集金マシンと揶揄する向きもあるが、それがチェアマンの仕事とばかり、今も世界中を駆け巡る。
デジタルの伝道師として活躍するだけでなく、そのビジョンに立脚して、実ビジネスと学問を連動させる資金を20年にわたって吸収してきた手腕は驚異的だ。ビジョンの確かさ、フットワークの軽さ、駆け引きのうまさ。それに加え、高貴さとヤンチャ坊主っぽさを兼ね備えた人物としての魅力に負うところが大きいのだろう。
その点、チャールズ・ヴェストMIT学長もなかなかの手腕である。来日して企業との話し合いうことも多い。 日本の大学の学長の何名がスポンサーをケアするための旅に出ているだろうか。
赤坂にあったCSK会長室に故・大川功さんを訪ねた際には私も同席したが、出かける前、メディアラボの立体ホログラフィーを土産にすることにしていて、「大川さんは気に入ってくれるかなあ」とずいぶん気をもんでいたことが印象的だ。大川さんが物故した後、単身来日し、ご夫人を見舞ってもいる。
ある日、MITが200億ドルで買収されるという記事が紙面を飾った。パロディーである。その噂に対するヴェスト学長のコメントはひとこと、「MITはそんなに安くねえ。」センスがいい人である。
◆4-4 タテとヨコ
アメリカでも日本でも、産学連携に際しては、企業は特定のプロジェクトや特定の教授と契約を結ぶのが普通だ。メディアラボは違う。スポンサーはラボ全体に資金を出し、ラボ全体のプロジェクトや教授にアクセスできるという仕組みだ。どんぶり勘定のクラブ制である。
メディアラボを従業員6−7名の小企業が30個集まって310の商品が開発されているインキュベーション・センターととらえてみよう。スポンサーはその全企業に口を出し、全商品を製品化する権利を持っている。すると150のスポンサーとグループの関係は150 ×30通り、スポンサーとプロジェクトは150×310通り。ややこしいことになる。
そこで、研究テーマ別にグループ化したコンソーシアムを結成している。個別の教授グループを縦糸とすれば、コンソーシアムはそれらを横断する横糸だ。主要コンソーシアムは、「情報:組織化」「考えるモノ」「デジタルライフ」「デジタル・ネイションズ」の4つ。各コンソーシアムは30ー50のスポンサーを会員としている。
1 情報:組織化
情報の理解・表現に関する研究。92年に「未来のニュース」という名称で開始したもので、当初はパーソナル電子出版などニュースと広告の制作や流通に関することに主眼を置いていた。最近では、バーチャルなコミュニティ、表現のデザインや美学などに力を注いでいる。ウォルター・ベンダーがリーダーを務めていたが、所長就任に伴い、ブライアン・スミスが後を継いでいる。
2 考えるモノ
ウェアラブル、タンジブル、ユビキタス、感情を理解するコンピュータ、そして電子インク、量子コンピュータ。つまり、ビットからアトムへ。人がいるところにITを近づける研究だ。95年に発足。ニール・ガーシェンフェルトが率いている。
3 デジタルライフ
バーチャル空間の研究。エンタテイメントとネットワーク、コミュニケーションとインタフェース、学習と文化、コミュニティと世界など、さまざまなアイディアが交差する。97年から開始し、アンディ・リップマンが率いている。
4 デジタル・ネイションズ
発展途上国の情報化など、デジタルの応用領域に焦点を当てた国際的なコンソーシアム。ハーバード大学との共催。2000年発足。(次章で詳述)
そして、2002年5月には、建築学科と共同で、生活環境の情報化に関する「チェンジング・プレイス」という5つ目のコンソーシアムも発足させている。
各教授は、自分の研究テーマの中から、各コンソーシアムの切り口に応じて、成果を出していく。主要4コンソーシアム全てに顔を出している教授が5名いる。
グルーピングしたとはいえコンソーシアムは大規模だ。このため、よりテーマを絞ったSIGと呼ばれる小グループを9コ形成している。1グループあたり最大10社ていどのスポンサーをメンバーとしている。
1 ブローダーキャスティング(通信と放送の融合)
2 CC++(クルマのデジタル化)
3 カウンターインテリジェンス(台所のデジタル化)
4 eマーケッツ(電子商取引)
5 グレイマターズ(高齢者コミュニティ)
6 ヘルス(医療・健康)
7 パーソナルファブリケーション(ナノテクによる製造技術)
8 シリコン生物学(ナノテクとバイオ)
9 明日のおもちゃ
たとえばCC++を見てみよう。クルマのデジタル化に関するラボ内の研究を集結させるものだ。クルマの中のインタフェース、個人情報の管理、クルマどうしの通信などがテーマとなる。カギを差し込めば個人を認識して座席の位置を整え、ドライバーの健康状態やストレスの度合いによってハンドルやアクセル、ブレーキ、ギアの具合を微調整する。キーホルダーについた無線タグがカードがわりにガソリン代を払う。Volvoが提供した自動車にこれら技術とアイディアを組み込んで実験する。スポンサーには、ダイムラー・クライスラー、GM、フォード、シェル石油らが連なる。
コンソーシアムはいずれも年二回、春と秋に定例会合をもつ。半年間の成果発表だ。ホールでの発表やパネルディスカッションが行われるほか、研究員・学生があちこちにブースを開き、パネルやコンピュータのディスプレイや造形作品を使って成果を展示する。ラボ内を歩き回る目利きのスポンサーを呼び込み、アピールする。まるで学芸会のように華やいでいるが、デモをする側は準備に徹夜続きで真剣そのものだ。
世界中からデジタルの関係者が集まるわけだから、スポンサーどうしの交流の場としても大切な役割を果たしている。教授や研究員は、スポンサーのビジネスを仲介する触媒の役割も果たしている。
メディアラボはいつも会合の場の設営に気を遣う。ときにはラボを離れて、博物館だったり、船の上だったり、大リーグ球場だったり、ゲームセンターだったりする。食事やワインにもコストをかける。スポンサー向け食費で年間予算の3%を費やすという。
スポンサーはいつでもラボを訪れ、いつでも教授や研究員にアクセスすることができるのだが、ラボとスポンサーとの公式なインターフェースはこの定例会合になる。いわば株主総会だ。成績評価の場でもある。プレゼンに失敗したら支援打ち切りの目にあう。活発なコンソーシアムもあれば、成果が出せずに取り潰しになる小グループもある。ラボが気を遣うのは当然である。
◆4-5 クラブと独占
通常メディアラボのスポンサーになるというのは、いずれかのコンソーシアムに参加するということを意味する。1コンソーシアムあたりの参加料は年間20万ドル、最低3年契約。追加料を支払って、9個の小グループ(SIG )に参加することもできる。テーマによるが、追加料は年10万ドル程度。500万ドル出せば、10年間にわたり全コンソーシアム、全SIG のメンバーシップを得て、職員をラボに常駐させることもできるという、大口契約もある。
決して安い金額ではない。ではなぜスポンサーになるのか。インセンティブは何か。
まずは知的財産権を獲得することだ。メディアラボの研究成果を自社のビジネスに活かすことである。スポンサーは、スポンサー期間中にラボで開発された成果物の知的財産(特許や著作権)を無償で利用する権利を持つ。
これは参加したコンソーシアムの活動に限られず、ラボ全体の知的財産に適用される。例えば今年から3年間、デジタルライフのスポンサーになったとすると、その間にラボ(メディアラボ・ヨーロッパを含む)が開発した全ての特許を、その後ずっとタダで使えるようになるということだ。
全スポンサーが同様の権利を共有するので、ラボの活動は全スポンサーにオープンになる。個別の教授に資金提供することもできるが、だからといって成果を1社で囲い込むことはできない。また、スポンサー最優先の原則が貫かれ、非スポンサーには開発後2年間はライセンスも供与しない。開発に携わった学生も卒業するまでアクセスに制限が課される。
クラブ制である。「当初、MITには企業と組むと近視眼になるという固定観念があった。」(ネグロポンテ) 企業から研究費を提供してもらう場合、短期・応用主義と秘密主義がネックになる。「企業は短期的に役立つ成果が出ることを期待する。すると、基礎性や深さに支障をきたす。また、企業は情報を独占したがる。すると、オープンに共用しながら進めるタイプの研究ができない。これらをクリアするためのシステムがクラブ制なんだ。」(マッコーバー)
このシステムが企業の研究所との違いであり、通常の大学の研究所との違いである。MITでも他の部門では、企業から資金を受けて研究する場合、大学や担当教授とその企業との間で情報や成果をクローズドにする。ラボのシステムは、教授にとっては特定企業のヒモがつかない、いわば「どんぶり勘定」であるから、研究の独立性も保たれ、近視眼になることを免れる。
ところが、実は企業寄りになる心配は無用だ。ラボのスポンサーたちは、逆方向へのプレッシャーをかけてくるからだ。「そんな研究なら、われわれ企業でもできる。もっとクレイジーになれ。もっとマッドになれ。そういう要求が強い。それに応えるのが大変なんだ。」(ネグロポンテ) 「ラボの使命は、失敗することだ。企業はわれわれの失敗から、製品開発の道を探ることができるんだ。」(ベンダー)
スポンサー契約は、これからラボが生み出す価値をプリペイドで買うというモデルだ。年間予算4500万ドルの経済価値を20万ドルで買うと考えることもできる。その参加料で、全ての活動にアクセスし、活用できるからだ。
ただ、その経済価値を将来いくらに換算できるのか、どれだけの成果をラボから取って来られるのかは、スポンサーの意志と能力しだいだ。成果を活用できれば、20万ドルが数億ドルに化けるかもしれないし、ぼんやり眺めているだけなら、20万ドルで食事して終わりということになりかねない。
第二のインセンティブは、人を使えるということだ。ラボの教授や研究員を自社のスタッフのように使い込むということだ。技術やアイディアといった成果物を活用するのは、スポンサー側にも高度な技術力と目的意識が必要だが、それでも農耕的な刈り取り作業である。だが、より狩猟的にその才能を活用することも可能なのだ。
ラボの資産は教授や研究員の頭脳である。教授はもちろん、学生たちもスポンサー料で養っているのだから、上手なスポンサーは、彼らを自社の職員のように親密に使いこなす。自社の研究課題や製品テーマを持ち込み、アドバイスやアイディアを得ようとする。
「本当の意味での独占権は、メディアラボの研究者と密接に仕事をし、そこで会話することから生まれてくる。とにかく、研究者たちと接触していなければならない。あるアイディアがある企業にとってどれくらい価値があるかは、彼らがそれを形にしたいと思うエネルギーに比例する。」(ネグロポンテ 「メディアラボ」より)
スポンサー会議は半年に一度。かつては、半年に一度の成果発表はリーズナブルなチェック態勢だった。しかし、ドッグイヤーの半年は3年ということだ。デジタル時代のスピード感からみれば遅すぎるかもしれない。いつもアクセスしていることが重要になっている。
教授や学生がスポンサー企業を訪れ相談に乗ることもある。スポンサーは年7万5000ドルで学生フェローを一人抱えることもできる。明日のネグロポンテ、明日のミンスキーを活用するということだ。BT、IBM、レゴ、モトローラ、東芝、インテル、マテルなどがフェロー制を活用している。
年間予算を30教授グループに分配すると、1チーム平均で年間2億円の予算となる。この種の大学機関としては、潤沢な研究費とみることもできる。財政難を迎え、現在は厳しい予算調整が行われているが、2001年まで教授間の予算配分でもめたことはなかったという。
他方、これだけのアウトプットを打ち出す企業研究所としてみれば、非常に低コスト・低予算とみることもできる。低コストである理由は、人件費の安さにほかならない。教授も研究員も民間に出れば報酬を数倍は取れるだろう。その頭脳を他社より効果的に活用する。スポンサーどうしの競争である。
第三の、そして最大のインセンティブは、メディアラボというコミュニティの一員となることだ。教授や研究員だけでなく、世界中のスポンサーからなるクラブには、デジタル分野の最先端の情報が渦巻いている。そこにアクセスする権利である。
取り分け、スポンサーどうしの情報交換の場としては絶好のコミュニティだ。製品やサービスの展開で協調関係を組める相手を探す。そればかりではない。いつもはライバルとして市場で火花を散らす間柄でも、ここではクラブの一員として、デジタルの未来像を共有したり、不安を分かち合ったりする。
その気があれば、このコミュニティとしての価値を活用するだけで、参加料はおつりが来る。
◆4-6 投資と保険
スポンサーにも温度差がある。モトを取る以上に使い込もうとする企業もあれば、他社に遅れないよう保険のつもりで参加している会社もある。
日本企業にはこれまで後者のパターンが多かった。半年に一度ラボを訪れ、見学して、本社にレポートを書いておしまいだ。直接の成果が得られないという理由で離脱する企業も多い。ラボの営業不足、努力不足のせいもある。ただでさえ東京とボストンは遠いし、言葉のカベもあるのだから。ラボのコミュニケーションがおろそかなせいで離脱していった日本のスポンサーも数多い。
大企業には優れた研究所を持つものもあり、パリパリの研究者がやってくる。日本企業の目から見れば、ラボの研究員がプレゼンするプロトタイプには幼稚なものも多い。製品開発面では、日本企業の方が断然優れているのはもちろんだ。個々の要素技術も企業側が優れることが多い。
だが、ラボの命は、そのデモに至る着想、アイディア、その底に流れる理論だ。どうしてそんなヘンなこと思いついたの?スポンサー側にはそれをくみ取って独創性を面白がるノリが必要だ。それがラボを活用できるか否かの分かれ道になる。
日本企業で職員を常勤させているのは東芝、CSK-セガグループ、NTTコムウェアの3社。その3社は、そのノリを共有しようとしているのだろう。
同様に、職員を派遣している大口のスポンサーには、レゴ、モトローラ、インテルなどがある。
レゴは十年にわたる共同研究により、マインドストームスを商品化し、ヒットさせた。メディアラボとの協調で直接ビジネスを成功させた数少ない例であり、ラボの活用法をよく心得ている企業である。
99年には500万ドルを寄付している。これを元に、MIT Okawaセンターの中に「レゴ学習ラボ」が作られる。こどもの遊び、学習、想像という領域の理論や技術を扱うことになる。「こどもの学習と創造力に対する我々の投資は将来に果実を運ぶためのものだ。」(レゴ社CEOのクリスタンセン氏)
同じくモトローラも99年、ラボに500万ドルを寄付している。これで「モトローラ・デジタルDNAラボ」が作られる。人とモノだけでなく、モノとモノとの通信を実現する高度なデバイスに関する基礎研究を行う。埋め込みコンピュータやユビキタスに関する拠点だ。
コンピュータが一人一台に行き着いたとして、60億台。全てのモノがコンピュータに化すとすれば、一人10個、100個。半導体メーカーにとっては、市場拡大の新ステージとなる。そのきっかけになるならば、安い投資である。
「半導体メーカーがメディアラボに投資するのは、新しいアイディアにアクセスできるからだ。自分自身を前進させる場であり、先端の研究者がいま何をしようとしているかを学ぶ場でもある。」(インテルのスポークスマン、テイゼイラ氏)
言うまでもなくメディアラボは大学の研究機関だ。長期的な視野から基礎研究を進めることが本旨である。具体的な成果は?という質問をよく受けるが、商品レベルでその答を期待するのは筋違いだ。強いて言うなら、質問者に十年先の世界をイメージさせてくれることが成果なのだ。
でも、レゴのマインドストームスのような例もある。NECが開発したクルマ用ベビーシートもラボの研究成果だ。赤ちゃんの座っている位置をシートが判読して、エアーバッグによる窒息事故を防ぐというシステムである。
これはニール・ガーシェンフェルトのチームが開発した技術が元になっているのだが、さらにその元は、ガーシェンフェルトとトッド・マッコーバーによるイス楽器「センサー・チェア」だ。イスから発信される70Khzのシグナルが上半身を伝わり、目の前の空中をまさぐると、手先がアンテナとなって信号を操作し、それをセンサーで受信して音楽を奏でるというシステム。デモ演奏を見たNECは、楽器を作ろうと思わず、その技術を分解して加工して、ベビーシートを作った。スポンサーとラボが知恵を結集し、技術と想像力をたたかわせた案件だ。
同じくクルマでは、音をレーザー光線のように伝送する「オーディオ・スポットライト」を車内に組み込む商用化が進められている。天井にスピーカーが4つ組み込まれ、座席の4人にはそれぞれ違う音楽が聞こえるというものだ。ダイムラー・クライスラー、GM、フォードが実験を行っている。
スウォッチとネグロポンテは、インターネット上の時間単位「ビート」を提唱している。1日を1000で割った時間を1ビートとし、 @000から@999までの@に続く3桁の数値で現在時刻を示すものだ。@001のように表記し、1ビートといったように呼ぶ。スウォッチ社のあるスイス/ビール地方の標準時で午前0時が@000となる。時差がなく、全世界で共通だ。
セガは、ビートに関しスウォッチとの提携を発表したことがある。オンライン・ゲームにビートを活用したりするという内容だ。発表の効果で株価がハネ上がった。実はこの提携は、スポンサー会議の場でワインを傾けながら、ネグロポンテが仲介したものだ。メディアラボのスポンサー・コミュニティをブランド戦略、ビジネス戦略に有効利用した例だ。
大口にはハイテク企業ばかりがいるわけではない。米国郵政公社、つまり国営の郵便局も大口だ。なぜ郵便局のようなオールド・エコノミーが? 公社からラボに派遣されているポール氏は言う。「郵政公社は研究所を持っていない。だが、物流の世界はデジタルを組み込んだ技術競争が未来を決する。だから、研究所をアウトソースしたつもりで投資したわけだ。」
郵便事業は各国が独占体制をしいているが?「それだ。それもいずれ崩れてくる。フェデックスもUPSもみな入り乱れての国際競争になる。それに備えておかなくては。」郵便のシステムは、集荷にしろ区分にしろ配達にしろ、どの国も似たようなもんですよね。「つまり、未来の技術を握ってしまえば、どの国の郵便事業も握れるということだ。」
繰り返しになるが、ネットバブル崩壊の余波は、メディアラボにも及んでいる。大企業が減量を進める一方、伸びが期待されたドットコム系の多くが挫折し、ラボの資金集めも簡単ではなくなった。2001年末には経費削減の申し合わせが行われ、事務職員の大幅リストラも断行されている。
だが、ラボに大口の投資を続ける企業もある。ラボというフィルターを通して、長期のビジョンを描こうとしているのだ。
◆4-7 衝突と触媒
メディアラボのスピリットその1「多様性」。
研究領域の広さは説明不要だろう。電導性のある糸を紡いでいる者がいるかと思えば、国際政治を語っている者もいる。床に寝そべってハンダづけしている者もいれば、バイオリンのおけいこに忙しい者もいる。一日中イヌを観察している者もいれば、チョコレートの味比べをテーマにしている者もいる。
教授や学生のバックボーンもまちまちだ。物理学、化学、認知科学、コンピュータ工学、生物学、音楽学、美学、心理学、教育学。もともと学際の交差点として造られたのだから、むしろ当然の形だ。教授の出身も、南アフリカ、日本、インド、ベルギー、中欧など多彩(ただしユダヤ系が多い)。学生の35%が外国出身。女性教授は5名で、学生の27%が女性。
各グループがそれぞれ勝手なことをしていて統制がない。統制がないけれど、全体がメディアラボとして機能する。ミンスキーの理論を実社会に応用するとこうなるという感じの組織である。
メディアラボには、教義・教典というものがない。ラボを公式に説明したものがないので、こういう本を書くのに苦労する。新しいセンターを造るプロジェクトで、私がその研究領域やテーマから考えようとしたら、レズニックが真っ向から反対した。「研究領域は人で決まる。まず、誰が構成する組織か、であって、その人が行うことがそのセンターの活動領域になるだけだ。人が変われば領域が変わる。そういうものだ。メディアラボはそうしてきた。」
だいいちメディアラボには組織図というものがない。フラットなのだ。私がメディアラボに参加した際、ネグロポンテに、あなたをボスと呼べばよいのかと尋ねると、「ここには上下関係はない。独立した人間たちがいるだけだ。」 だから、よくもめる。所長の言うこともスンナリとは聞かないし、教授どうしの競争も激しい。「私は所長だが、統制しているわけではない。フラットな教授陣の集合体なんだ。」(ベンダー)
教授と学生との関係が親密なのも特徴だ。「どの学校と比べても、ここの教授と学生との関係はフレンドリーだ。対等すぎる面すらある。」(広報担当のカーン氏)
ミンスキーは、「先生の言うことを聞いている生徒は、教える価値がない。」という。ここにいる学生たちは、お勉強のできる優等生というより、アウトローである。アウトローは、ハズレが多いけれど、どでかいことをしでかす魅力もある。
日本人にとっては厳しい環境かもしれない。「日本では均質性、同質性ということが大切だ。均質な社会、同質な思考法は、創造力の多様性への障害になる。」(ネグロポンテ)
ラボの日本人学生は3名。博士1名、修士2名。いずれも女性だ。2002年の春、東大を卒業後すぐに研究員として参加した石戸奈々子さんもいる。日本女性のガッツを称賛すべきか。日本男児の劣勢を嘆くべきか。韓国や台湾や中国やインドから気合いの入った男子学生が参加しているのと好対照だ。
さて、メディアラボが目指すのは、多様な領域を細分化して、専門性を高めていくことではない。むしろ、それら領域を一人の人間がバランスよく兼ね備えていくことが大切だ。アラン・ケイは言う。「私がメディアラボに魅力を感じるのは、ここでは技術者と芸術家を衝突させるのではなく、技術と芸術を衝突させようとしているからだ。自分の内部にそういうあつれきを抱えている人を参加させるほうがいい。」(スチュアート・ブランド「メディアラボ」)
ジョン前田はこう言う。「心地よい技術を生み出すには、触媒があればよい。それは、私がしばしば「人間性豊かな科学技術者」と呼んでいる人間のことである。」「歴史に裏付けられた伝統の味わいを理解する心と、未来をつくりだす技能を大胆に磨いてゆく情熱とを結び付けられるような人間である。そのような人たちを見出すのは容易ではない。というのも今日人間が育つ過程、教育の環境は、アートやデザインなどのクリエイティブな面か、科学、工学などの技術の面かのどちらか一方に片寄っており、両方ということがないからである。言い換えれば、現代の教育システムは、考えることは得意だが自分のアイディアを実際のものとして表現することができない人、あるいは物はつくれるが何をつくったらよいかわからない人を育てているのである。」(ジョン前田 「Post Digital」)
だがアラン・ケイはこうも言う。「メディアラボではまだルネサンス文化は花開いていない。ここの文化はまだ雑多な文化だ。」雑多な文化。トッド・マッコーバーは、「そうしたもの全体を結びつけているのは、技術だ。」と言う。だから、互いに張り合いつつも、共同で作品を作る場面も多い。マッコーバーのハイパー・バイオリンや石井のミュージック・ボトルには、ガーシェンフェルトやパラディソの技術陣が協力している。
教育環境も雑多でオープンだ。ラボには教室というものはない。共用スペースとしては、いくつかの会議室と、各グループがゆったりミーティングするソファと、コンピュータが雑然と並んだオープンスペースがあるだけだ。そういう場所で行われる授業には、ハーバード大学その他の学校の院生もたくさん参加しているし、スポンサーが座って聞いていることも多い。
MITは、全授業のノート、試験問題、参考資料、そして授業ビデオをネットで無料公開する方針だ。1億ドルをかけて十年計画で進めるという。大切な資産をタダで振る舞うというのは無謀にも見えるが、オープンにすることで教育の価値と大学の競争力を一層高めるということだろう。自信の現れでもある。
◆4-8 ヨーヨーとカプセル
メディアラボのスピリットその2「デモ」。
デモか死か。論文より実物。理論より発明。頭の中にあってもダメだ。モノやプログラムを作って、見せる。技術やアイディアを、形として表現する。「イマジンとリアライズ。頭の中で想像して、現実に創造すること。これがラボの精神だ。」(ベンダー) それは、スポンサーに対する姿勢であるとともに、自らを律する原理でもある。
モノやプログラムで回答を出し続けるのだから、ゴマカシもきかない。陳腐化していればすぐバレる。未来予測や独善的な空想に先走って権威を保つこともできない。自らを厳しい環境に追い込んでいることでもあるのだ。
そして、これがラボの愉快な雰囲気の元素である。ラボはよく「おもちゃ箱」と表現される。楽しげでカラフルなモノ、壊れたような数々の仕掛け、ゴチャゴチャしたバスケット。そこで嬉々として遊ぶ発明家たち。そう、ラボは街の発明家たちの集まりで、それをモノづくりが得意な企業家たちが取り巻いているのだ。
「ここはハーバードではない。作ること、発明するということが、われわれのアイデンティティーなのだ。」(マッコーバー)
デモは、技術やアイディアを見せる手段である。たとえば「パン」という名のシステム。人体の自然の塩分が人体を伝導体にする性質を利用し、 体外の電界から人体に微小電流(1ナノ・アンペア)を流すことによりデータを伝送するものだ。
この技術を発見したホーリーとガーシェンフェルトのチームが開発したのは、時計のデモ。パソコンにくっつけたバーを握ると、パソコンのデータが腕時計に伝わる。誰かと握手すると、腕時計のデータが手のひらを伝わって、相手の腕時計に収まる。「1キロbpsの速さでデータ伝送できる」(ガーシェンフェルト)というから、一秒握手すれば名刺交換できる。
音声インタフェースを専門とするクリス・シュマント教授の最近のデモは、PDAを電話やラジオや録音メモにするというもの。PDAに向かって「電話」と言えば、それが電話機になり、「ニュース」と言えば、PDAがヘッドライン・ニュースを解説し始める。
見た目は単純なのだが、話し言葉を音声認識し、IPに置き換えて伝送し、サーバで機能をスイッチし、PDAに指示を出す、という一連のデジタル技術をひとまとめにわかりやすくデモしているのだ。
「メディアラボは派手なデモで有名ですよ。わたしたちは市場で売る製品を作っているんじゃない。アイディアを形にしているんです。わたしたちは常識に挑戦すべきなんです。」(シュマント 「メディアラボ」)
技術を解説するだけではない。見せないと完結しない研究もある。アート分野だ。ジョン前田や石井が個展を開いたり、マッコーバーがシンフォニー活動をしたりするのもラボのデモである。だが、ラボを離れて表現できる場というのは案外少ない。そもそもデジタル系のアートは場が少なく、毎年夏に行われるグラフィックのイベント「シーグラフ」などは数少ない貴重な機会である。メディアラボはその常連だ。メディアラボの複数のプロジェクトがラボ以外で常設展示されている場所は、東京・お台場のセガ「東京ジョイポリス」のみである。
デモは、エンタテイメントである。マッコーバーの「センサー・チェア」は、有名奇術師のペン&テラーが演奏者となってお披露目を行った。巨体のペン・ジレットがイスに座って、空中をまさぐることで演奏するデモは、迫力とユーモア満点であった。ジョー・パラディソのクツも、足を動かして音を鳴らすだけならデモも簡単だが、それを彼はプロのダンサーに演奏させる。技術も高級に見える。
アーティストと組んでデモを行うことは、技術を開発するうえでも有用だ。ハイパー・チェロの開発はヨーヨー・マとの共同作業。「チェロを奏でるということは仮想の積み木とはかなり違う。楽器に組み込まれた数世紀におよぶ知恵と、奏者という存在をともなうので、失敗したらすぐにわかってしまうからだ。ヨーヨー・マに十分満足してもらえる楽器をつくろうという試みは、結果的に、これまでのものよりはるかに広範囲に適用できるセンサーとソフトウェアの設計について、わたしたちに多くのことがらを教えてくれた。」(ガーシェンフェルト「考える「もの」たち」)
ヨーヨー・マがハイパーチェロのデモ演奏をした際、日本のスポンサーが駆け寄って、「あんたチェロうまいやんか」と肩を叩いたのは愛嬌だ。名前を聞いてから、「あんた、ヨーヨーマン言うんか。多芸やな。」とコメントしたのも愛嬌だ。ヨーヨーさんがニコニコして聞いていたというのは美談だ。
かつてヨーヨーのチャンピオンだったホーリー教授は、カプセルの中に温度センサーと発信機を埋め込んだ。飲むコンピュータだ。服用すれば、体内の温度が電波で外に飛ばされモニタリングできる。そこでとどまらないのがメディアラボ。書を捨てよ町に出よう。その前にカプセル飲め。ホーリーはそれを服用し、ボストンマラソンに参加して、走者の体温変化を記録して見せた。なぜそんなことを? デモか死か、だからだ。
テトリスを作ったヴァディム・ゲラシモフが開発しているシステムは、呼吸や発汗や体温のデータをヘルメットが自動センサリングしてパソコンに送り込む。そこでとどまらないのがメディアラボ。そのデータに応じて、レゴが動く。熱があればレゴの城にかかる橋が上がり、息があがると城の旗が揚がる。こどもがヘルメットをかぶって遊んでいれば健康状態もわかる、というのだが、何とも奇妙だ。なぜ健康データでレゴの城? なぜそんなことを? デモか死か、だからだ。
◆4-9 パンクと雪
メディアラボのスピリットその3「創造力」。
立体ホログラフィ、バーチャルリアリティー、デジタルテレビ、ウェアラブル・コンピュータ。メディアラボは新しい世界を創りだしてきた。既にある技術を改良したり、スピードを上げたり、規模を大きくしたりすることには無関心だ。新しい商品やサービスを生むだけでも飽き足らない。もっと貪欲に、新しい産業を創りだしたり、新しい価値観を生み出したりすることに興味がある。
ジョー・ジェイコブソンは、ディスプレイではなくインクを開発する。そのインクは紙も服もコンピュータのディスプレイにしてしまう。これはディスプレイの業界を塗り替えるかもしれない。だが彼はそこにとどまらない。インクの技術や印刷の技術を改革して、モノや機械を印刷するのだという。
かつてネグロポンテが唱えていたとおり、新聞やレコードはデジタル化され、ネットで入手できるようになった。映画もそうなった。だがジェイコブソンの技術が進めば、コップや日用品やラジオもネットで入手して卓上プリンターから印刷されて出てくることになる。簡易テレポーテーションだ。それが実現しそうになったら、彼は次に何を送ってくれるだろう。
アイザック・チャンは、液体コンピュータを開発する。パラディソは、どこにでも埋め込まれるセンサーを開発する。スミスは、映像でチャットするシステムを開発する。
ネグロポンテは言う。「新しいサービスを生むのは光ファイバーではなく想像力だ。」そう、デジタルがうねる今こそ空想するチャンスなのだ。15世紀にグーテンベルクが活版印刷を発明した。それは文字を広め、宗教革命を支え、巡り巡って3-4世紀のうちに、近代国家や資本主義へとつながった。恐らくグーテンベルク当時の人々はそのような未来を空想しなかったろう。今のデジタルは3世紀後に何をもたらすのか。想像して、創造してみよう。
ラボは技術だけではない。アートもある。ジョン前田や石井裕やトッド・マッコーバーらは、テクノロジーの人でもあり、アートの人でもある。だが、彼らは技術やアートにはとどまらない。既存をゼロベースから疑う哲学者だ。
「審美的価値を追及する芸術作品でも、既存の問題を解決するための技術デモでもない。私たちの研究の目的は、新しいコンセプトの創出にある。」(石井) ベーシックな技術、表現の内容、その技法、その過程を塗り替えようとする点がラボのアイデンティティである。
「生命体のような作曲法をみつけたい。今まではできなかった方法でアマチュアが音楽に参加することができるようにしたい。前世紀には、ほとんどの人がピアノを弾いた。なにか新しい曲が発表されると、譜面を見ながら弾いた。ところがいまでは、フランク・ザッパやピエール・ブーレーズの曲をピアノで弾くことはできない。わたしたちはなにか大きなものを失ってしまったような気がする。」(マッコーバー、 ・・出典名・・より)
なにか大きなもの、を作る。大きなものを取り戻す。「やりたいことをやる、というのがラボの価値だ。音楽家であれ科学者であれ同じ。創造力のある人がそれを実行するのがここの文化だ。」(マッコーバー)
ひっくり返す、というパンクな気持ちが漲っている。クリス・Cがラボに参加する前に提案したシステムに「ハンターズ・ハンター」という自動回転ピストル装置がある。銃声がしたとたん、3本のマイクでその方向を感知して、そっちに撃ち返す。撃ったら撃たれる。戦場に配備すれば戦闘が抑止される。本気かジョークかよくわからない。「パンクで行くんだ。」(クリス・C)
クリス・Cは、2003年、対イラク戦が近づく中、戦闘開始の日時を当てるウェブ・トトカルチョを開帳し、物議をかもした。戦争をパロディー化する一種の表現とみれば、とてもメディアラボ的なパンクである。
技術も学術的に高度なものばかりではない。むしろ、技術的には身近なものを使って、新しい世界を提示するところにラボの真骨頂がある。たとえばクリス・Cの新システムは、360度ぐるりと垂れ下がった布スクリーンに、上下左右に回転するプロジェクターが映像を投影して動く。映像に登場する人物が歩くと、画面じたいがその歩みに合わせて移動していく。「四角い画面がじっとしていなくても、いいじゃないか。」言われてみればそのとおり。それを人類は100年以上してこなかった。それを身近な技術でさらりと示してみる。
ラボは技術や芸術を追い求めるだけではない。実用たること、もまた重要な精神である。世界の誰もが使えるようになるのか。安価で生産できるのか。どんなプロトタイプもデモも、それが念頭にある。
研究をビジネスに転化することも多い。スポンサーが成果を商品化するだけでなく、教授がスピンアウト企業を設立したり、学生が独立したりすることも見られる。スピンアウトとしては、パティ・マースのエージェント技術を元にしたファイアフライ社やジェイコブソンのEインク社が著名だ。ファイアフライ社はマイクロソフトに高額で買収され、Eインク社にはモトローラや凸版印刷が出資するなど、スポンサーとの関係も密接である。
もちろん成功もあれば、失敗もある。むしろビジネスとしては失敗例が多く、過去には死屍累々だ。しかし、技術を興し、ビジネスを興し、世の中を変えていこうとするのがスピリットであり、カルチャーである。
「デジタルの世界における別の一面は、リスクがしばしば賞賛されること、リスクがなくならないことである。事実、アメリカがニューエコノミーをリードする理由の一つとして、ビジネスを立ち上げることを失業の形態とみなさない環境でこどもが育つような数少ない社会の一つであることがあげられる。他の多くの国では、親はこどもに対してより安定を求めるし、大企業や政府で働くことを理想的なことであると考える。
十年前は、ほとんどすべてのメディアラボの卒業生はIBMやほかの大企業のようなメディアラボのスポンサー企業で働いたものだった。現在は、彼らの多くがスタートアップ企業で働くか、自ら起業する。この変化はドラマチックなものだ。」(ネグロポンテ IBM「From being digital to digital being」)
MITスローンスクールの起業センターのケン・モース教授からこう聞いたことがある。
「アメリカのベンチャーのメッカは、西海岸のシリコンバレーと、ボストン近郊のルート128号沿いだ。そこにはいくつかの共通点がある。まず、大学の存在だ。西にはスタンフォードとUCバークレーが技術とビジネスをリードしている。東ではMITとハーバードだ。そして、ベンチャーを支えるシステムがある。法律事務所やベンチャーキャピタル。州政府が不要な介入をしないことも共通している。
だが、違いもある。忍耐強さだ。ルート128は忍耐強い。雪が多く、寒暖の差が激しいからね。ガマンできないとやっていけない土地だからな。」
忍耐強い創造力。
◆4-10 ゴミ箱と引っ越し
メディアラボのスピリットその4「変化」。
「メディアラボがなしとげたうちで最も重要なことは、自らを発明し続けてきたことだ。」(ネグロポンテ)
設立以来、メディアラボは変化を続けてきた。メディアラボには教義がないのと同時に、定義もない。このようなことをする機関だという確固たる説明ができないのだ。
設立当時11グループだったものが現在30グループになっている。それだけを見れば拡張なのだが、同時に重点領域をシフトさせてきた。そしてそのシフトが時代をリードしてきた。
当初の11グループのテーマは、電子出版、コンピュータ音楽、空間イメージ、未来の映画、コンピュータとエンタテイメント、未来の学校、スピーチ、先端テレビ、視覚言語、アニメーションとCG、インターフェース。70年代後半のパソコンの登場を背景として、オーディオビジュアルやバーチャルリアリティー、そしてそれらのパーソナル化が主要領域だった。
80年代後半、インターネットやデジタル放送が現実性を帯びるようになると、創立世代に次ぐ第二世代は、ウェアラブル、タンジブル、エージェントといった領域でラボの名をはせた。
そして90年代後半、時代はユビキタスやモバイルとなった。すると、ナノテク、バイオ、ロボットという分野からやってきた新人たちがラボの第三世代を形成するようになった。先人たちも、デジタルデバイドや教育などの分野で活躍しはじめる。挑戦を続けているのだ。
「インターネットが普及して最も変わったことは、変化するという概念自体だろう。」(ネグロポンテ) デジタルで世の中は変わった。企業行動も、産業構造も、世界情勢も、スピード感も、生活環境も。以前ならとうてい変わらないだろうと思われたことも、いずれ変わるに違いないと誰もが思うようになった。
きっと変わる。変えられる。ラボの教授も学生も、「それはできない」という言葉を使わない。憎らしいまでの自信家たちであるが、それは、変えたり変わったりすることを是とする精神に裏打ちされたものなのだろう。
だが、成功は澱みを生む。「権威を疑うこと。エスタブリッシュメントになることを拒否すること。」(ネグロポンテ) 失敗はかまわない。成功を引きずってはいけない。「企業は自信たっぷりに、1850年創業、だとか、とにかくとても古いとかを、経験によって培われた知性をほのめかして発言したものだった。私のキャリアの中で、一体どれくらいの人が私に対してこういったかわからない。'いいかい、私の会社は長年にわたって業界でやってきた。業績もよかった。だからそのようなやり方を取るつもりはない。' そう、成功は彼らの最悪の敵なのだ。」(ネグロポンテ IBM「From being digital to digital being」より)
栄光は捨てなければならない。捨てることが肝心だ。だから彼らは、成果の出たプロジェクトを繰り返すことをいやがる。新しいテーマを追いたがる。以前見せてもらったデモが気に入ったから同じものを作って東京で展示してくれよと頼んでも、もう済んだからなあと言ってなかなか引き受けてくれない。
単発主義のやり散らかしになっている面は否めない。担当していた学生が卒業したらプロジェクトも終わり、というケースが多い。筋の通った深い研究を継承していくという点では弱い。しかし、見事な捨てっぷりを見せられると、それはよそでは真似できないパワー源かもしれないという気にさせられる。
西客員教授が無線システムのプロトタイプをデモしていると、3人の学生が仕組みを質問してきた。1分ほど説明を聞くや否や彼らは、「ああこっちのシステムの方がスマートだ。残念だが我々の手法はもうやめて明日からこの方法で行こう。」と言う。1年以上かけて開発してきたのだが、よりよいものが目の前にあるから、ぜんぶ捨てるんだ、と言う。おい大丈夫か。
ラボが変化することを支えるのは、人が入れ替わるシステムである。毎年おおぜいの学生が入学し、卒業する。途中で辞める者もいる。99年は4割が入れ替わった。
教授も辞める。自ら転職する場合もあるが、追い出されることもある。本書を執筆中の一年間にも、ホーリー、マース、スミス、ハース、ペパバーグと5名の教授・客員教授が転出している。助教授や準教授の職に就いて7年以内にテニュア・トラックという終身教授の資格をMITのコミュニティから獲得しなければ、正教授となれず、いずれラボを出ていかざるを得なくなるのだ。
テニュアは、学術の業績は無論、人格や学生からの評価など、あらゆる点が厳しい審査にさらされる。名誉あるテニュア取得者には、ミンスキー、パパート、ベントンら大御所のほか、マッコーバー、ガーシェンフェルト、レズニックらラボの後継者となる人々がいる。最近では、石井裕が取得した。MITの看板であることを意味する。
競争は厳しい。全員がそれぞれの分野で世界一を自負する人たちだ。それぞれ研究領域は異なり、共同・補完しながら開発を進める場面も多いのだが、それでも競争心は強い。スポンサーからの厳しい目があるだけでなく、同僚たちによるせめぎ合いも激しい。そして、教授たちは学生からも評価される。教育者としての能力も厳しく見つめられるのだ。だから教授たちは実によく働く。研究に、教育に、スポンサー集めに、息を抜く暇もない。日本の大学の温和な雰囲気とはずいぶん異なる。
2001年の夏、ラボの建物内で、引っ越しが行われた。全体が手狭となったため、新ビル完成までの一時避難として、石井、パラディソ、ブルンバーグ、ブリジールの4グループが近くのビルに間借りすることになったのだが、それに伴い、残るグループもみなビル内で大移動したのだ。別にみんなが大移動することもないので、文句を言うグループもあったのだが、なぜか大シャッフルとなり、ブツブツ言いながら引っ越しをした。とりあえず変えてしまえ、というカルチャー。
ラボは転がり続ける。今日のラボは明日のラボではない。この本の説明も、来年にはすっかり古くなっているかもしれない。そうなっていてほしい。